「どこで、どう生きるか、究極の選択」アレッポ 最後の男たち とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
どこで、どう生きるか、究極の選択
花火が嫌いになりそうだ。
予告にもある、夜の空爆。まるで光のショー。こんなにきれいな情景がたくさんの命を奪う。
戦争とは、どこかのバカな政治家が起こして、一般庶民が巻き込まれるものだと、ぼんやりと思っていた。だから、バカな政治家を批判して、彼らを引きずりおろせば回避できるものだと。
そんな簡単なことじゃない。
反アサド政権の街・アレッポ。
そこに暮らす人々は、空爆の中で、それでも暮らしている。
時に、アサド政権に反対するデモを行いながら。
アレッポに残るか、難民となって避難するかと悩みながら。
難民となって避難すること=自らのアイデンティティを捨てること。命は助かるが、人間としての尊厳を捨てるのか、そこに活路があるのか。自ら一人の命の心配ならば、決断はしやすいが、でも子どもたちのことを考えれば…。
アレッポに残れば、志を同じくする者に囲まれて過ごせる。政治的信条というと堅苦しくなるが、己の信じるものを捨てる必要はない。けれど、命の危険…。
もちろん、難民となっても命の危険がなくなるわけではないが、少なくともここよりは…。
この選択肢に、アサド政権側に着くという発想は映画には出てこない。所属政党をころころ変える日本人にはとうてい理解できないほどの、溝があるのだろう。
国際情勢・政治的には、まったく疎い私。
でも、命をかけても譲れないものが、彼らにはあるのだろう。
それだけは受け取った。
とはいえ、武力で解決するものは何なのか。
平和ボケしているからわからないのか。
空爆される。
ホワイトヘルメットの男たちが駆け付ける。
特に特殊な装備があるわけではない。
ほとんど人力で、空爆され崩れた元建物から、空爆で被害にあった方々を探し出す。
吹っ飛んだ手足。
次から次に繰り出される事故現場の、建物の砕けた破片の”白”に紛れているので、ハリウッド映画のような血みどろの場面じゃないので、なんとか見続けられた。
ほとんど傷がなく生きているようなのにこと切れたご遺体。
血だらけなのに、なんとか助かった命。
ちょっとした場所の差で、助かる命・助からなかった命。
老若男女。赤ん坊も…。
燃え上がる車。爆発。
崩れ落ちる建物。空爆後の探索も命がけ。
そんな中での、子どもとのひと時。結婚式。金魚の泉。ありふれた日常生活。
リアル戦争。
下手な反戦映画を観るよりも、戦争という暴力で奪われるものの虚しさを疑似体験できる。
泣ける?涙なんて出てこないほどの、静かな慟哭。
悲しい?そんな気持ちが薄っぺらいと思えるほどの、感情。
怖い?怖さのすぐそばにある、彼らの暮らし。
様々な感情と、知性が五感を駆け巡る。
何のために生きているのか。この場所で。
どう生きるのか、どこで。
そんな大人たちの苦しみなんて知らぬかのように、
大切な家族の傍にいて幸せそうに笑う子どもたちの瞳と同時に、
空爆を受けた人々の嘆きが、いつまでも尾をひく。
(UNHCR難民映画祭2018にて鑑賞)