人魚の眠る家のレビュー・感想・評価
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究極の選択
どうして人魚が眠る家なんだろうと思っていた。
門のデザインがマーメイドだからか、、、いや、眠るというのだから瑞穂の事だろう。
調べてみると、どうも冒頭の少年が歩けない瑞穂を人魚に重ねたそうだ。
だが私には途中まで傀儡が眠る家に思えた。
自分が同じ立場に立った時、どういう選択をするのかと考えさせられる。
私には子はいないが、もし子供を授かったら、その子の考えを理解できる親でありたいと思う。
この子だったら、こう考えるはずと、、、
でも、それもまた親のエゴかもしれない。
最初は体の健康を維持する為に始めたことかもしれないが意識のない人を運動とは違う形で動かしたり笑わせたり、あの辺りから少し何かが壊れ始めた。
優しく悲しげだった薫子の表情が物凄く不気味だった。
そんな彼女が包丁を握りしめた。
時系列の描写はなかったが、普通に考えてみれば冒頭で少年が瑞穂に出会っているのだから瑞穂は今も眠ったまま、そこに居てもおかしくない。
でも、篠原涼子の鬼気迫る姿にそんな事は頭から抜けていた。
刺し殺してしまうんじゃないかと思った。
究極の選択で自分を証明しようとしている。
間違っていると思うけど、その行動も理解できる。
静止する方も同じだ、死んでいると認めた者を必死に護ろうとしている一見矛盾しているが正しい姿だと思う。
この場面が一番印象的だった。
そんな空気を破った子供達、彼らも勇気がいっただろう。
目頭が熱くなった。
薫子が瑞穂の死を受け止め物語はラストに向かっていく。
葬儀の場で脳外科医が言った言葉、、、
心臓が止まった時が死んだ時なら瑞穂ちゃんはまだどこかで生きてますねと、、、確かにそうだ。
原作によると冒頭のシーンの後、少年の心臓が悪くなり移植を受けたと言うことのようだ。
だが私には、冒頭のあの幻想的な空間と普段なら常に瑞穂に寄り添っているはずの薫子の姿がないという光景に、心臓移植を受けている最中、瑞穂からバトン受け継いだそんな幻の光景を垣間見たのではないかとそう思えた。
いつかどこかで、あの少年とあの家族が巡り会い、瑞穂の面影を感じられる、そんな日が来ればいいと、そう思った。
脳死
原作が好きで映画も観に行きました。
この作品では脳死は人の死とするか
心臓死が人の死となるのか
それが肝となってきます。
原作と少しずつちがう場面もありましたが、
綺麗にまとまっていました。
周りのことなど気にせず、自分の守りたいものを必死に守り抜く母親は強いと感じました。
また映画では最後の描写が分かりにくかったです
娘をもつ親の感情としては...
小説を半分だけしか読んでなかったのでstoryがどう進むのか?薫子の感情がどう変わっていってラストはどうなるのかを楽しみながら観賞しました!
