15時17分、パリ行きのレビュー・感想・評価
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運命にどう対処するかを描いたんだ
映画「15時17分、パリ行き」(クリント・イーストウッド監督)から。
一言でいえば「2015年にヨーロッパで起こった無差別テロの再現ドラマ」
これをどう映画仕立てにするか、監督の伝えたかったことは何か、
そんな視点でメモを取った。
最後のテロ事件に関わるまでは、
ごく普通の人たちが、ごく普通の人生を送っているシーンの連続で、
ややもすると、監督は何を言いたいのだろうか、と愚痴りたくなる。
時々「自分が動かされていると感じたことは?、大きな目的に向けて」とか
「『人生に導かれてる』って言ってたよな」
「大きな目的に向かって人生に導かれている」
こんな伏線となる台詞が散りばめられているが、それでも分かりにくい。
ラスト、功績に対してレジオン・ドタール賞という勲章が与えられた場面で、
プレゼンターがこんなスピーチで纏めている。
「アンソニーサドラーは、この事件での教訓は何かという質問に答えました。
人々に知ってもらいたい、危機に瀕した時は誰もが行動すべきだと。
そう行動すべきです」
さらに、追い打ちをかけるように、こう付け加える。
「レジオン・ドタールは、勇気だけでなくもあなた方の人間性への賞賛です」
あれ、そこまで考えていたのか?と、ちょっぴり驚いた。
ただ、鑑賞後に知った監督のインタビューで、納得した。
「運命にどう対処するかを描いたんだ」その一言で納得した。なるほどなぁ。
最高に馬鹿(誉めてる)
事件の当事者(ようは演技の素人)で事件を再現とか(笑)、イーストウッドじゃなければ糞映画必至となる題材をこうも素晴らしい映画にさせる。
んで、題材は「日常の市民の善性が時に英雄を生む」だから、事件自体をくどく派手にしたり、主人公にあまりイケメンマッチョな台詞も吐かせられない。
実際事件自体は後半にサラリと始まりサラリと終わる(笑) 少年時代や不遇の青年時代を前半に入れるのはまだしも、中盤からの長い長いヨーロッパ旅行は公平に考えても変な構成だ。しつこいがイーストウッド以外のどんな監督でも同じキャスト同じ構成でこれを撮れば絶対糞映画になるはずなのだ(というか絶対撮らないと思う)
で、よくよく考えるとすごく変なこの映画を爽やかな読後感の良質な映画にしたてあげてしまうイーストウッドは天才であり馬鹿なじいちゃんやなと思う。
映画だからこそ描けるリアリティがここにある。
前半1時間はドキュメンタリータッチの旅映画。
良くも悪くも映画を観ている感はしなかった。
しかし後半にさしかかり、事態は一変する。
主人公達が乗った列車にテロリストが現れるのだ。
それまで1時間に渡って彼らの成長と日常を観ていただけに、突然訪れる非日常と、そこで彼らが取った利他的な行動は胸に深く突き刺さった。
怪我を追いながらもテロリストを必死で抑え込むシーンに至っては、もはや祈るような気持ちで見てしまった。
映画を観ている感覚というよりは、「現場に居合わせてしまった」ような感覚が近い。
1時間かけて彼らがテロに出くわすまでの日常を淡々と描いていたからこそ、有事における彼らの勇気ある行動が浮き彫りになる。
映画と人の可能性を見た気がした。
本人が本人役を演じた実話。
クリント・イーストウッド監督。
2015年8月に高速鉄道で起きた無差別テロ事件を映画化。
列車に乗り合わせていた3人のアメリカ人青年がテロリストに立ち向かう姿を描く。
事件の当事者であるアンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンを主演俳優に起用し、当時列車に居合わせた乗客も出演。撮影も実際に事件が起きた場所で行われた。
(シネマトゥデイより抜粋しました)
ただの再現ドラマ
何方かが書いていましたが、話の殆どが主人公たちの子供時代と、大人になってもダメ人間のまま軍隊に入り結局自分のせいで脱落した話と3人で休暇を取って旅行した『だけ』というのは本当でした。
