「感情と理性のアンバランス」ゲティ家の身代金 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
感情と理性のアンバランス
「ゲティ家の身代金」は実話ベースのサスペンスだ。前から思っていたことで、レビューにも何度か書いたけど、実話ベースの作品のカタルシスの無さは、まぁ特徴の一つみたいなものだから仕方ない。
変に盛り上げようとしても、エンディングがパッとしなかったり、そもそも盛り上がるような起伏がなかったりするのは、実話なんだから仕方ない部分なのだ。
「ゲティ家の身代金」もラストで手放しには喜べない感覚があって、でもよくよく考えてみると、それはさっき挙げたような「実話の宿命」とはちょっと違う。
この映画にまとわりつく「薄気味の悪さ」は、もっと映画全体の描き方に起因した、わざと違和感を持たせるような作り手の意志、の成果だと思う。
誘拐の身代金支払いを拒否し、クリーニング代をケチり、客に電話料金を払わせる、観ている側の常識をことごとく打ち破ってくるゲティ氏。
「お金持ち」に対して抱くイメージを粉砕することで、ゲティ氏は予定調和の外に出る「人間味のある人物」になる。
母親であるゲイルもまた、泣き崩れて同情を買ったり、電話の前でひたすら待ったりなどせず、最善の手を繰り出そうと奔走する。
息子が誘拐されたからって、生活も人間関係も待ってはくれない。親権を巡って弁護士と話し合いをしなくてはならない状況が発生していたら、我が身を哀れんで泣いてる暇などないのだ。
人物のリアルな一面が描かれているのに対して、映画の中の人間関係は恐ろしいほど人間味がない。ゲティ氏の視点が一番わかりやすいが、彼の中では絵画も株も人間も同価値だ。すべてが「収入と支出」という尺度で測られ、得るものと失うものというシビアな目線で世界を見ている。
その違和感が、映画を観ている私たちに何とも言い難い後味の悪さを与えてくる。それこそが「薄気味悪さ」の正体であり、この映画のユニークな部分だ。
最高に面白いとは言わないが、観るものの心に爪痕を残す「曰く付きの映画」である。