「ガチのファン専用映画かなと。」ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow pscさんの映画レビュー(感想・評価)
ガチのファン専用映画かなと。
アニメも全部観た上での、「普通のファン」と言ったら語弊があるかも知れませんが、「原作アニメが好き」と言えるファンとして、と同時に「映画ファン」としての感想です。(「ラブライバー」と呼ばれるレベルではありません)
●全体として、「それ必要?/それで良いの?」という演出が多かった。
・全国優勝している部活のある学校なのに「部活がだらける」という理由でPTAが反対(それ以上はないと思うんだけど)
・「分校」の騒動(というかその設定自体疑問符が多い)
・「分校」にするなら今の校舎で良いのでは?(実際そういうことは多々ある)
・月の存在意義と理由(居なくてもストーリーは回る)
・全国優勝者が予選敗退者に助言を求める(謎の死体蹴り)
・イタリアに行く必要性(「そこじゃなきゃダメ」な理由がない)
・なぜか行き先を明記した書き置き(逃げたいのに?)
・仮面の店の前でのルビィ(ただの尺稼ぎ)
・ヨハネの外国での単独行動(ただのバカにしか見えない)
・「ラブライブ決勝」演出(どこから目線?)
・あの茶番で立ち直る理亞の謎メンタル(「夢」があれでいいの?)
・分校でライブじゃないの?なんでいきなり街中でやるの?その理由は??(前振りゼロ)
…他多数ですが簡潔にこれくらいで。
軸に据えたいことが「(色々な意味での)新しい出発」なのは伝わる。けれどその軸に対しての肉付けがめちゃくちゃ。制作側は「豪華フルコース」を準備したかったのはすごく分かるんだけど、出てきたのは「和洋折衷・時間制限の食べ放題」だった。
●その理由として、視点がぶれていることがまず挙げられる。良くも悪くも「群像劇」に近い構成にしたおかげで、ある場面はAqours、ある場面はSaint Snow、ある場面は月、母親、モブの子達…と、100分の映画にしては多い、Aqoursの9視点でさえこの尺では多いのに。その結果、ひとりひとりの視点からの描写が浅い。顔アップにして無言にして即回収、解決したらもうあとは触れない、それの繰り返しばかり。エピソードがぶつ切りで連続性がないのに関連つけようとするから、結果として全部醤油味にして「懐石料理です」と言ってる感じ。AqoursはAqoursとしての1視点でまとめた方が良かったんじゃないかと感じた。
●さらに、各キャラにファンがいるのは分かるがその全員に配慮した結果、その全部が中途半端な扱いになっていることも原因の一つ(「視点が多い」にも関連)。
例としてヨハネが全編通して頭が悪い言動行動ではっきり言ってうざい。とりあえず騒がせろ的なピエロになっていた(私はヨハネ推しだがかなりキツかった)。他のキャラもそういった変な扱いのおかげで「それで場面を回せるのなら、それこそ月は要らなくないか?」と思う場面ばかり。そもそも〈生徒会長〉設定がほとんど活きていないのも消化不良の要因。モブもそうだけど、登場場面が増える程メインの影が薄くなるという悪い意味での存在感が強かった。
●そしてこれが最大の原因なんだろうけど、Aqours、Saint Snow、マリーの母、もっと言えばおそらく合併相手の高校関係者…とにかく全員の成長進行の軸を「新しい出発」にしたので、話が気持ちよく前に進まない。同じ一歩でも「三歩進んで二歩下がる」は前進(積み重ね)を感じるけど、この映画は全体的に「二歩下がって三歩進む」から「いきなり解決したなぁ/それで良いのか」といった類のモヤモヤが残る。
一応、三年生達はヒントを与える側で【解決への導き手】なのだけれど、その中のマリーもまた母親と同じ軸の悩みで絡むので面倒が増えている…この母親がいなければもう少し話はスムーズだったと思う。また、Saint Snowも「同じ悩みを持っている枠」で出てきた弊害として、それを平行して、重ねて、ねじれて、両陣営が共感しながら進めていた結果、解決する為の尺が足りなくなって、Aqours固有の悩みとしての要素が薄くなってしまい、すべての解決が弱くなったという作品を殺すような設定になっている。同時ではなく個別に進行(前半Saint Snow→後半Aqoursのように分割)した方が「スムーズに見える解決」ができたのではないだろうか?その為にも、もっと三年生を「絶対的な相手役(親役、壁役、敵役など)」にして、さらに両陣営で方向性の違う解答の方が良かったのでは、と感じる。