列車に乗ってモノの数秒でテロリスト(ただし1人で重火器持った、特に明確な目的も映画内で示されていない男性)を退治して表彰されておしまい。そして盛り上がる前にエンドロール。
これでは只の本人出演の再現VTRでしかない。「え?これで終わり?」と思ってしまう位あっさり風味でうっすーいラーメンみたいでした。
期待していただけに残念もいい所。
平和な道具
最初は幼少期から。
クリントらしくない現代っぽい撮影。
そう、現代に起きたテロのついての映画なのだ。
しかも出演してるのは本人というから驚いた。
だけど描写は、やはりずば抜けて素晴らしい。
母親たちは子供に悩まされつつも子供は
逞しく育つんだなぁと思い気付かされたのは後半。
軍での訓練や鍛錬も結果的に功を奏する。
そして旅やフレンドシップも人には欠かせない。
ただ、前半から中盤まで何が何の伏線なのか
単調でなくとも、ほう、ほうと観ているだけ。
ドキュメンタリーに近いのか…と気づいたところで
物語は旅行に出て電車に乗って急展開を迎える。
そこで、やはり3人寄れば文殊の知恵、伏線も
一気に回収、最後は案の定、観て良かったと
思える仕上がりになっている。裏切らないなぁ…
クリント様は必ず学びのある作品を観客へと
提供してくれる。今作は現代に各地で起きている
皆が直面するかもしれないテロというテーマ。
考えさせられると同時に3人の有志に感動しました。
ちゃんと映画見よう
この作品のレビューを見ていて「最初の方の観光いらないだろ」や「仰天ニュースで十分」と言っている人はこの作品を全く理解してない。
もし〜だったらということがこの話にはいくつもある。
もしあの時スペンサーが落第していなければ撃たれた人は助かっていなかった。
もし前日にクラブに行ってなければ午後の電車には乗らなかった。
などいろいろな偶然が重なって彼らは完璧な処置をとれた。しかし、それが運命に動かされた必然だった。というのがこの話の言いたいことだろう。
これを理解できずに上記のようなレビューをしている人は仰天ニュースのようなちゃんとナレーターが解説してくれる番組を見てた方がいいかもしれないですね。
蛮勇と奇跡と友情
新幹線でも事件があった、助けに入った男性が殺害された。理不尽である。
本作でも休暇中の軍人といえど丸腰で自動小銃を構えたテロリストに飛びかかる、運よく不発だったことは奇跡に近い。何故彼は行動できたのかを知るために幼少期を描く必要があったのかも知れない。
しかし、学校ではすぐに罰とか薬とか矯正したがるダメ教師ばかり。
問題児として虐げられた彼らの義侠心はどこから来たのだろう。
俳優を使わず本人たちを使ったのは理屈ではなく感じとってもらうしかないとイーストウッド監督は思ったのかも知れない。
評価の分かれる作品
クリントイーストウッドということで期待しすぎたかもしれない。
正直、中盤のヨーロッパ観光旅行を楽しむ主人公達の行動に眠たくなってしまった。
事件の当事者を役者として起用するという試みは新しいし、高齢のクリントイーストウッドがその試みにチャレンジしようとする姿勢には心からリスペクトしている。
が、私にはあの間延び感を楽しむことはできなかった。
テロが身近に起こる国の方々とは感じ方が違うことも要因なのかもしれない。きっと私には見ていてもわかってないことが多いのだろう。
残念ながら、厳しい評価になってしまった。
少し間延び感は否めない
3人の青年が電車内テロを止めるのを3人の人生を振り返りながら見ていくといった内容。
実際にあった事件と言うことでアクション映画さながらのド派手な銃撃戦ではなく、相手に武器を使わせないように鎮圧するという感じがよりリアルさ、生々しさが表現されていてよかった。
冒頭からテロのシーンとなるが3人の幼少期からの成長ストーリーが合間合間に挿入され、犯人を取り押さえるシーンの前に3人の過去のストーリーが終わるため、どのような心境で行動に出たのかが無理なくわかりやすく理解できるいい作品だった。
ただ逆にいうと事件のシーンだけではすぐに終わってしまうために3人の過去を合間に挟むという方法をとっていたため、早く取り押さえのシーンを見たかった自分としては引っ張られてるなと感じた。
