「死を迎える街、バラナシ。」ガンジスに還る 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
死を迎える街、バラナシ。
予備知識なしで観た。
映画の舞台、バラナシの街はヒンドゥー教徒にとっての聖地。死期を悟った教徒が、家族とともにやってきてここで死を迎えることは最大級の喜びのようだ。
ここで、ああ、遠藤周作『深い河』で大津が働いていた場所か!と気づく。同行することになった息子の上司の言う嫌味、「そこに行かなくちゃいけないのか?」は、おそらく今の日本社会においても同じ宗教観であろうことは察せられる。つまり、日本のサラリーマン社会では失職につながるほどの宗教行為だろう。日本で言いかければ、例えばお大師さんのそばで死にたいから高野山に連れていけと言っても、一般人にはたぶん受け入れられないだろう。ホスピス病棟などがあれば別だが。しかしまあ、死期を迎える崇高な意思とは違い、意外に世俗的で、ゆるゆるのルールと何でもありの実態。まあ、高野山だってコンビニあるんだしいいよね。・・・・
そんなことなどを考えながら見てた。息子の気分もよく分かった。そりゃまるで自分のようだから。
それがいつのまにか。
いつのまにか、なのだ。ずれていたもの、反発していたものなどが、しみ込むように受け入れられるようになっていく。じわじわ、とくる。知らず知らずに満たされていく浴槽の湯に浸かるように、じわーとくる。人生の滋味あるれる良作だった。
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