港町のレビュー・感想・評価
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巨大システムが倒れるときに見る走馬灯
1999年、フランスの酪農家でアルテルモンディアリスム(もうひとつの世界主義)の運動家、ジョゼ・ボヴェは、「多国籍企業による文化破壊の象徴」として、建設中のマクドナルドを打ち壊した。この「マクドナルド打ち壊し」は、反グローバリゼーションの文脈で語られることもあるが、具体的には、スローフード・スローライフ運動の文脈で語るのが適していると思う。
「便利さ」とは「手段的合理性」と言い換えられる。近代化には、合理性の追求が伴う。私たちは自分たちが営む「生活世界」をより豊かにするために、近代化を受け入れる。しかし、近代化が進んだ「ポストモダン」と呼ばれる状態になると、「生活世界」が侵食され「システム」に置き換えられていることに気づいて愕然とする。
ポストモダンとは、「生活世界の空洞化&汎システム化」が高進した社会のことだ。いったん「システム」に依存しだすと、「生活世界」を豊かにするためだという正当化がかすみ、「入替え不能なシステムのために、入替え可能なわれわれがいる」との感性が一般化してくる。そしてある日、その巨大システムが倒れたとき、私たちは終わる。そのような悲劇を回避するための運動がスローフード・スローライフ運動で、小規模で自立的な経済圏を確立し、共同体を守ることがその本質だ。
過疎化が進み、それでも辛うじて漁業を営む老人がいて、地域で暮らす人たちに魚を届ける流通が生きている、岡山県牛窓。どこからかやってきた老女が、ふと人生の悲喜交々を語る。そんな光景をモノクロで捉えた映像が、私たちの「原風景」を喚起する。
安心、安全、快適、便利を追求した果てに、「システム」の奴隷と化した私たちは、いつか巨大システムが倒れるとき、こんな「港町」の走馬灯を見るのだ。
高そうな魚ばかり。それで商売になるんだね。貧困層の口には☓
90歳近い耳の遠い老人が一人で夜の瀬戸内海へ漁に出る。
大丈夫?
失礼だが、網の扱い方が緩慢な感じがする。明日も漁をやるとすれば、網の補修はいつするのだろうか?
えっ!
なすがままの観察映画としているが、日曜日の深夜に漁に出て、月曜日の朝に後期高齢者が艱難辛苦乗り越えて、魚を売り歩く。なんかおかしくない。そして、そんなに過疎地とは思えない岡山県。色々考察すれば、リアリティが余り感じられない。
そして、もしリアルなドキュメントであっても、
こんな半分に折り曲がった様な老人がなぜ働かねばならないのか?そう言った疑問が残る。
普段は何をしているのだろう。
さて、猫は近◯相姦なんだね。それで、観光客目当ての地元民は『猫が癒してくれる』なんてのたまう。
個人情報垂れ流しの地雷映画に感じるが。なんの目的に観察したのだろうか?
こう言った話はもつれるだけ、短絡的にかつ衝動的に、大都会の映画館でやって良いのか!?話がほつれ無い。
薄気味悪い、僕らにはどうでも良い話を、お金を取って上映して良いのか?話を一方的に観察する。少なくとも偏見になる。
この映画館は、同じ渋谷の映画館よりも60歳以上や障害者料金が100円高い時がある。その代わり、大学生は100円安く入れる。若者諸君を大事にする良い映画館と感じるが、その分、観客を入れる為に客席が多くて、一番前の席はリクライニングにしてもらいたい。と感じた。
もう一つのホテルのど真ん中にある映画館なら見やすくて良いのだが。
経済成長の代償として、今の日本がどこかに置いてきてしまったきたもの
都市型経済が追いもとめる、効率化、合理化とは無縁の世界。
ゆえに都会とは時間の進みかたが全く違う。
モノクロの映像がシンクロして、時間が止まっているかのよう。
想田監督が港町の人びとを観察するだけではなく、観客もカメラを通じてそれぞれのフィルターを通して観察する。
押し付けがましい場面説明やナレーションはないので、何をどう感じるかは観る側の自由に委ねられている。
監督のカメラからみる被写体の姿は、とても自然な表情で印象的だ。
まるで彼らの普段の生活を横から眺めるかのよう。ワイちゃん、クミさん。ほんとうに魅了的な人たち。
牛窓のような港町はどこの地方でもあったのだろうが、間違いなく日本の共同体は崩壊しつつある。子どもたちは昔からの生業では食べていけないため、都会へ出ていく。
残されるのは高齢者ばかり。
地方はどんどん「砂漠」化していく。
そんな寂しさを感じざるを得ない。
つまらないかもと見出した自分は未熟
だいたい作風は想像できたし、その範疇であったのだが、内容への興味は想像を遥かに凌ぐものだった。というのも、白黒で静かに始まった質素な映像を自分勝手に侮ってしまったわけで、その最初の負のレッテルが見ているうちにどんどん剥がされていき、未熟な自分を恥じつつも、終いはただただこの作品への称賛しかなかった。
なんで侮ってしまったかというと、この素晴らしいロケーションをなんで白黒で、なんて思ってしまったのが最たる要因で、その意図を徐々に理解できるような仕組みになっており、それが理解というか肌で感じ取るようになったときにはもはやこのドキュメンタリーの虜となっていた。
観察ドキュメンタリーと銘打って数々の名作を生み出されているけれど、作り手と対象者の関係性が重要な作品がほとんどで、観察しているうちに、その関係性が見えてきてそれが作品への興味を高めていく。
この関係性を見ることで、その地というものを深く理解できたような錯覚に陥る。錯覚というよりは真実をついていると言った方が適切かもしれないけれど、あくまで一つの視点での偏った見方ということで、一応錯覚と─。
白黒映像からでも美しさは伝わってくることが場所だったけれど、それだけにとどまらないその地の魅力を十二分に堪能できる素晴らしい映画だった。
牛窓に癒される
ちょっと遅れて鑑賞。
実在する牛窓の町だが、モノクロームの映像のおかげで幻のような不思議な感覚もあり。ノスタルジックな気分になった印象を受けた。
ワイちゃん、クミちゃん、人々の暮らしはつましくも温かく、ちょっとしたやりとりに笑わされ、癒される。
と思っていたら… ラストのドラマチックな展開には度肝を抜かれた。
事実は小説より奇なり、と言われるがそれを体現するような本作。
町は人だ。
そこに住む人々同様、田舎の町が現在進行形で寂れていき年をとっていっていく様子を目の当たりにするのはとても切ない。
自身も田舎を離れて都会で生活している人間であり、やるせない気持ちになった。
それでも 人生は、町は、続いてゆく。あんたはどうする?と問いかけられたような気分だ。
とても心地よい映画だった。全編モノクロの作品だが最後のシーンでカラ...
