「愛の対象を共有したいという三角関係」彼が愛したケーキ職人 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
愛の対象を共有したいという三角関係
イスラエルとドイツ・・・なんともセンシティブな関係の両国。
それに輪をかけて、映画の内容も、男と男と女のセンシティブな関係・・・
ユダヤ人技師のオーレン(ロイ・ミラー)は、イスラエル・ドイツの合弁会社に勤務しており、月に一度、ベルリンを訪れている。
イスラエルに妻子を持つ彼は、ベルリンで不倫関係を続けているが、その相手は、ケーキ職人の青年ドイツ人青年トーマス(ティム・カルコフ)。
あるとき、いつものようにイスラエルに帰国したオーレンと連絡が取れなくなってしまったトーマスは、矢も楯もたまらず彼が勤める合弁会社を訪ったところ、オーレンはイスラエルで事故に遭い、急死してしまったことを知る。
失意の底にあったトーマスは、オーレンが暮らしたイスラエルの地を訪ねることにした・・・
というところから始まる物語で、その後、トーマスはオーレンの妻アナト(サラ・アドラー)のカフェを訪れ、偶然の機会を得て、そのカフェで働き始める・・・と展開する。
オーレンを中心にした男と男と女の関係・・・だが、三角関係というのとは微妙に(というよりも大いに)異なる。
三角関係だと、中心にいる愛の対象を奪い合うようなイメージだけれど、この映画ではオーレンは既に亡くなっていて、いない(不在)。
そして、奪い合うというよりは、求め、共有したい、分かち合いたい、というような感じなのだ。
トーマスがアナトに関心を持つのは、オーレンが愛したひと(女性)がどんなひとなのか・・・ということだろうし、同性愛者のトーマスが彼女と関係するのは、彼女と関係することでオーレンと一心同体になれる・なりたいと感じたからだろう。
アナトがトーマスに惹かれるのは・・・
これはよくはわからないが、トーマスのなかにオーレンの面影をみたのだろう。
愛し合うふたりは、互いの仕草の端々や話し方などが似てくるから。
(惹かれるときには、トーマスがオーレンの不倫相手だったことは、アナトは知らない)
こういう「不在」の相手を求め分かち合いたいという微妙な雰囲気が、映画全編を包んでいる。
そういう微妙さに対してのある種の明確さが、イスラエルとドイツの文化の違いで、ユダヤ教の食事既定コーシェルがそれ。
食肉処理用のキッチンと乳製品処理用のキッチンは分けなければならないとか、異教徒が焼いたものは食べないとか事細かに決められており、映画の物語を進行させる役割も持っていて、巧みな脚本だと思う。
ということで、演出も脚本も見事なのだけれど、実は、あまり面白くなかった。
面白くなかったというのとは違うのだけれど、主役ふたり、トーマス役のティム・カルコフもアナト役のサラ・アドラーもあまり好きなタイプではなく、どうも映画にはいっていけず、これはもう好き嫌いの問題だから、どうしようもないのだれど。