「不快のナニモノでもない。」ザ・スクエア 思いやりの聖域 Jungar1971さんの映画レビュー(感想・評価)
カイゼルスさんへ
あなたのレビューはないのによくよく見ると色んな他の人のところにあちこち書き込んでおられるご様子ですが、
この映画作品が、映画を楽しもうと劇場に足を運んだ人から楽しめなかったと評価されたからといって、その人が目の前で人が倒れても助けない薄情な人だとは全くイコールにならないことをよくよく理解された方が良いですよ。
私でも目の前で突っ伏して倒れていたお婆さんを見て驚いて介抱したことがありますし。
人への親切は自分の余裕があればするというスタイルの人がいてもいいし、上記のように本当に困っている人が目の前に現れたら普段ない妙な力が沸き上がってそれが出来るようになったり人それぞれです。
その程度の事を、わざわざお金を払って時間を割いた映画から、観客に気付かせたい なんて試しノリで観せて貰わなくとも少なくとも私は結構です。
あと、人助けは事態の規模によりけりですが、率先して出来る有能マンが数人先に動いたなら、後の烏合の衆は余計な手出しは不要というケースもありますよ。
なるほど、そう言う観かたもできる映画でした。
しかし、終始中途半端なバッドエンドです。
「時計じかけのオレンジ」に似た観てる方もググッと痛みを覚える演出はありましたが、自分には不快のナニモノでもありませんでした。
なにも映画に不快さは求めていません。
現代、現実の教授、不快さも求めていません。
最低、中途半端映画としか言えません。
マイナス点でしょう。
こんな映画に付き合っている時間は、私には無いと断言できます。
不快と感じてるのに、他は何も感じないのが残念です。
今の現代人も一緒だと思いませんか?
自分(たち)自身良ければ、周りはどうでもいい。
それを明確に描き出した作品なのに。
タイトル通り「お、も、い、や、り」が希薄になっている日本にうってつけの作品だと思いますよ。
少年→うるさいし、しつこいですけど、自分も少年の立場だったら、近しいことはしそうです。
ゴリラの役者→自分が助かればいいのか、誰も助けようとはしない。最後ようやく一人が動いて全員が動く。情けない。勿論、僕もそれが出来るか?と言われると後者の誰かが動いてから動くになるでしょう。
それを考えると心に刺さりました。
主人公の部下→有言したにも関わらず、まともに実行せず、挙げ句の果てに自分を守ることしかしなかった。
ちょくちょくニュースで、誰かが倒れた時に写真を撮って助けようとせずに、助けている人が怒って、写真撮るんやったら、電話かけろやなどと当たり前のことが出来ない人が多くなって来ていると思いませんか?
この作品はそれに気づかせてくれるための作品だと思いませんか?
タイトルにある通り「おもいやり」が希薄になって来ているからこそ、今見るべき作品ではないでしょうか?
もし思いやりがあったら、こうなったのではないか?と最後の終わり方は気づかせてくれる終わり方は素晴らしい終わり方はだと思いますよ!