「平手さんのファンの人が好きというのは否定しない」響 HIBIKI 彩星さんの映画レビュー(感想・評価)
平手さんのファンの人が好きというのは否定しない
私は響の漫画が今まで数千冊の漫画を購入し読んできていますが、その中でも一番好きだといってもいいほど響が好きです。
ですから実写化だろうと何だろうと響という漫画がより大勢の人の目にとまるこの機会をとても喜んでいました。
ですがその期待と喜びは開始早々裏切られました。
涼太郎の響に対する変態レベルは消され響も喜怒哀楽の表現もこうすればこう見えるでしょといわんばかり棒芝居。喜び、楽しい状態を笑いだけで表現し怒ってれば突っ走ればいいと響の持つ強さ、狂気というものを感じられないなどといった私の知る響は画面にはいませんでした。ふみの北川景子さんは映画を観る前まではふみの小説に対する愛、小説家に対する尊敬などといったふみの持つ芯の強さを表現してくれるかもしれないという期待はありました。欲を言えば天海祐希さんの芝居を北川景子さんにしてもらえれば個人的にはベストだったのですが、映画のストーリーでは響は世間に顔が割れ漫画でのふみの格好良さが失われていました。
凛夏に関してはまぁべつに色黒ギャル出なくなったから文句を言うつもりはありませんがシンプルにただ単に親が小説家の本を書く女の子という感想。面白い本、つまらない本を棚ごとに分け響に本を入れ替えられてむきになってるのはただ台本がこうなってるからビンタしてるだけにしか感じなかった。
隆也は全てが変えられる芝居も下手。ただの響のアピール要員だった。
そもそも響を強く見せようと周囲の人間の強さを消した響ちゃんさいきょーってゴミストーリーとかしていた。
私は映画館を出たあと本当に泣き崩れました。私の好きな響が殺されたと感じたからです。
ですが私も好きな俳優さんや声優さんがでてる作品を贔屓してしまうところがあるのでキャストが好きな人は見て、原作も読んでいただけると幸いです。
私はこの映画に0点すらつけたくないというのが本心です。
原作と映画の違いは、大昔からあるテーマです。小説の映画化だと主人公の顔まで思ってたのと違う感があって、原作ファンは苦しみます。
それを踏まえて。
面白い映画だったと思います。彩星さんの説明で、響の性格や周りの人たちのキャラなどよくわかり、納得することが、たくさんありました。
ぼくは電子ブックの1話無料で、部室で本箱を倒すところまで読んで、映画を観に行きました。平手さんは、PVでテレビを蹴る存在感に圧倒されてからのファンです。といってもぼくは平手さんと同世代の娘を持つおじさんです。
映画という限られた世界で、それぞれのキャラクターを出すために台詞やカメラ割りなどよくできていると思います。響の暴力も単なるキレるのではなく、小説への愛、信頼する人への愛を感じました。文さんの小説、文学への尊敬の気持ちは感じました。
映画で、このくらいならマンガがどれほどのものかと期待が盛り上がりました。
彩星さんがマンガ自体に詳しいようなので、予告で見た『アリータ』の原作『銃夢』読んでください。ぼくの大好きなマンガで、とうとう映画化されたと楽しみにしています。映画とマンガの違いを聞いてみたいです。
映画の中に原作の様なかっこいい響がいたのかということですが、本当であれば木根さんが何代目ボンドが好きか聞かれた時の様に響を読み直してちゃんと答えたい質問なのですがすぐに読み直すことができないのですみませんが今の気持ちで答えさせていただきます。
時間をおいて映画のことを振り返ってみると個人的には漫画を映画化したものではなく映画響は原案が漫画だったと思うことで今の私は落ち着いています。
素直に述べると漫画の響は映画にいなかったと思うのです。一緒に映画を観た友人はジャンプ漫画の様なものとしては楽しめたと言っていましたがそれは響ではないと思います。
映画響は信念のある暴力ではなくただ単に心のストッパーを持たない暴力の様に感じる。