瑞穂に横隔膜なんちゃらを入れた辺りから猟奇的な雰囲気に!ちょっとこの辺りからお涙ちょうだい雰囲気は一変。既に死亡してることを受け入れられないけど受け入れなくてはいけない和昌と薫子の複雑な感情の差違や縺れ。それでも何とか奇跡を信じてできることはなんでもしてあげようとするあまり世間との擦れが少しずつ広がりはじめていく様子は観ていて痛ましさを感じる。娘をもつ親の感情としては...実に複雑な気持ちになる映画です。
原作の大切な部分が省かれてしまった気が
発売当初に原作を読んでいたのであらすじが分かった上で映画館に足を運びました。
原作は原作、映画は映画、別物なのは理解していますが、
原作ではかなり大切な部分を占める娘の女教師とそれにまつわる出来事が一切なかったので薫子の葛藤が見えづらく、狂気の部分にのみスポットが当たった形になった気がします。
原作では日曜日だけ募金活動に現れる、臓器移植に対して意識の高い、女教師を名乗る謎の人物が誰なのかを読み手に想像だけで推理させる部分でもあったので、映像での表現は難しかったと思います。
また話が多方向に散らばるのをあえて避けたのかもしれません。
映画では和昌が偶然臓器移植について向き合い、募金をし、移植を待つ子供の父親とそれぞれの立場で話すという短い設定になっていました。
そして薫子はそれに対して和昌に抗議までしているので余計に薫子の苦悩が映画では表現されていなかったように感じました。
なのでそこからの展開が狂った母親一辺倒のようになったかと思うと娘の死をあっさり認めてしまったかのようなライトな感じになってしまったのは残念。
そして、ラストシーン。
二年前に原作を読んだ時からどちらなのだろうという答えが定まりませんが、最後お屋敷が空き地になってしまっている意味。
映画ではラスト直前で家族で娘が事故直前に話していた絵のハートに見える木を見つけます。
なので別居を解消し、新たな場所で心機一転夫婦として家族としてやり直したのかなとも伺えますが、迷うところです。
向き合わせないという罪
原作未読
プールで溺れて恐らく脳死状態になった6歳の娘に横隔膜ペースメーカーを取り付けると共に、脊柱に電気を流すことにより四肢を動かし身体の健康を維持させ暮らす家族の話。
死の定義というべきか生の定義というべきか。
それを投げかける様なストーリーで、希望というより願望や感情によって、ホラーかという程に暴走し突き進んで行く母親が痛々しくも悲しかった。
主人公が向き合うきっかけの件をその時までみせずに引っぱった演出は、勿体つける様な内容でもなくて引っぱった意味が良くわからず、安っぽく感じたし向き合うにしても急に切り替わり過ぎで違和感があった。
とはいえなかなか面白かったのだけれど、ラストシーンは完全に蛇足。
本編に何も与えない上に、超チープであり得ないおまけのせいで締まらなかった。
流石の原作。重いのは当然も、、、
正論の結末で映画としては王道だが、、、。でも!!
今年の邦画のベストかも?。俳優陣は主役、脇役、子役全てA評価で良いと思う。
そして、このテーマなのに映像美で余韻を醸し出しているのが凄い。
結末は結果的に予想通りであったが、途中経過は正直心が揺れた。
映画なのに何度も目を閉じて考えている自分に驚いている。
鑑賞して良かった。
メンチカツを素手で食べる人がありますか!
いや、川栄の出番と来たら食ってるばっかりやん、と思ったら、後でキッチリと回収されました。小ネタ振って地味に拾うだけじゃ無く、隠されていた真実の暴露はあるわ、プロローグとエピローグで一ストーリーと言う「両端折りたたみ」はあるわ。ボリューム感満点の東野原作を、発散させることなく几帳面につなげてました。ちなみに川栄さんの芝居、良かったです。
本編は、プロローグから「あざとさ」全開。単純にダサい画と光の映し方。子ども使って泣かしに来るわ、篠原涼子の芝居はくさいわ、松坂慶子は年齢不詳のイモ女優やし、もーどうなるんやこの映画?
