志乃ちゃんは自分の名前が言えないのレビュー・感想・評価
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女優と女優。
高校生の話だが、この映画を撮影した時、志乃役の南沙良も加代役の蒔田彩珠も中学生だったという。マジか。マジですか。
思春期の揺らぎをみごとに演じられたのは、思春期の女の子たちが演じているからだろうか。いや、そんなビギナーズラックみたいな話ではない。自分たちの声を、動きを、感情をコントロールして表現しているからこそ、これだけの作品ができたのではないか。
というのも、例えば志乃が感情をほとばしらせて泣くシーンで南沙良からみごとな洟ちょうちんが垂れる。形だけの演技ではあんなものはそうそう出るものではない。蒔田彩珠の音痴という演技も、クライマックスでは最高の感情を運ぶ武器となる。
中学生だとか高校生だとかは関係がない。女優と女優の素晴らしい演技に終始惹きつけられた。そして菊池くんは本当にウザかった。物語的には彼のいいところが見えてくる構造だと思うのだが、そんな気分になれないくらいガチでウザかった。菊池、ウゼえんだよテメエ!
原作者の思いを見事に昇華した
撮影期間が2週間という厳しい条件だったそうだが、非常に素晴らしい青春映画に仕上がっていた。メインキャストの3人がとにかく輝いている。
吃音の女の子が主人公だが、原作者の「ただの吃音漫画にしたくない」という思いを映画製作サイドもよく汲んでいる。原作よりも存在感を増した菊地など、主人公と対象的な存在の、対象的な悩みを描くことで、主人公の悩みは独特なものでなく、青春時代に誰もが抱くものであることが強く押し出された。
志乃は上手にしゃべれないが、菊地はしゃべりすぎてしまう、加代は歌が下手と三者三様の悩みを等価に描くことで、吃音の特別感を原作以上に上手く打ち消している。
ラストの加代の絶妙なヘタクソな歌が心に沁みる。あの年頃の、あの瞬間ではなくては歌えないと思える、そんな特別な感動のある歌だった。
そこに友達がいてくれるだけで世界はまばゆく変わる
高校生活が始まる。出かける前に鏡の前で繰り返した自己紹介が、みんなの前だと何故かスムーズに言えない。志乃ちゃんは吃音を抱えた女の子。冒頭の5分間、彼女の胸につかえた思いが痛いほど伝わってきたのは、かくいう私も学生時代に軽く吃音っぽかったからだろうか。
だが、本作は決して吃音だけに特化した映画ではない。そこから見えてくるのは、誰もが何かしら悩みや苦しみを抱えて生きている、ということ。そして、そこに友達が静かに寄り添ってくれるだけで、人生の見え方は180度変わる。
現に冒頭のシークエンスを抜けると、不思議なほど温かみのある映像に包まれる。そしてこれまで一人で奏でていた単音の人生にもう一つの音が加わり、映画の色調も「表現すること」をめぐる和音へと変わっていく。その神々しさ。類い稀なる青春映画を真摯に奏でた演出に敬意を表すると共に、主演の二人はもちろん、いい味を醸し出した男の子も高く評したい。
これは私の話。きっと大勢がそう思う
コミュ力が高くて新しい学校でも新しい職場でもすぐ友達ができる人や、容姿や運動神経に恵まれ小さい時から周りにちやほやされてきた人なら、共感できないかも。けれど、初対面の人と話すとき緊張したり、多くの人の前で話すのが苦手だったり、外見やそれ以外のことで劣等感があったりする人なら、きっと「志乃や加代は自分だ」と思うはず。
南沙良と蒔田彩珠が、高1の春~夏を不器用だけど懸命に生きる志乃と加代を瑞々しく体現している。2人の路上ライブのシーンもいい。ブルーハーツの「青空」、ミッシェルガンの「世界の終わり」を女性デュオでやるという発想にも感心。歌詞もちゃんと物語につながるし。
原作の舞台は押見修造の出身地・群馬県(背景に西桐生駅が描かれるコマがある)だが、映画では沼津、下田でロケを行い、多くのショットで背景に海が映り込んで青春にふさわしい「青」があふれる。心から推薦したい傑作。
girl meets girlの物語で映画祭での受賞もあり説明する...
