「人間の「無責任さ」がしっかりと描かれている」ラブレス maruさんの映画レビュー(感想・評価)
人間の「無責任さ」がしっかりと描かれている
ロシアは基本共働きが主流だが、ロシア人男性は女性が家庭を切り盛りすると思い込んでいる人が多い。裕福な暮らしをさせてるのだからいいだろうという男の身勝手さに、自由を我慢して私も仕事しながら子供を見てるんだけど!?というジェーニャの気持もわかる。こんな男の身勝手さを12年受けて蓄積されて、子供を厄介者として見てしまった部分もあると思われる。
終盤で、ソファでテレビを見るだけで子供と遊ばないボリスが、ジェーニャとアレクセイのときの12年もそうだったのだろうと推察させる。
家庭内にヒビを齎したのは、盛りのついたオス・ボリスだと思われ、終盤、ボリスが我が子と遊ばずケージに入れるシーンは胸くそ悪かった。
ラスト、ジェーニャがカメラ目線になる演出には、この映画の意味を感じた。
「あなたは?」と問いかけているような。
オチの川が映ったシーンでは、息子アレクセイは、映画冒頭のロープみたいなやつを取ろうとして恐らく川から転落したのだろうと容易に想像できる。家に『自分の居場所』がなくなった子供は、通学路や、廃墟の地下や、ちょっと遊んだ川辺に居場所を求めて彷徨っていたのだろう。そう思うと胸が苦しくなってやりきれない。
好き・嫌いを包む「愛」ではなく、好き・嫌いで推し量る「恋」をする人間しかいない。それはとても子供っぽく、責任を伴わない。時間が経てばすり減って行く好きという感情のままに結婚や子づくりをする。時間が経ち、好きが薄れただけで嫌いが色濃く見え、飽き始める。そして、また同じようなことを繰返す。
ラストシーンは、もう一つ「私がわるいの?」と問いかけているようにも見えてくる。
全員が、誰にも愛されない結末。なんとも後味が悪い。どんな時に見たらいい映画かわからない。しかし、ウィキペディアを見るにロシアの方々には、鋭い風刺的な意味を持つっぽい。