ラブレスのレビュー・感想・評価
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愛なき世界の不毛な人びと
ロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の作品は、「父、帰る」をはじめ、愛なき人々の行動を冷ややかに描いた作品が多いが、今作はその冷徹な視線が頂点に達したと言っていい冷ややかっぷり。息子が行方不明になったというのに、離婚協議中の夫婦の他人任せの行動、捜索に関わる警察、お互いの愛人、ボランティア団体、全ての大人たちが淡々としていて愛が感じられない。あまりにも不毛な人びとを、冷ややかな映像で淡々と描くから、こちらの心も冷えてしまう。鑑賞する人を選ぶ作品ではあるが、この徹底ぶりはやはり凄い。タイトルに偽りなし、無関心な愛なき世界を、冷え切った夫婦を通して描く。ウクライナ侵攻を挟み、ロシア社会への警鐘とも捉えられる。ラストの夫婦のお互いの行動と、行方不明になった息子の存在した証明が虚ろに揺れるシーンがあまりにも虚しい。掛け値なしの傑作。
欲望と憎悪と駆け引きだけ
この作品を観る数日前に「レッドスパロー」を観たので、アメリカから見たロシアとロシア人みずから見たロシアの違いがよく分かった。
ロシア人の生活はアメリカ人が考えるほど政府に束縛されておらず、何を考えても、どこに行って誰に何を喋っても大丈夫である。もはや祖国という言葉も、その概念さえも意識から失せているように見える。いまだけ、自分だけよければいいという精神状態はロシアにも蔓延しているようだ。
明日のない親に育てられる子供は、未来について何も描けない。自分をなくしてしまうこと、いまという時間を抹殺することだけが彼の取りうる唯一の行動である。
親から愛情を受けずに育った子供は人を愛せない人間になる。人に対する思いは欲望と憎悪だけだ。憎悪し合う夫婦。欲望を満たすだけの愛人。他人の精神に無関心で、ただSNSの中で虚栄心を満たしていく。いなくなった息子を探すのは、世間体のためだ。見つかろうと見つかるまいと構いはしない。しかし死なれていると困る。生きているうちに見つかるか、それとも見つからないかのどちらかだ。
見つかったのは息子だったのか。そうだと認めれば自分たちは息子を見殺しにした親になる。DNA鑑定は当然拒否し、子供はいつまでも見つからないままにしておく。罪の重さに戦くが、それでも子供を愛せないのは仕方がない。子どもだけではない、誰のことも、自分のことさえも愛せないのだから。
役者たちはこうした精神構造を卓越した演技力で表現する。愛人が産んだ子供も、子供には変わらない。やはり愛せないのだ。人を愛せない人間は世界中に存在する。そして増加の一途をたどっているように見える。世界から優しさが消え去れば、欲望と憎悪と駆け引きだけの世の中になる。この作品はその警鐘なのかもしれない。
計算され尽くした演出と脚本。
この映画、すごいです。
少年、母親、父親…とにかく登場する人物の心理描写がものすごく繊細。言葉だけじゃないところ(むしろ言葉少なめ)で、気持ちを語ってくる。今、この空間で起こってることの全てを言葉以外(カメラの構図とか視線、仕草)で語ってくる。言葉にしないから陳腐にならない。すごく好き。
後味、悪っ。
結末は、予想ができた。
そうなるだろう、そうなるのが観客を一番不愉快にさせるラストだろう、という描き方。出てくる大人がクズに見えるのに、本人たちはいたって平気な顔。育児放棄でスマホに夢中の母親、セックスが好きで子供に感心のない父親。どちらも離婚も済んでいないのに別々のパートナーを隠すこともない。それに、市民ボランティアの規律性が、ロシアの国家というものを暗示していているようだ。この映画を傑作というとするならば、あまりにも現実的で薄気味悪いからだろう。しかも、これは現代ロシア社会の話ではなく、日本であれ同じような状況に置かれている少年は多いはずだ。