総評としてはとてもリアルで、登場人物達の誇り等しっかり描けており、良い作品だったと思う
「(どんなことがあっても、)正義のためなら、行動するのです。
「(どんなことがあっても、)正義のためなら、行動するのです。」
ストーリーとしては、倒叙的に展開するのかと思いきや、
話の三分のニは、犯人を追いつめた3人の中学時代から成長を描きつつも、時々挿入される事件の場面ハラハラさせられる。これが監督の制作する手法か?リアリティが増幅する。
スペンサーを中心に描かれている。過去と現実の構築が上手い!と
思った。イーストウッドの作品を映画館で観させて頂くのは初めて
時間軸がフラフラしているのに、1本の完成された作品に仕上がっている。脱帽だ。3人の演技も素人とは思えない。
15時17分パリ行のこの列車に乗り合わせたという偶然と列車の中の緊迫感が上手く調合され半端ない。あの狭いスペースでの車内撮影はお見事。しかも、列車が、すれ違うという設定。何も言えねぇ。
フランスの田園を駆け抜けていく一筋の列車の美しさは、垂涎もの。
スペンサーが、事件後、列車を目の前にして語ったことに
涙が止まらなかった。まさに極上の感動。
「映画の素晴らしさ」を再認識をさせられた。
当事者による実演を知らなかったら?
当事者によるテロ事件の再現ドラマで、ラストシーンは本物の記録フィルムなのかな?
だけどラストシーンに、今まで演じていた本人たちが映っているのを見て、改めて現実に起きたことと気づいて衝撃を受けました。虚構と現実を混ぜながら、最後の叙勲シーンへの流れは素晴らしく、オランド大統領のスピーチも感動的です。
ここで、初めて観客が本人出演に気づくと言う演出だったら、愕然としただろうな。
ブレない信念が人を救うという美談
ブレない信念が人を救うという美談、が、英雄三部作(と、勝手にまとめた、アメリカンスナイパーとハドソン川)の共通項なのかな、と解釈しています。
壮絶な事件の救出劇描写があっさりしすぎ、との評価もよく見かけますが、映画化しなければ見ることのできなかった三人の少年時代の葛藤や価値観に焦点をあてているところにメッセージがあるのだと思います。
当事者起用の斬新さもさることながら、本人たちの子ども時代をリアリスティックに再現できるちょい似の子役を発掘しているのも、地味に素晴らしいと思ってしまいました。
子ども時代のスペンサーの部屋に「硫黄島からの手紙」のポスターが貼ってあるという小ネタ、見逃さなかったですよ。
本人起用で伝わるもの
正直今期の映画で1番期待薄だった今作
予告だけを観て、実話とのことだったのでエピソードもレビューも敢えて深く調べなくて正解だった
構成はリアルタイム、幼少期、列車に乗り込むまでの時間軸を丁寧に(ほんと無駄ではないかと思われるぐらい)描き、ラストに至るというスタイル
スペンサーとアンソニー、後から合流するアレクのあまりにも日常的なヨーロッパ観光の模様が永遠と繰り広げられる様で、意見が分かれる要因はこれかと悟った
音響関係に詳しくないので割愛するが、幼少期と現在と映し方に差があって、佐藤政道さんのNAが入ればさながら奇跡体験であるというほどにこれが映画であることを忘れていた
自分的にはナシではなかったようで、3人の観光は普通に楽しそうだったし海外未経験身からしたらあちらの日常的なホテルや景観は目新しく退屈せず観られた
ラストの展開もこれまた映画であることを忘れたというか、ザ映画的な展開はというと恐らく予告の緊張感がピークだろう
実話を基にした作品で、まさかの3人ともども本人役で出演という前代未聞の実験的な試みには感服した
その割には経験者でないかというくらい自然だったが…
幼少期、現在軸のゆるい観光模様はなくてはならない、これまでの絆と想いあってこそのラストの収束劇たと思うと感慨深い
映画を超えたドキュメンタリー体験だった
本国ではどちらかというと批判的な意見が多いようだけど、国民性というかなんというか比較的日本では受け入られている模様
公開からしばらく経っているせいなのか、上映シアターが4dxだったのは未だに謎
気付かぬ間に実は機能が仕事していた…?
