「少し毛色の違った作品」名探偵コナン ゼロの執行人 70hepwvdさんの映画レビュー(感想・評価)
少し毛色の違った作品
コナン映画は毎年楽しみにしています。とりわけ、近年の作品は気合の入った高クオリティのものが多いと個人的には思っていますので、今年も映画館まで観に行きました。
今回の作品、予告等では同漫画の人気キャラ安室透にスポットが当たっているように宣伝されています。しかし、その実質的な内容は、警察庁、検察庁、警視庁の関係性や、公安部の存在、その意義など、行政組織関係(司法組織もありましたが、副次的です)に焦点を絞ったものになっています。正直観るまでは、安室ファンの為の映画でしょ?の気持ちはありましたのでこの辺りは良かったと思います。もちろん安室くんもかっこよく活躍してくれます。アクション期待して行きましたが、結構控えめでした。後半はすごいアクションしてましたが、前半わりと静かなので全体的に少なめかな?といったかんじ。この点については後述します。以下詳しいネタバレ感想となります。
今回の事件ではサイバーテロ犯罪が主軸となりますが、現代の遠隔操作ウィルス、IoTなどのタイムリーな事柄を扱っていて、実際に起こりそうな緊迫感がありました。初期のマジお弁当ファックス機とかが懐かしくなりました。時代進みすぎ。
ただ、今回そのサイバーテロがNAZU(コナン世界に出てくる宇宙調査機関。NASAって使っちゃいかんのだな、、)の衛星探査機にも迷惑かけちゃうんですけど、NAZUめっちゃ無能すぎないですかね?
内閣府対策室も。衛星落っこちてきてんのにどうしようどうしよう言ってるだけで何もしないし、官僚だったらもっと適切に対処すると思うんですが、まぁ、コナンくんたちに解決してもらわないといけないしね、、、。
コナンやその周辺をヒーローにするために必然的に周りの機関や組織は貶められる傾向にあります(漫画での警視庁捜査一課全般とか)。
今回の事件は、殺人ではなく、テロ行為であったことから(公安がテーマなので)国家レベルの機関までもが高校生(見た目は小学生)より無能扱いされる運びとなってました。まぁ、この辺はいつものことですが。規模が違っただけです。もとよりコナンくんはFBIと友達感覚だしね。映画でくらい国背負ってもらわんと。
話は前後しますが、映画の前半では、テロ行為の容疑が小五郎にかけられ、逮捕→送検あわや起訴というところまで行くのですが、この辺の刑事手続の概観については、根拠条文が示されるなど、割としっかり描写されている印象でした。けっこう堅い内容なので子供が観るには前半辛そうです。成熟した未成年以上の方であっても興味ない人は眠いかも?
コナンの漫画はほぼ全てのお話が、捜査の現場でのお話ですから、犯人特定→逮捕という段階で解決!みたいになります。
しかし実際は逮捕の後には取り調べがあり、その後検察官の元に送致され、再度取り調べをうけ、起訴されて、裁判を受け、判決確定がなされるまでは被疑者、被告人であり、犯罪者とは言えないため、逮捕時点が解決ではありません。
この点、普通の人、とくにコナンを鑑賞されておられるお子さん達は、逮捕されて事件解決!みたいな感覚になってしまっていることが多いと思うので、現場での推理、逮捕の【後】どうなるのかという事を同じ【名探偵コナン】というコンテンツで多少なりとも詳しく描いた事には結構大きな意義があるのかなと思いました。
ただ、明確さや整合性がイマイチなところもなくはなかったです。例えば、一つ疑問だったのが、小五郎がまだ起訴前勾留であるにも関わらず公判前整理手続きが行われていた点です(起訴されてなければ訴因特定されてないため、争点の確認もくそもないのでは、、)。裁判官に予断を抱かせないためにも、せめて起訴されていることは要件ではないでしょうか(刑訴法316条の2には「被告人」の文言しかないですし)。まぁ、普通の人は何も思わないでしょうが。この事については起訴前勾留でも公判前整理手続きが出来るんだ!ということであれば全く問題ないと思いますが、調べても出てこず分かりません。どうなんでしょうね。
また、そのへんの手続き、決まり事などを守ろうとする割には、ドローン無限に飛ばして航空法無視しまくったり、公安は違法捜査が当たり前!みたいなこと言ったり、コナンくんもスケボーで道路堂々走ったり警視庁公安部に盗聴器しかけたりなど、法規範に触れまくってる行為が多々見受けられました。まぁ、お話成り立たないんで、いつものことですけどね。コナンくんが違法っぽいなぁみたいなこと最初に言いますが全然免罪符になってないよ。
最後はテロの真実が明らかになりコナンくんと安室さんが頑張って衛星落下止めます。ていうかめっちゃ物理的に位置をずらしたんですが。このへんはコナン映画の見どころでしょうね。前半が画の動きのない話だっただけに後半のアクションは興奮しました。
以上色々書きましたが、めちゃめちゃ楽しかったですし、クオリティも高かったです。終始飽きずに観れました。ただ、万人ウケするかと聞かれたらそうでもない気もします。
今回のコナン映画の評価としては、
1.これまでに当然として描いてきた現場推理、逮捕ではなく、その後の手続きを描いた点
2.普段あまりフィーチャーされない警察組織関係を中心、柱にお話を作っている点
3.特定人に対する殺人行為ではなくテロ行為を事件の主軸にした点
の3点により、少し毛色が違う作品になっているなぁと評価できると思います。