他人ごとではないよ、日本人。
何が本当の幸せなのか?を思い知らされる作品。
離婚協議中の両親が12歳の息子アレクセイをどちらが引き取るかで、言い争い、罵り合う。その口論を隠れて聞き咽び泣くアレクセイ。その姿が、悲しみを誘う。
その直後行方不明となり、両親はそれぞれ自分達の幸せな未来のために必死で息子を探す。
何が本当の幸せなのか? グサグサと心にささってくる。足元の幸せを見出だすことを忘れ、自分だけを愛することに、共感はできない。
子を持つ親としては、自分の幸せよりも何よりも、子を守り、宝物であるという思いが正しいと信じたい。
衝撃のラストまで、何が本当の幸せか?を考えさせられる作品。
思わせぶりな映像で想像を刺激
サスペンス要素が強くて、激しいセックスなど見せつけられるけれど、美しい映像と比較的静かな音づくりな為か、心地よさとともに前半はかなり睡魔におそわれてしまった。それ故に、話は半分理解できなかったようには思ったけれど、徐々に話が盛り上がっていく巧みな演出に、いつの間にか作品にハマっていた。
見えそうで見えない結末、解決しそうでなかなか終わらない展開、そこに差し込まれるあらゆる意味の無いような含みのある映像が見る者の妄想を激しく刺激するように思えた。
一見現代批判かのような作品とも思えるけれども、現代的な事柄を巧みに利用した推理的映画に見えた。とはいえ明確な犯人探しの映画ではないけれど…
ラブレス
個人的には「別離」以来、真に傑作と思える作品を久々に観たと感じました。特に近年になるにつれて更に強まっている、自分以外の者を愛せない現代人を描いて見事だと思います。
ただし、内容は暗いといえば暗く、救いも用意されていませんので、単に娯楽として映画を観たい方には全く薦められません。
どうにもこうにも、監督が指した暗喩が判らず・・・
ロシアの一流企業で働くボリスには、妻ジェーニャとローティーンの息子アレクセイがいるが、妻との間は上手くいっておらず、離婚話が進行中。
どちらがアレクセイを引き取るかを揉めているのを、当事者である息子に立ち聞きされてしまう。
翌日、アレクセイは行方不明となってしまう・・・
というところから始まる物語で、いつもながら巻頭の映像に魅了される。
冬のロシア、凍てついた川、川岸に生える樹木は雪をたたえている。
寒い寒い風景を映していると、最後に三羽の水鳥が川に浮かんでいる・・・
そして、いきなりの雪解け。
無味乾燥な建物を暫く映していると、中から少年少女が飛び出してくる。
学校だったようだ。
アレクセイ少年はみんなから離れて、雪解けの川のほうに向かい、木の根元に埋まっていた長いひも状のものを、雪がなくなった枝に放り投げ、それが絡みつく・・・
この冒頭には、ソ連からロシアに変わった頃のことが暗喩として描かれているのだろう。
何を指しているのかはわからないが。
この冒頭で引き込まれてしまうのだけれど、冒頭の暗喩が何を指しているのかがわからないので、その後の物語におもしろさを感じません。
ボリスもジェーニャも、自分たちの欲望(というか渇望)を満たすために、配偶者とのは別のパートナーとよろしくやっている。
息子アレクセイのことは一顧だにされない。
そんななかで、先に記した事態となるのだが、とにかく、ボリスとジェーニャがそれぞれよろしくやっているシーンが長く、まだるっこしくて、げんなりしてしまう。
その後、ボリスとジェーニャはアレクセイの捜索に乗り出すのだけれど、警察は全然手を出さない。
代わりに協力してくれるのが、市民ボランティア団体なのだが、みていると、あまりに統制が取れすぎていて、まるで軍隊のような感じ。
うーむ、これもなにか現代ロシア(もしくはこの映画の背景となった21世紀すぐのロシア)の暗喩のようなのだが、そこいらあたりがわからない身としては、ただただ不気味。
そうして捜査が続けられるのだが、ボリスとジェーニャの心の底には、アレクセイが見つからなければいいのに、と思っている節がありあり。