とても心地よい映画だった。全編モノクロの作品だが最後のシーンでカラーになった瞬間にグッと現実に引き戻される感覚になった。ドキュメンタリーなのだから全て現実なのだけれど、牛窓というワンダーランドから連れ戻されたような不思議な気持ちになった。ワイちゃんは、こんな色の錆びた船に乗ってたのかと感慨深く感じたのは、すでに私が会ったこともないはずのワイちゃんをとても身近に感じさせるような、あたかも、その街に居たのは自分であったかのように感じさせる監督の素晴らしさであると思う。ごく当たり前のことを言うようだが、こうして同じ時代にこんなにも違う生活スタイルがあるのだと改めて考えさせられた。そして絶望感のそれとは違う寂しさや、何となくの居心地の悪さや閉塞感、終末感を感じることによってドキュメンタリーとしてのリアルを突きつけられてる気がした。それでも時間だけは優しく穏やかに流れている。それさえも残酷に感じてしまうが、映画としては出てくる人々の息遣いまで感じられるような温もりのある作品だった。
☆☆☆★★★ 観察第1章 漁〜販売・消費 高齢の漁師は嘆く。昔と比...
☆☆☆★★★
観察第1章 漁〜販売・消費
高齢の漁師は嘆く。昔と比べて魚が獲れなくなった事を。
折角獲った魚を売っても、網の修理の方が高くつく事を。
カメラは漁の一部始終を撮る。必死にもがき苦しむ魚達。生と死とが隣り合わせの瞬間を実感する。
獲れた魚の競りが始まる。そのスピードと同時に垣間見られる人間模様が面白い。
次々と捌かれて行く魚達。鮮度が命だけに、その見事な手捌きにはつい見惚れてしまう。
あ?穴子が逃げた!
後期高齢者のおかあさんは、顧客の生活環境等を大体把握している。
もしも何らかの自体が起きた時は…。
高齢者の多い地域ならば。この様な個人個人の連絡網が、万が一の非常事態の際に頼らざるを得ないのかも知れない。
なるべくならばそうならない様に、自治体での取り組みを願う他は無い。
観察第2章 人の歴史〜親子&港町の現状
映画は後半、それまでに何度か登場していた、話好きなおばあさんに密着する。
このおばあさんを通じて、島の現状で有ったり。ちょっと噂好きなところが有るので、「そこまで言わんでも…」と言った場面を挟みながら、エンディングへと突き進む。
このおばあさんのキャラクターが、次第次第に明らかになるのが圧巻で。思わず魅入ってしまうくらいに面白い。
このおばあさんの言っている事が、どこまで本当なのか?は、観た人の判断にお任せするとして。この作品全体が面白くなったのは間違いない。
但し、その反面。ドキュメンタリーとしての終着点が、ぼやけてしまう結果になったのは痛し痒し…と言ったところだろうか。
本来ならば、もっと島の現状。例えば、人口流出・高齢者問題。更には後継者不足…等の問題を、もっとはっきりと炙り出さなければいけなかったと思うのだけれど。
…とは言え、ドキュメンタリーは生モノで有るのは明らか。
それこそ魚で言えば【刺身】の様なモノだ!
素材さえ良ければ、そこに余分な付け合わせ等は要らない。小洒落たレストランが気取って出す《…○◉▽を添えて》…等とゆう料理は、素材本来が1番の刺身からしたら全く無意味なのと同じ事。
「こっちに行った方が面白いかも?」と思った方向へ舵を切った事で、作品がより面白い方向へ向かったのは事実。
そこには過疎化が進み。昔と比べて少なくなったとは言え、しっかりとした人間の生活の営みが映し出されていた。
2018年5月1日 シアターイメージフォーラム/シアター1
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