(なお、2.については、毎年コナン映画では特定のテーマや分野を詳しく扱いますが(例えば絶海の探偵の海保)、漫画やアニメ、映画で最も関わることが多いにも関わらず、その組織自体にはあまり言及されていなかった警察そのものに焦点を当てた、という意味で今回の映画の特徴であったのではと考えています。)
脚本担当は相棒シリーズを書かれている方なので、それらが好きな人にはほんとうにマッチする作品だと思います。ただ、本当にアニメ映画としてだけを期待、もしくは今までのコナンシリーズの感じを期待して観に行くと思わず面食らう人も多いのではないかなと思いました。
映像は文句なくカッコよく綺麗です。なにより、タイトルコール時のメインテーマが今年はカッコ良かったです。是非映画館で観られることをお勧めします。
(追記)
今回の映画について、相棒的な警察組織要素があって面白かったという話ばかりしてしまいましたが、今回の第1テーゼ、本論である"正義"についての描写の感想を忘れていました。
この映画の監督、立川譲さんはパンフレットにて、今回の映画ではコナンを光、安室を闇として(また、闇の中に輝く光として)描いていると仰っています。
2人が分かりやすいVSの構図になっている感じもしましたが、実際は、安室、コナン、そして犯人の三者の"正義"がぶつかり合っていました。犯人は"自身の正義"のために、安室は"国防という正義"のために、そしてコナンは"大切な人を守りたいという正義"のためにそれぞれ行動します。
結果的には、犯人は自身の正義に迷いが生じ、コナンと安室はそれぞれ守りたいものが共通項をもった(衛星が落ちることで国が滅びる=コナンの守りたい人も滅びる)ために共闘し、その正義目的を達成します。ここまで見れば、犯人の正義は劣位であって、コナン、安室の正義は五分五分だった。という終わり方にしたのかとも思われます。
ですが本当にそうでしょうか?犯人は自身の正義のためサイバー犯罪を犯し、安室は国の正義のため小五郎を罪人すれすれに仕立て上げ、コナンは大切な人のために盗聴したり、探偵団のみんなに違法行為をさせたりしています(流石にここの違法性については言及していません)。規模の大きさにさえ目を瞑れば、3人の行為は全く同一であると考えられるのです。
クライマックスシーンでコナンは、「正義のために人が死んでもいいのか」と問いかけますが、この問いはどのレベルにも当てはまる問いかけです。すなわち、「正義のために違法行為をしてもいいのか。」「正義のために人を罪人に仕立て上げてもいいのか」という問いとパラレルであるということです。もっと問いかけを大きくすると「他の何か、誰かを犠牲にして正義の名の下に行動することの是非」です。
なかなか重い問いかけをしたところで、余韻を残して物語は終わるのか、と思いましたが、意外なところから答えが返ってきます。
今回のゲスト声優である上戸彩さん演じる橘境子です。
彼女は警視庁公安部、風見の公安捜査における協力者ですが、協力者から解放してやると言われた時彼女は激昂します。「利用していたなどと思い上がるな。私は私の正義のために私の意思で協力者となっていたのだ」と。そう吐き捨てて彼女は去ります。ここに、先ほどの問いの答えがあります。すなわち、彼女は「正義のために犠牲になると思われている側」(=被利用者)ですが、正義の執行人(利用者)とは縦の関係ではなく、横の関係であると主張しており、この点が、この映画が一番言いたいことです。先ほどの問い、「他者の犠牲の上の正義は是か否か」というものの答えは、「存在しない」です。なぜなら、正義の執行人と他者は上下関係ではなく、平等関係だからです。
この映画の中では、コナンも安室も探偵団も警察も犯人も橘境子も羽馬二三一も、誰もが自分で考え、自分がやりたいこと、正しいと思うことのために行動しています。そしてそれは是か否かを問うことではないのです。人の数だけ、正しさがあるということなんです。「完全な正しさは0だが、正義は無限」と福山雅治さんが歌うのはこういう意味なんです。
映画の中での公安は、"協力者にやらせた違法捜査の責任は自分でとる。"との信条をもち、協力者との関係を断ち切ることを「解放する」と表現しています。ここが間違いです。上下ではなく平等なんです。映画の公安は上下の関係として協力者との絆を捉えています。正義のための犠牲という発想はこの前提があるからです。
では、コナンはどうだったか。その答えは一番最後です。コナンは自身の正義のために、探偵団に協力してもらいましたが、エンドロール後、彼は探偵団の事を「あいつらは自分がやったことが国を救ってるなんて気づいてない。ほんとすげーよ。」と称えます。そうです。"自分たちがやりたいと思ったことを行なった"ということを称賛しているんです。つまり、コナンが協力者として扱ったように見えた探偵団達を、公安とは違い、平等関係として捉えていたということが最後に明らかになります。彼だけは答えにたどり着いていたんですね。そうしてこの映画は幕を閉じます。
そして先ほど、コナンの正義は「大切な人を救う」と言いましたが、表面上そうであるだけです。コナンが大切な人を救うために動くように見えていますが、彼の行動理由の実質は、小五郎の逮捕が事実とは違うからです。つまり、コナンの正義は「真実追求」だったんです。ゾクゾクしませんか?
彼は漫画、アニメ、映画を通して一貫して真実がなによりも優位であると考えています(印象的なのは3つのK事件ですかね)。なぜなら、「真実はいつも一つ」なのですから。