「「悪意にだけ反応していて、何の意味がある?」」響 HIBIKI megapureさんの映画レビュー(感想・評価)
「悪意にだけ反応していて、何の意味がある?」
「悪意にだけ反応していて、何の意味がある?」
マンガが原作、映画版は、別バージョンと考えます。
主人公の名前は、ひらがなでは、「あくいひびき」。
「悪意」に「響」いて(反応して)
【問題行動を起こす】女子高生が主人公です。
問題行動が、【一面的な、一方的な】正義感に基づいていて、
暴力を伴って、「受け身的な」正義を振りかざす、
【極めて後味の悪い】【吐き気がする】作品です。
どこか人間性の荒れた地域にいる女子高生。
髪の毛は毛先がギザギザ(不快感を与える)、
「悪趣味をヘアスタイル」にした、近寄りがたい
陰を負った女性です。
その彼女と彼女がいる周りで、
侮辱や罵倒などが起こり、
彼女は、【暴力を使って】解決していきます。
※全く、参考になりません
彼女は、暴力をふるった後、
だって、ケンカを売られたから、○○ちゃんがいじめられたから、
と、【いじめからの防御を理由に】暴力を正当化します。
「幼稚園児的な」正義です。
彼女には「人間性の成長のかけらもなく」、
また「まともな人間として生きる心構え」もありません。
原稿提出のルールも守らないし、
行く先々で暴力事件を起こして、
周りに迷惑をかけ続ける。
映画内で、「天才」「才能」等の言葉が飛び交いますが、
小説そのものの一部は一切内容が明らかになりません。
本当に、そんな「どうしようもない」「絶望的な」人間の
書いた小説が、【まともな】面白さを持っているのでしょうか?
「異常な世界の」「歪んだ思考・精神内容」を
小説内で記載して、「評価?」されているだけでは
ないでしょうか?
普通の日本人なら、こう思います。
「髪型、もっと爽やかだったらいいのになぁ」
「可哀そうに、だれかまともな人に育ててもらえなかったのかなぁ」
「家庭環境が複雑なんだろう」
「演じてる女優さんが可哀そうだ。もっと素敵な役柄がいくらでもあったろうに」
「日本人女性はもの静かでおしとやかであってほしい。暴力女性はごめんだ」
「世の中には嫌なことはいっぱいある。どうして暴力『でしか』解決できなかったのだろう」
「小説と出版業界に対する絶望的な想い。まともにしていこう、良くしていこうという思いがない」
「最初から最後まで問題行動が続く。『天才』『才能』のもとに暴力が肯定される。邪悪なキャラ設定」
「暴力を振るわれた人たちは、『映画のふれこみと違い』誰も再起や成長を遂げていない。闇過ぎている」
こんな人間の【絶望的な扱い方】を、
「一般的な日本人の女性、女子高生であるかのように」
映像表現にしてしまって、
日本と日本人は恥ずかしくないのだろうか?
「まともな」日本と日本人は描かれないのだろうか??
この原作や映像などを盛り上げた人たちの一部が、
【非日本人な】人たちで、海外で映画賞などを受賞?後、
日本と日本人を貶めることに使われる「工作活動」だとしたら、
「手放しに」評価してよいのだろうか???
この作品を観た時間とお金、
そして見た後の、長く続く不快感を、
戦後の「反日」日本の、「反日」女子の模範例
と考えてもよいのではないか?
私はこんな女性に恋愛をすることはない。
まともで真っ当な女性としか付き合うつもりはない。
最初から最後まで、
【不快感の湧き出た女性が、不幸に描かれた】作品だった。
きっと【描かれていたのは日本人ではなかった?】のだろう、と。
善意と良識、悪意に対する「まともな」女子としての対応こそ、
本来、邦画が描く必要がある
【今どき絶滅しがちな】『日本人女性の』ごく普通の在り方だろう。
一切そのような表現は存在しない。
「不快感」と「悲哀の涙」しかなかった。