事件を"リプレイ"する意味
原作未読。イーストウッド監督作品はいくつか観賞済。
ジャージーボーイズ以降のイーストウッド監督の実在の人物を扱った近年の作品に毎回感銘を受けていたので、この作品も劇場で観なければ!と思い観賞。
結果、今回もイーストウッド監督の「こう撮るか!」と言うアイデアと、それのみの映画にならない見せ方の巧さに感銘を受けると共に、三人の歩んだ道が結果的にあの事件へ導かれていた様に見えるのが、”1つのミスも許さない今の社会”へのメッセージになっているような気がした。
事件発生直前から始まり、少年時代、青年時代、旅行先での事と事件が交錯しながらストーリーが展開していくんだけど、観終わった後に思い返してみると事件解決の要因になった必要最低限のシーンしかないものの”必要最低限を切り貼りしただけ”とは全く思わず、三人の人生(主軸はストーンだけど)を観てきた充足感があった。
イーストウッド監督は最初役者で演じることを想定していながら、結果的に三人の自然な関係性を見て本人達でやる事に決めたらしいけど、自分は予めその情報を知っていて観たので本人達なんだって解った位、”演じる”ではなく彼らの事件へ至るまでの”リプレイ”を観ている様に感じる程、違和感の無い演技だった。
その"リプレイ"感を増しているのは、事件のシーンは主役の三人のみならず実際の列車に乗っていた乗客や、助けに駆けつけた警察官、レスキュー隊員まで本人役として出演させ、実際に事件が起きた車両と同型の車両(しかも貸し切りじゃなく運行中に二両使って!!)で撮影することで本人達が体験したあの状況が自ずとレンズに映ったっていうのもあると思う。
事前にこの作品の評で『事件を追体験する事で、本人達の事件に対するトラウマなどを克服するセラピー的な効果もあるんじゃないか』ってものも見たけれど、映画.comのインタビューを見る限り本人達も出演まで克服出来てはいなかったんだろうな…。
劇中で”自分の人生は運命に導かれている様な気がする”ってセリフがあったけれど、個人的にはそれが事件だけじゃなくその事件を執筆し、イーストウッド監督がその本に目を止め、本人達が本人役で演じること、そして(今後役者になるかわからないけれど)その先の未来へも運命に導かれている様に見えたし、自分も理想的な人生を歩んでいるとは思ってなかったけれど、この作品を観て”いつかはこういう風に人生を振り返られる様になりたい”と思ったなあ…。
もしかしたらイーストウッド監督がこの作品に惹かれたのも、自分もストーンと同じ様な事を思ってきたってのもあるのかな…?