仲間がいれば新しい一歩を踏み出すことが出来るよ
この映画の撮影当時は主演の二人が中学年だったと言う事に驚きました。
吃音で上手く話せない志乃。
音楽好きだけど音痴の加代。
空気が読めずいつも浮いてる菊池。
彼女たちだけじゃ無く、それぞれコンプレックスを持って生きている思春期の子たちは沢山いるでしょう。そんな子たちにとって友達や仲間との出会いはかけがえのない物。決してその場に逃げこむものではない新しい自分への挑戦です。
吃音であってもなくても人前で話す事が苦手な人はいます。でも友達の前では、友達のためなら、新しい自分を出す事が出来る。
文化祭での志乃役・南沙良ちゃんの涙は本物の心からの叫びでした
加代役・蒔田彩珠ちゃんの歌声は正にあの声こそが魔法そのものでした。
自分の弱さに真っ向挑んで行く姿は美しい。
そしてその先には新しい出会いがあり、新しい仲間が待っているはずです。
最後の志乃を見つめる加代の笑顔は実に素敵な笑顔でした。
いい映画を見ました
ギターのイントロに乗れば、ようやく語り出せる自分の言葉
「これ70年代〜80年代の映画だったっけか?と、思わず 映画情報を確かめた僕です。
音楽がね、う~ん♪ 良いわ~ 〜♪
『翼をください』(1971) 赤い鳥
『あの素晴しい愛をもう一度』(1971) 北山修 ,加藤和彦
『世界の終わり』(1996) ミッシェル・ガン・エレファント
『青空』(1989) THE BLUE HEARTS
そして本作のためのオリジナル曲
『魔法』だ。
詞:原作者押見修造、作曲まつきあゆむ、〈 歌 しのかよ〉
あの時代を生きてきた親たちと、
そしてその子供たちに捧げられた
こんなにもノスタルジックで、かつ新鮮な青春グラフィティ。
橋の上で歌う彼女らの姿に、こちらはいつしかオーディエンスになって、体が揺れてしまっている。
トボトボ と、
自転車を押して歩く志乃ちゃん。
志乃ちゃんは独りで歩き、
加代と歩き、
一緒に二人乗りをし、
ついにあのジャケット写真となる。
DVDは、レンタル店でジャケ買いならぬジャケレンタルになる事が多いのだが、
僕は本作は、パッケージ写真がとっても良くって、大好きだ。
・ ・
実はこの僕も、
どもり(吃音) があって、辛かった。
小学生のころ、お使いで「タマゴ」を買うのにとても苦労した思い出がある。
どうしても《最初の音》 が ・・ 出ない。
目を白黒させる僕のことをお店のおじさんは辛抱強く、辛抱強く、辛抱強く、待ってくれたのだけれど、
結局「ニワトリが産むこういう白い丸いもの、ありますか?」とやっとのことで僕は言ったのだが。
だから、
今では当たり前の「スーパーマーケット」とか、「セルフレジ」とか、言語障害の人たちにとっては まるで天国のような時代が来たんだと思っている。
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」
映画館の館内には、どの会場にも関係者や 当事者たちが きっと来ていただろう。そして暗い館内で静かに着座して、あの志乃ちゃんと加代の対話を見ていたはずだ。
原作者は漫画家さん。喋れなかったこの押見修造さんという人が漫画を書く人になり、志乃ちゃんがメモ帳に自分の声を書いたように押見修造さんは漫画で語った。
それが映画になった。
対人関係の扉を開いてくれた初めての友だち=加代。その加代は他の男子に夢中になり志乃ちゃんとは距離が出来る。
そこも嘘がなくて、とても良い高校生活のありのままの姿と言えるのではないかな。
3人が3人とも自分のコンプレックスを打ち明け合ったことから、一旦結束した彼らが、そしてようやくバラバラに自分だけで歩き出す、
そこが物語にリアリティと生命を与えている。
あと、
志乃ちゃん役の南沙良さん、やり過ぎて《どもり》にならなかっただろうか。少し心配。
そして、《どもり》持ちは、これはどうしようもないし、申し訳ないんだけれど、吃音仲間がとっても苦手だってこともあるんだよね。わかるよね。
必至なのは分かるが?
