「何を観せられたんだ?」響 HIBIKI ぞろさんの映画レビュー(感想・評価)
何を観せられたんだ?
このレビューの題名は「響」鑑賞後の一番の感想だが、私がこの夏欅坂46の野外ライブと全国ツアーを観終わった後の感想と同じだった。
これは果たして映画なのか?
平手のは演技と呼べる出来だったのか?
鮎喰響と平手友梨奈が極めて似ているという部分以外には何の意味があったのか?
映画として考えると疑問だらけだった。
このなんちゃって映画と平手は、現在の欅坂46が抱える問題と平手の立ち位置と同じだ。
劇場鑑賞後に色んなインタビューや監督、平手、共演俳優のコメントなど目を通してもやはり観て感じたままだった。
平手の意見を各所に取り入れたばかりに監督の存在がまるで無いかの様。
(監督が平手にヘソを曲げられるのを避けていた様なエピソードもあった。)
監督も共演者もメディアも客もこぞって「天才」「カリスマ」と持ち上げ、平手さえ存在感を示せればそれで良いかの様な反応ばかり。
「響」が映画という作品であることから皆目を背けている。
欅坂46もまた「=平手」としか思われ他のメンバーの存在が薄いのと同じで「平手坂46」と揶揄される様に、この「響」は平手絶対主義な異常で歪な映像でしかない。
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