娘の死を受け入れない薫子と星野が常軌を逸するランデブーにはまるあたりから物語は暗転。ダークなストーリーに転じてからが、この映画の本番ですね。見ごたえは、あった。
一月余りの間に「あさがくるまえに」と「子どもが教えてくれたこと」を見てしまったので、余計にこの映画のテーマである「生と死と臓器移植の問題」が重くのしかかって来ました。愛するものの死を受け入れると言うことの難しさは、脳死となれば尚更のこと。まだ小さなお子さんの親御さんには、ずしりと重く感じられる話だと思います。
エピローグは原作の方が良い。星野の研究が実用化されていることを示唆してるのと、「屋敷の跡地」に立った少年が何かを感じる、ってとこが映画に無い要素です。
映画に感動した、と言う方は原作も読まれてみてはいかがでしょうか。静かに染み入るような、くらーい哀しみと確かな希望を感じさせてくれる良作です。
作り手の誠実さが伝わってくる
【脳死と臓器移植について】
(周辺知識があった方がより深く楽しめますので余計なお世話かもしれませんが書かせていただきました。自分も知人に色々と教えてもらってから鑑賞しました。間違いがあればすべて私の責任です。)
脳死という概念は、大雑把に言えば心臓移植を法的に可能な医療行為とするために作られた。心臓移植は心臓が拍動しているうちに行なわなければならず、心臓死しか認められていなければ、心臓外科医は心臓を取り出した時点で殺人罪に問われるからだ。しかしながら、いまだ多くの日本人にとっては心臓死以外の死は受け入れ難く、「息の根の止まっていない」人を死んだと告げられても生理的に実感できない。
一般的に欧米では、脳死が疑われる場合に家族等の同意なしに脳死判定が行われ、脳死と判定されればその時点で「死」であると認知されるらしい。従って、臓器提供の判断は客観的な「死」を受け入れてから行なうことになる。ところが日本では、臓器提供の意思がある場合に初めて脳死判定を受けるか否かを選択することになるわけで、時間が経過して心臓が止まるのを待つか、臓器提供を前提に脳死判定による死亡宣告を受けるかどうかを患者側家族が選ばなくてはならない。そんな前提において、臓器提供どうしますか?と尋ねられたら、心臓死を選択した場合、どこかで助かっていたかもしれない移植待ちの人の生き延びるチャンスがひとつ減ることになるのか、と命の重さを天秤にかけるような想像をして重い気持ちになるのが、いたたまれない。
アメリカで移植待ちをすると億単位の資金が必要となるのは人工呼吸器等の医療機器を付帯かつ医療スタッフが同行しての空輸、その他現地での諸々の費用が嵩むためだそうです。
【映画について】
この作品は、原作および原作ファンに対して、とても大切にかつ丁寧に取り組んで作られたように思います。
原作の中の重要なテーマや要素をとても丹念に拾い上げ、それを2時間で収めるために筋立てを再構成、それでいて登場人物が持つ情念や狂気は決して疎かにせず描いていました。
描き切った、などとは申しません。朗読者と街頭募金の章も大幅に改変・改編されていましたし、田中哲司演ずる進藤先生の冷徹で暖かい優しさもあと一歩物足らない感じもしましたが、適当に端折られたという部分はなかったと思います。
同じ東野圭吾さん原作でも『ラプラスの魔女』で露見した不誠実な手抜きとは対照的で、誠意ある良心的な映画作りの姿勢が伝わってきました。
きれいでした!
僕のバックグランドのせいでこの作品はとても感情移入しやすいものでした。それぞれの登場人物にも共感できる人はいるのではないでしょうか。
おばあちゃんの気持ち、弟の気持ち、妹の気持ち、星野さんの彼女の気持ち、脇役の気持ちまで非常にきれいに描かれているなと感じました。
彼女が目を覚まして母親に別れを告げるシーンがありましたが、あそこでちゃんと死ぬっていう展開がきれいに見えました。きっとこのようなお子さんを抱えている家庭は少なくないと思います。あそこで彼女が死ぬことでこの作品が偽りの希望にならなかったのだと思います。
またラストシーンの空き地もまたこの作品をきれいにした要素だと思います。あそこでみずほちゃんの家族に簡単に会うことがないことでハッピーエンド過ぎない演出になったと思います。
カメラワークにも工夫や、物語の構成、伏線の回収とかきれいに考えられてるなと、でも綺麗過ぎないのもまた、 作り手の良さが出てました。上から目線ですみません。
少なくとも僕が見た劇場のお客さんはみんな鼻をすすってましたよ。何か伝わるもの感じるものがあったのだと思いました。拍手
いい作品をありがとうございます!