と思ったらこのインタビュー(https://natalie.mu/eiga/pp/1517toparis)で近しい事を言っていて納得。
映画の多くは冒頭の五分間を見ればその作品のテーマ性が描かれているって聞くけど、この作品の場合は冒頭で「あなた方のお子さんは注意欠陥性障害(ADHD)かも知れません。薬品を処方された方がいいのではないですか?」と言われるけど、もし教師に言われるがまま薬品を処方してあの学校に居続けさせてたら三人が出会うことは無かったし、あのテロ事件でもっと多くの犠牲者が出ていたかも知れなかったのを考えると統計学とか一般論で縛り付ける、後からあの時ああすれば良かったんじゃないですか?みたいな、二元論でしか語れない人々はナンセンスだって言う様にも感じられた。
個人的には、もう1つ事前に見たこの作品の評で『旅行先のナイトクラブのシーンをイーストウッド監督はどう思って撮っていたんだろうか』みたいなものがあって、実際のそのシーンを観てみたら確かに(勿論それを知らない人は普通に観るだろうけど)イーストウッド監督がどういう感情で撮っていたのかとても気になるほどはっちゃけてるシーンで、イーストウッド監督の苦々しい顔が浮かんで思わず噴き出しそうになったw
お見事
一気に見れた。
なんなんだろう…これを映画と呼んでいいものだろうか?
メインキャストの3人は、ご本人らしい。
役者ではないのだ。
なのに…画面に違和感がない。
どんな魔法を使ったのだろうか?
英語は演技がしやすい言語だとは聞くが、ここまで違和感のないものなのか?
本人達に照れも気負いもない。
カット毎のつながりも悪くない。むしろ同じ動作が出来てたりする。
エンドロールにボイスなんとかってのがコールされてて、アレが何のパーツを担ってたのか知りたくはあるのだが…。
役者じゃない人達に、役者と同等のものを要求し成立させた監督の手腕に驚く。
いや、ホントに。
今、思い出しても犯人に突進していったスペンサーの目は忘れられない。
気負いも恐怖もない。
捨石になる覚悟が常にあるわけもないだろうが、彼は躊躇なくその身体を銃口の前に投げ出した。
彼のその表情をチョイスしたのか、彼がソレをやったのかは分からないが、アレを本編に採用したのは間違いなく監督なわけで、どんな空気を作ればソレが可能なのか。
ホントに驚き、畏怖の念すら抱く。
物語自体も妙な構成で…。
彼等の子供時代から話しは始まる。
普通の少年達だ。
日本と違うのは銃というものに親しみがあり、軍人に対して憧れがあり、戦争という非日常が華やかな舞台でもあるかのような言い草をする点だ。
前出したスペンサーは、フランス大統領を前に、軍人よりも軍人らしく直立してた。
彼は、落ちこぼれで、その半生はオタクと言ってもいいんじゃないかと思う。もっと言うなら痛い部類に入る人間だ。
フランス旅行では、何気ないやり取りが延々と続くき、彼らの現在が紹介される。
品行方正なわけでもない。
かといって素行が悪いわけでもない。
どこにでもいる一般人。
それがスペンサー氏のスペックで日常だ。
彼が飛び出したのは「スペンサー、ゴー」の一言だ。しかも、何故そこなのかっていうくらい遅い。リアリティといえばそうなのだろうが。彼は友人のそのたった一言で、躊躇なく命を投げ出した。
偶然にも銃がジャミングしてて発泡はされず、彼は犯人に体当りをかまし突破口を開いた。
…ホントに社会派な作品だと思う。
この彼の生い立ちや言動を記録し観せる事は、暗にアメリカという国が不可抗力であれ何であれ、軍事活動を推進し、それが幼少期より刷り込まれてるっていう現実だ。
勇気はあったと思う。
ただ、彼のバックボーンからはヒーロー思考も読み取れる作りにもなってるように思う。
そんな事を無用とも思える旅行記を思い出しながら考える。何の為にあのシーンは必要であったのか?
どおして本人でなければならなかったのか。
単なる英雄譚では無い何かを考えずにはおれない作品だった。
本人で撮るところがすごい
あまりにテロが多過ぎて、その一つとしか認識できていなかった。
犯人でなく、取り押さえた側の背景がこんなものであったとは。
急いで選んだので、本人が演じているというのを、エンドロールで知った。すごい。
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