劇場公開日 2018年3月1日

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「歴史とは、英語でhistory 神の計画が語源だそうです」15時17分、パリ行き あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 歴史とは、英語でhistory 神の計画が語源だそうです

2025年9月25日
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15時17分、パリ行き
2018年公開
2015年8月に起こった実話の映画化
主人公3人は本人が演じています
つまりイーストウッド監督の狙いは、できる限り事実を忠実に再現したいということです
それは、映画的に盛った演出を排した映画を撮るということを意味しています
なので、普通の映画のような構成や感情の盛り上げとか、掘り下げて観客の感動や共感を得るとかという計算は投げ捨てられています
だから、ここをこうすればもっと盛り上がるのにとか、感動するのにとか、カタルシスがあったのにとかついつい思ってしまいますが、それは最初から監督は目指していないと言うことだったと思います
むしろ、そう感じて欲しかったのだろうと思います
そうなってこそ、本作は成功だと、監督は考えていたのだと思います

冒頭の映像からして、YouTubeの素人動画みたいな映像で始まります
もしかしたら、本当にiPhoneで撮影したのかも知れません
劇中の観光シーンなどはYouTubeそのままの映像です
わざと意識して模しているのかもしれません

そのように、普段私達観客が目にしている演出のない世界の中で、異常な事件が起こるその光景をそのまま映画にすることで、神が人を選び動かしていることの人智を超えた運命の不思議さが本当にこの世の中にあるのだと浮かびあがるということを狙ったからだったと思います
そんなこと頭で考えてみても学生の自主制作ならともかく、劇場用映画として成立してしまうのですから、やはりイーストウッド監督の手腕のものすごさを感じ思ました

歴史とは英語でhistory
彼の計画という語源だそうです

いざそのとき、あなたなら動けるでしょうか?
普通の人間なら逃げだすか動けません
しかし、あらかじめ神の計画にそうなっているのなら、何も考えていなくとも勝手に身体が動いているのでしょう
だから本作とは、神が人をえらび奇跡を行ったその瞬間を撮るということなのでしょう
落ちこぼれの三人が小学校から友達になることも、主人公達がナイトツアーで酔いつぶれて二日酔いになってしまうのもすべて、神の奇跡の瞬間だったことにほかなりません

私達の毎日の一瞬一瞬がすべてそうなら?
ありとあらゆることが神の計画による介入なのなら、人間の個人の意思とか、努力とかは全く無意味なのでしょうか?

きっと監督はそこまで観客に考えさせたかったのでないでしょうか?

ラスト間際、車椅子に乗ったスペンサーが次のように独白します

「神よ、私を平和の道具にしてください

憎しみには愛をもたらし
諍いには赦しを
疑いには信仰を
絶望のあるたころに希望を
闇のあるところに光を
悲しみには喜びを

人は与えることで受け
赦すことで赦され
死ぬことで永遠の命に甦るのです」

2018年な本作公開以降
アメリカは世界の警官を辞めアフガンから逃げるように撤退しました

平和の道具になるなど、もうまっぴらだと言っているようです

さらに時は流れて2025年、ガザ紛争にもウクライナ戦争にも米国はもう決して平和の道具にはなりたくないようです

それでも、神の計画がそうであるのなるのなら、より人間一人一人の意思や努力こそが一層神から求められているのかもしれません

ますます暗くなってゆく21世紀の暗闇のなかで光を求めることの意味を監督は普通の人間の私達に考えて欲しかったのではないでしょうか?

そんなことを考えさせられました

あき240
こころさんのコメント
2025年9月25日

あき240さん
ミサイルが飛び交う今の戦争は本当に恐ろしいですよね。
終わりのない軍事侵攻、国家レベルだと卑劣な行為が黙認される悲しい時代となってしまいました。

こころ
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