ネタとしては判りやすいハナシのようにも思えるのだけれど、どうにももったいぶった演出が登場人物の心の懊悩には到達していないようで、わかったようなわからないような現代ロシアの暗喩を秘めただけの映画をみせられたような思いでした。
作品のメッセージ性に括目、現代ロシアの家族問題を抉る社会派佳作
離婚協議中の両親が子供を押し付け合う。それぞれには新しいパートナーがいて、子供が邪魔だから。親たちのやり取りを聞いてしまった子供は自分が愛されていないことを知り絶望し失踪してしまう。両親は慌てて市民ボランティアの力を借りて捜索を試みるが... 目の前の不幸・不都合を他人のせいにするばかりで、新しい生活にchangeさえ出来れば自分も変われると信じているこの大人達の何と幼稚で無責任なことか。そんな彼らにはいつまで経っても満足できるような幸せは訪れないだろう。この作品にはこんな鋭いメッセージが込められていると感じました。ところで行方不明になった子供は結局見付かったのでしょうか?作中では必ずしも明らかにはなっていませんが、もし見付かっていたのだとしたら、観たあなたもきっと背筋が寒くなるはず。
ロシア版青い鳥
青い鳥を一所懸命探せども見つからない話。多分一生見つけられそうにない夫婦だ。
青い鳥は心の中にいる。外にはいない。
幸せは掴むものでも与えられるものでもなく、心で感ずるものだからだ。
実際この母親の母性の無さに愕然とするが、彼女の母親が更にその上を行くので、さもありなん。可哀想な子ども時代を過ごしたのだろうな。
それにしてもラストで、彼ら夫婦のこれからが示唆されるのが、印象的。
男の方は、セックスが大好きなだけのアホ男。新たに生まれた子どもには興味なく、煩い邪魔とばかりにベビーサークルに放り込む。多分全てを先送りにして無責任な父親になるのだろう。
女も新しい男との生活は上手くいってない。会話のない2人。
映画のラストはどこか困惑した、満たされない顔の母親で終わる。
特別な話ではない。
この夫婦には対話がなかった。
一方的な主張。対立。
世界には紛争戦争がなくならない。
争いは、相手が間違っていると主張することから始まる。自分は一つも間違ってない、と。
紛争戦争は、ここから始まる。
話し合いを拒否し、追い出すのだ。
映画中、何度も何度もラジオから流れるニュースが恣意的だ。
この夫婦の離婚問題も国と国の戦争、民族紛争も根っこは同じなのでは、ということか。
また最後の場面、女のジャージがロシアと書いてあるのも、何か恣意的だった。
監督のロシアという国に対しての思いがあるのだろうな。
そこまでは近くて遠い国の日本人の私には、まだ理解できない。
辛い救われない けど傑作
辛い、暗い、救いようがない
母親の性格は祖母のDNAと環境
①祖母宅に息子を探しにいく車中、夫のロック音楽が許せない妻。
妻の車中での喫煙が許せない夫。
②死体安置所で息子と思われる遺体
を見る夫婦。
でも、離婚して数年経ったと思わせるポスターの剥がれたテープ
離婚後の母の顔。
救われないが、流石 アンドレイ・ズビヤギンツエフ監督。
単調、不快、虚しい作品。
不穏なピアノの打鍵音で、作品が始まる.ロシア映画であるためか作品が終始「寒い映画」。会えば口喧嘩の絶えない完全に終わっている夫婦。それに耐え切れず両耳を抑える一人息子。冒頭、学校の校舎から一斉に人が出てくる場面があり、そこは何か作為的なものを感じた。作品は、ひたすら淡々と流れる、退屈すぎるとも言える。息子が急に行方不明になるあたりから、作品は多少盛り上がる。夫も妻も自分本位のことしか話さず。「この二人もう駄目だな。」とつくづく思い鑑賞した。息子の捜索に奔走するボンランティアの集団行動には凄さを感じ「そこまでやるか。」という印象を受けた。
最初の方で、息子が赤白のテープで遊んでいるシーンがあり、それを木の枝に括りつけたのか?引っ掻けてしまったのかしらないが、この場面が、話の前後と何の脈略もなそうに見えたが、あの場面が、かなり重要な場面であったのだろうか?
