「これは映画に対する温故知新ではない。講談とか、漫才、落語のような芸能に繋がる話しだと思う。」カツベン! マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
これは映画に対する温故知新ではない。講談とか、漫才、落語のような芸能に繋がる話しだと思う。
これは映画に対する温故知新ではない。講談とか、漫才、落語のような芸能に繋がる話しだと思う。さぁ、この話が本当か?作り話か?それは知らないが、日本映画が『説明が多い理由』なのかもしれない。と言うよりも、セリフの過多で、映像の解釈の自由を奪っていると思う日本映画の多くは。『サイレントの時代が日本にはなかった』と、最後にこの映画は締めくくるが、僕はそれを問題視する。それが日本映画を衰退に追い込んだ根本的な理由かもしれない。
この映画はドタバタ過ぎて面白くないし、1925年の出来事だから、いくらフィクションとは言え、主人公が出てくる頃は、日本は戦争に突入していて、映画どころでは無くなっている。従って、映画に対する温故知新など感じるわけもない。
映画の邦題が『説明文』見たくなるのもこう言った事が過去にあるからかもしれない。兎に角、この映画は、日本映画が世界の映画の歴史からは大きく外れる理由を説明していることになる。また、興行主が反社会的集団なのはうなずける。
チャップリンはトーキーが嫌いだったそうである。つまり、日本には純粋なサイレントの時代がなかったのだから、日本映画をチャップリンは嫌っていたかもしれない。しかし、チャップリンは、親日家で歌舞伎を好んでいたそうである。
さて、歌舞伎は正にセリフではなく、動きである。日本文化は元々はそういった文化だったのかもしれない。
取り戻そう日本文化!
マサシさんへ
コメント有難うございます。周防監督は寡作ながら題材選びがユニークで日本映画では別格の存在です。「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」は日本映画史に遺る傑作ですよね。「カツベン!」は、「舞妓はレディ」と共に周防監督の映画愛が溢れる反面、前者の傑作と比較して完成度に不満が残るのが正直な感想です。後半のドタバタ喜劇に冴えが弱いのは、周防演出の真面目さが影響していると思いました。それでも、日本における活動写真の興行の歴史に対する造詣の深さに感心しますし、脚本の良さやデジタルとフィルムを使い分けた制作の工夫、役者の使い方など丁寧に作られた娯楽映画として楽しめました。
日本のサイレント映画については、まだ娯楽色が強く洋画のレベルには届いていなかったと思われます。その洋画の字幕を読めない観客の為に活動弁士が必要でしたし、私の個人的な経験でもサイレント映画は音が全く無いと睡魔に襲われやすくなり鑑賞には集中力が必須でした。「イントレランス」「鉄路の白薔薇」「モヒカン族の最後」などは、前半の“退屈”に耐えてこそ、クライマックスの感動に辿り着ける映画ならではのカタルシスがありました。長編小説を読み終えた時の満足感に近いものがあります。日本映画のサイレントでは、溝口健二の「滝の白糸」に感動しました。芸術性から言えば音楽の伴奏だけの方が良く、日本独自の活動弁士は分かり易さと講談の楽しさを併せ持った興行の配慮と思われます。