BSで録画視聴。
志乃ちゃんはなかなか喋る事ができない。
それでも友達とおしゃべりしたい思いは観ていて伝わった。
ただ、このような青春映画は何か訴えかけるものがあっていいのだが、この作品はただ、淡々としている感じがして残念だった。
なりたい自分と現実の自分
人の仕組みとは、どうしてこんなに複雑なんだろう。
母の前では何事もなくスラスラと言葉が出る志乃が、ひとたび場面が変わるだけで発話障害を発症する。
自分にその障害の経験がない者からすれば、担任のように「落ち着けば大丈夫」「ゆっくり話してごらん」などと発話者自身の気持ちに寄り添ってリラックスさせてあげればいいのだろう思うかもしれないが、それがかえって当事者にとっては「ありのままの自分を否定される気持ちにつながる」ということへの想像は、通常なかなか持てない。
ましてや、ついこの前まで中学生だった子どもたちの、新たな人間関係づくりの場。
心ない言葉をぶつけてしまう容赦なさも生まれてしまう。
そんな中で出会った加代。
「書けばいいじゃん」の一言が、志乃にとってはどれだけ温かかったことか。
とはいえ、その加代に対しても、加代の音痴を思わず笑って傷つけてしまう志乃。
でも、それこそがリアルだし、2人の主人公をはじめ、登場人物に安易なレッテルはりをせず、日常の軋轢を丹念に積み重ねて、わかりやすい展開に落ち着けないよさが、作品の豊かさにつながっていた。
途中、志乃と加代2人で、少しずつ世界を広げていく時のあの無敵感がたまらなく眩しかった。
決してうまい訳ではないのに、聴くものの胸を打つ2人の演奏。
久しぶりに聴いたブルーハーツの「青空」に思わずホロリときた。
そして、クライマックスの加代のカッコよさ!
今日もいい映画を観た。
本物の友情は親切な顔をして近づいてこない
なぜこのタイミングでこの作品をNHKが放映したのか。劇場で鑑賞した5年前は気づかなかったが、脚本は足立紳である。23年度下期の朝ドラの脚本を担当している。
彼の脚本には特別な人が登場しない。ハンディキャップがあるからと言って、「普通の人」よりも忍耐強かったり、粘り強かったりするわけではない。往年のスターにも自分をコントロールできない面があったりもする。
そして、最初から親切で優しい顔をした友情も描かれない。むしろ、人の心の中へずけずけと入り込んできたり、突き放したものの言い方をしたりする人間が、互いの弱い部分を理解し、強い思いで結ばれていくのだ。
ずるい人間、弱い人間が、ささやかかもしれないが、確かだと思える一歩を踏み出す瞬間を描かせたらいま右に出るものはいないのが足立紳という脚本家ではなかろうか。
青空
惜しいな
サンキューよりありがとう
吃音で悩む子、最近あまりいない気がします。 まだ洗練されてない南沙...
あのラストは何?
弱者同士が集まるのはいいかも
良いが重い
みんなハンディキャップはあるよ
志乃ちゃんは高校一年生、みんなの前では緊張してうまく喋ることが出来ず、ひとりぼっちだった。
同じクラスの加代ちゃんは音痴、いつも怒っているようで、ひとりぼっちだった。
こんな二人が友だちになり加代ちゃんとふたりでバンドを作ることに。
うまく行っているように見えたが、同じクラスの過剰コミュの男子が近づいてきて・・・。
みんなハンディキャップはあり、乗り越えるか、うまく付き合うしかないと思う。
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