身元不明人遺体で、遺体が包まっているビニルを剥いだときの妻が悲鳴ともとれる一言。
最後、別々の人生を歩むのだが、この男と女は人間としての面白さがない。映画としては、常に単調で無味無臭な作品であった。最後の不穏なピアノの打鍵音が虚しく、終わり切る前で退館した。
あまりにロシア的な。
切っ先鋭い刃で胸を抉られた感じで、まだ血が流れてる気がします。
徹底的にロシア的な映画だと思いました。私の中でのロシア的とは、世界と個人の魂がとても近くて、非常に簡単に日常生活の中に哲学が入り込んで違和感がないような感じをいいます。ラスコーリニコフがナポレを語りながら、金貸しの婆さんを殺すみたいな。会社でいいおじさんたちが、「世界は滅びると思う?」「滅びると思う」っていう会話が日本であるとは想像できませんが、ロシアではなんの違和感もない。
冒頭のピアノの連打と映像があまりにも印象的で、ずっと心に残っていたら、最後に戻ってきました。どうやらペルトの曲のようでした。映画の内容にあまりにもシンクロしていて、関心しました。
希望は残されているのか?見る人に委ねられているのだと思いました。
逃避
離婚話が進む両親のどちらも子供を引き取るつもりはないという夫婦喧嘩を聞いてしまった12歳の息子が行方不明になる話。
ヒステリックで常にスマホをいじってばかりの母親と、自分のことばかりで家庭に無関心な父親、更には共に再婚が決まっているという状況で家の中には愛情の欠片もみられない。
子供が居なくなってからの言動も後悔の念が薄く上辺な感じがして救われない。
失踪するまでの状況説明1時間とひたすら子供を捜す1時間、エピローグ2~3分という流れで概ねあらすじに書かれている通り。
重さや救われなさは良いけど、変化が乏しく結局結論も委ねられるし、気付きも目覚めもなし。
内容の割に長過ぎる。
最も現実的な「終末」
荒廃した社会主義社会は、色の無い凍てついた世界だ。効率性を重視した均質で無個性なアパートに住む彼らは(登場人物全員)誰も本当の意味での愛情を持ち合わせていない。
SNSに取り憑かれ、自らにしか興味を抱けないアバズレ(もはや母ではない)。
禁欲主義の教条と矛盾する女癖の悪い男は自分自身の保身のことばかり考えている事勿れ主義で、非人間的な日常を機械的に送っている。
警察は忙しさにかまけて親身に相談してくれない。ボランティア団体は、自己陶酔の偽善者集団だ。学校の先生は捜査に対する面倒臭さを心に秘め、会社の同僚は本当かも分からない無意味な冗談を言うだけの人間だ。
世界の荒廃を描いたディストピア作品は、数多くあるが、この作品もある意味で「終末の瞬間」を描いた作品といえる。愛のない世界で待ち受けるは形だけの幸福と虚無感だ。マヤ暦の終末は既に到来していたとでも言うのだろうか。
社会主義国のロシアにおいては非人間性がもたらす世界の終末が容易に想像できるが、人間社会の荒廃とは世に蔓延る紛争や内戦だけではない。インターネットがますます普及し、更に合理性が追求されるようになる社会において、それは人間を内部から蝕む。これは全く他人事ではなく、ディストピア映画では最も現実的で、ロシアに限った話ではなく、今すぐにでも起こり得るのが恐ろしい。
最も人間的な人物が、何の趣味もない息子、或いは自らの家というシェルターに閉じ籠った祖母だった事は現代社会に対する冷徹な皮肉だ。
ラストでは、息子を失った(か否かは最早どうでも良く)彼らが心のどこかで無意識に不幸から目を背けてしまう様子が描かれるが、それは、子供の死をもってはじめてほんの少しだけ人間性を取り戻したという希望なのだろうか。
間違えた誰かはいるのか
「これ誰が悪いの?」っていうと主要登場人物全員が少しずつ悪い感じがすんだよね。
じゃあ、そんなに悪いのか?っていうと、みんな幸せになりたかっただけなんだよね。
「じゃあ、しょうがねえか」って言うと、そうはならない。いろいろ考えちゃうね。
主演の女優さん綺麗で良かったな。役としても、徹底して自分の幸せを優先する判断も良かった。
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