結局全員の解答の方向性が同じ(「心の中に居るから大丈夫」)だから「そんなに同じことを何回もやらなくてよいのでは?」と、退屈を感じる要因になっている。
●「映画的」な盛り上がりの演出も弱かった。映画の表面的な問題に対して「(成功)失敗→成功→失敗→大失敗→大成功」というトライ&エラーを繰り返すのが、バッドエンド以外のどんな映画でもほぼ共通する要素なのだけれど、この映画は「失敗→大成功」という一回しかない。「起承転結」ではなく「起→結」なのだ。しかも「かなり序盤に問題提起→エンドロールで解決」という、解決までの冗長さも全体のフワフワ感に拍車をかけている。
ライブで失敗した、再チャレンジだ!は良い。だったら再チャレンジに至る交渉やら物理的な出来事、これくらいの観客が来たら認めます、的なゴール設定が必要になる。それを全部飛ばして、最後にライブをやってふわっと解決。その為に劇中でやった行動は内面的な解決へのものだけ。それこそ月が橋渡しとして〈生徒会長〉設定が生きる部分ではないのかと。その結果「二歩下がって三歩進んだ」ように感じる。映画的なカタルシスや余韻はそこにはなく、ただ、解決しましたよ、Aqoursの行動は全部正解でしたよ、万事解決大成功!と答えを突きつけられただけ。こういった類の映画は最後に絶対成功する事は最初からわかっているのだから、解決への過程こそが映画の脚本力であり本質。もちろん内面的解決の描写は必須だが、それだけでは片手落ちでしかない。「修行シーンなしで死んだ仲間への思いだけでラスボス倒した」感が否めない。
◯では良いところは?
まずはSaint Snowの楽曲。振り付けや衣装も含め、このシリーズで一番クオリティが高いと感じた(これは100%の好みの主観)。
また、解決に向かう為の「不要な邪魔」がいない構成。無意味に足を引っ張る人間がいないので、キャラに対しての変な嫌悪感が残らない(例えば「イタリアでパスポート失くした!」みたいな不要なトラブルメーカーが居ない)
そしてCGが美麗で緻密(最後の波以外)。近年のアニメ以外の映画と比較しても綺麗と感じるレベルだと思う…くらいです。
□総括として、「キャラが動いている」「声優が好き」という人ならなら見ても損はないです。それ以外の人だと残念な結果になると思います。
言ってる事が本当によくわかります。私もファンですが、つまらなかった。観ながらずっと、何しに外国行くねん!とか、廃校して分校って何やってんねん!とか意味不明な事ばっかりで突っ込んでばかりだった。何より、話がグチャッとして、結局何がしたかったんだ?という変な後味しか残りませんでした。セイントスノーには悪いけど、不必要だと思いました。後、マリーの母も。
初日挨拶付きでしたが、声優さんも、必死に観てね観てね!って心が痛くなる想いでした。そこまで言わなくても、不出来の責任は貴方達ではないよって言ってあげたかった。
>よしひこさん
ありがとうございます、私も客観的に見て「映画として」酷い出来だったと思っています。
◯例えばメインを「イタリア」にしたいなら【最初からマリーが母親に連れ去られていて、それをみんなで助けに行く。そこで母親が「マリーが抜けたらあなた達はどうするの?」と問題提起して、それぞれの自問自答からの解答】みたいなプロットでも良いと思うんです。
◯もしくはメインを「分校問題」にしたいなら、そもそもの「全国優勝している部活のある学校なのに部活がだらけるという理由でPTAが反対」がまったく意味不明なので、【合併相手校にもラブライブを目指すチームがいて、そこがAqoursの解散を条件にしているから対決して改めてラブライブ!の楽しさや厳しさを再確認する】などでも良いと思うんです。(以上はあくまで「軸にするならそこを深く掘るべきでは?」の例です)
でも「どちらも使いたい!」結果、「イタリア逃亡劇」と「分校問題解決」がまったく別の独立した話になっていて、最後までそのふたつの必要性が噛み合っていないんですよね。イタリアに行った結果はその後の分校問題の解決に活かされていますか?という状態。イタリア要素は「青い衣装」くらい(青はイタリアスポーツチームのナショナル・カラー)で、これもイタリアである理由がまったくない。
なんというか、「富士登山すると聞いて集まったのに、なぜか潜水艦に乗ったんだけど、いつの間にか月面着陸した」みたいな謎の展開だなぁと感じましたね。