「一般的なキュンキュン恋愛映画とは一線を画します」恋は雨上がりのように ひろさんの映画レビュー(感想・評価)
一般的なキュンキュン恋愛映画とは一線を画します
一見、ありがちなハードル(今回は年の差)を乗り越えて叶う青春恋愛ムービーかと思いきや、本作はアイドル俳優と売り出し中の若手女優との
10〜20代をターゲットにした青春恋愛映画とは明らかに別物です。もちろんスケべなおじさんの妄想を叶える物語でもありません。内容自体は難解ではなくわかりやすいストーリーですが。
まず主題の時点で、人を好きになる気持ちを、17歳の少女で描きつつ、その対象を45歳の冴えないけれども人の良い中年男性に設定することで、思春期にありがちなライトな恋愛や承認欲求や単純な性欲を省いたイノセントな恋心へと昇華させています。
CもなければBもなければAもありません。唯一、嵐の夜に感極まって一瞬抱き合(ってしま)う2人がハイライトで、男女関係で魅せるシーンもありません。
アキラの告白に近藤は当初困惑するだけ。しかし、次第にアキラの真っ直ぐな思いに、近藤は戸惑いながらも感動し、だからこそアキラを大切に思い、アキラにとって最善となる道(陸上への復帰)を示します。
(アキラの自分への想いが、挫折した陸上への気持ちの補填のひとつでもあることに気づいたからこそ、告白自体には最後まで応えないのです。)
ラストシーンでは、陸上に復帰したアキラと近藤が半年ぶりの偶然の再会で、メールアドレスを交換しようとするのですが、男女ではなく、友達として、人間として、これからきっと素晴らしく良い関係性を築いていくのだろうなと予感させ、この物語としてはベストな終わり方だと感じました。
なので、恋愛映画の体を装いつつも、人が人を尊敬することの尊さ、思いやる気持ちの尊さ、素直に気持ちを伝えることの大切さ、人間関係に年齢も肩書きも容姿も関係なく大切なのは心の部分であるということを、この映画は伝えたかったのだと思います。
あとは主役の2人の役者としての素晴らしさですね。大泉洋は、従業員から足蹴にされ厨房から去っていく後ろ姿だけで、近藤の人柄や境遇をここまで表すことができるのかと感心させられました。
小松菜奈は演技云々抜きにも存在感が半端じゃありません。整形的な綺麗さやアイドル的な可愛さなんてまるで比じゃない女性として・人間としての美しさを備えている本物の女優でした。