篠原涼子に感情移入できなかった
実年齢的にはありえないんだけど山口紗弥加と篠原涼子が姉妹逆であった方がこういう役柄ではこの作品を生かしていたと思う。
特に篠原涼子が警官と対峙する場面はアンフェアの雪平が出ていた感じでせっかくの良い作品が少し台無しにしている。
エゴイズムがぶつかり合う作品
非常に重い映画です。
脳死や臓器提供というテーマに加え、子供の脳死状態に直面し、治る見込みがないにもかかわらず、延命を選択する親のエゴ、会社の社長でありながら、娘の為に製品開発の方針を変えるエゴ、自分の研究開発に没頭し、婚約者や人間性よりも研究を優先させるエゴ、人のためにとはわかっていても、研究に恋人を取られたと思って嫌なことをしてしまうエゴなど、様々な思いがぶつかり合い、一段と重いストーリーに仕上がっています。
役者さんの演技は皆さん大変素晴らしいですが、富裕層の家庭環境、臓器移植を待つ子供との対比、警察沙汰の騒動やラストの一瞬「!」なシーンなど、不自然な点と、泣きのシーンは子役頼みで、イマイチで感情移入できず、良い映画だけど1回見たらでお腹いっぱいって感じです。
テーマの共感は難しい?
試写会に付き添いで行って来ました。
あまりこういう邦画はみないのですが 純粋に 「とある一家の物語」としてはよい作品だったと思います。
ただし テーマとなる「脳死」については 一見考えさせられたりする と感じますが冷静に考えると 映画の内容は主人公一家がお金持ちだからこその悩みや取り組みばかりであり 「まぁ金持ちだからこうできるよね」というような感じになってしまいます。一般人は映画の内容のように考えたりする暇や余裕すらないのだろうな と思うと ちょいと感情移入は難しい物語の設定なのでは… と思いました。
テーマ性を与えるのであればもう少し庶民家族が主役で 介護のために身銭を削って結果借金までして家族関係も複雑になって… みたいな感のほうがリアル感を感じられるのかなと。
当事者ではなく自分が第3者になってそういう人をみたときどう接してあげられるか という程度なら充分考えられる内容かとは思いましたが。
あとはいわゆる 東野圭吾ミステリー と言われてるみたいですがこの作品にはミステリー要素が感じられませんでした。意外な真実などもなく……(まさか指輪のくだりがミステリーなのか…?)
色々書きましたが 純粋に物語としてみれば楽しめる作品と思います。
重々しいテーマで2回は観たくないかも
寝不足の日に観たのに全然眠くならずに引っ張られた120分。観終わってのどっぷり出た疲労感は体調のせいだけではない。
脳死 ➡︎臓器移植と簡単に言うけど自分の身内や愛する人だったら「はい、はーい」とは簡単にサインはできまい。ここにこの映画(原作)の普遍的テーマがある。
誰もが篠原涼子や西島秀俊が演じる母親・父親になり得る可能性がある。
泣けるミステリー と銘打ってはいるが、涙のポイントはあまりなくラストのわかばの独白によるミステリーの解明、死の真相のくだりからが圧巻だ。
母・父、祖母、弟、従姉妹、星野が総出となり、大人の身勝手な欲望と虚構がそれぞれの人物から見え隠れする。(舞台っぽい演出!)
純粋な子どもの事故当時の懺悔によりそこにいる全員が自分の罪に苦しんでいたことを浮き彫りにしていく場面はこの映画の息もつかせぬクライマックスである。
ラストはライティングも穏やかになり、薫子(母)がなぜ脳死の娘を連れ歩いていたかが明かされるという小さなタネ明かしもあり、希望を見出せるエンディングとなっている。このラストに絢香のちょい重い歌声がマッチしていていつまでも残る。
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