暴力を振るうことについて批判する人もいるとは思いますが個人的には現実で無ければ表現していいと思う。それを見て嫌悪感を持ったりすることは表現してる側にとって喜ばしいことだと思うのです。
また話がずれそうになってきたので戻すと映画の響は漫画の響に比べ圧倒的に考えさせる点が少なく感じました。
以前本屋で読んだ試し読み一話で響を追うライターの話が取り上げられていましたが漫画ではライターの子供を想う気持ちが書かれた上で響に私もお父さんとお母さんの子供だというセリフが胸に響くわけで、映画だと子供の写真を見た響がそのセリフを言うのですが正直だからどうしたのと映画では思ってしまいました。
すみませんが自分にはどこが良かったか書かないのでそういった点は他の人の評価を覗いてみて頂きたいです。
お役に立てず申し訳ありません。
丁寧な返信ありがとうございます。
響に影響を受ける人たち皆が主役の物語、素敵ですね。
映画は限られた時間の中で何を見せて伝えるか難しいですね。
ただ映画を見て原作に興味が湧いた方ももちろん沢山いるので、1つのきっかけになったと思います。
原作を読むときは響以外の、周りの方たちの物語にも注目して読んでみますね。ありがとうございます。
このサイトを使うのが初めてで思ったより読んでくれている人がいるみたいなのでもしよければコミック版の感想も少しだけ書かせていただきたいと思います。
私が持っている漫画で面白い作品をあげてと言われたとして正直にいうと響を真っ先にあげたりはしません。ただ好きな作品でいうと響は真っ先にあがります。
私は以前役者になりたいという夢をもっていて今では生活のために諦めてしまいましたが響という作品には小説家のなり方だけでなくなれなかった人々が書かれていて私はそれに共感するところがあります。
映画に取り上げられなかった人もたくさんいる中で図書館では響の書いた部誌をよんで自分を悟った人の話とか私は好きです。また今回の映画に登場した人物もコミックではまだ登場しますのでできれば読んでいただきたいです。
響という作品は響がどんなにすごいかを表してる作品だけではなく響に影響を受ける人々が皆主役の話だと私は思っています。具体例をあげながら語れれば楽なのですがとにかく読んでもらいたいというのが私の気持ちですのでこのくらいで失礼させていただきます。
書き方が間違ってました。すいません。凛夏の小説を愛し本棚を分けるという行為に自分の部屋をそうするのであれば自己満足という点でもするかと思いますが部室のような自分以外の人もいる空間でそれをやるのは理解してくれる共感者、親友になれる人が見つかるかもしれない手段と読んでいた私は考えていました。それを理解し友達になった響が現れました。
ビンタしあったシーンは凛夏の小説を出し評価を響に言われてしまった所のことですが、正直あの凛夏の役には初めて世に出す子供を愛する気持ちが感じられなかった。それは漫画での凛夏はいい意味であっさりしている部分も持ち合わせているのが映画では見受けられなかったからかもしれません。ただ漫画の響を私が好きなところは響が自分の書いた小説は読んでくれた人自身に向けて書いたと思ってほしい。そしてそれは響にとっても同じで読んだ小説は自分に向けて書いてもらったいうことで好きな小説家に握手を求め喜んでいるシーンにそれを感じます。
話が逸れてしまったのですがビンタしあったシーンは凛夏がただの小説好きな可愛い女の子にしか見えず個人的にはつまらないシーンだったということですかね。
コメント失礼します。
漫画を数千冊もご自身でご購入されてるんですね。
その中で響が一番お好きとは、思い入れが本当に強いと思います。
原作は途中までしか読んだことがないですが、数千冊の中の一番ですごく興味が湧きました。私も揃えて読んでみようと思います。
>面白い本、つまらない本を棚ごとに分け響に本を入れ替えられてむきになってるのはただ台本がこうなってるからビンタしてるだけにしか感じなかった。
というのは、どのシーンでしょうか。