劇場公開日 2018年1月27日

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「楽園への憧憬と罪」ゴーギャン タヒチ、楽園への旅 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0楽園への憧憬と罪

2025年4月28日
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鑑賞方法:VOD

先日、
怒りんぼの友人を笑わせるべく
「おまえはなぜ怒っているのか」のポストカードを買った。ゴーギャンの作だ。これ見よがしに送ってやった。

ゴーギャンの絵は
僕はボストンで、ほとんど毎週のようにボストン美術館に通って目に焼き付けた。
(=木曜日の午後は無料ですしね)。

彼の巨大な横長の絵
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』: D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

この「我々はー」。
このキャンバスにはゴーギャンの前世(パリ時代)と彼の晩年は描き込まれてはいない。
でもタヒチで見つけた自分の人生が、土地の人たちの姿に向かい合う形でそこに投影されていると思う。
とくに本作を観たあとにもう一度この絵を眺めると、その事がよくわかる。

絵のサイズも長く、
絵のタイトルもこんなに長く、
観る者たちにも自分の長い長い一生をば俯瞰させてくれる時空超越の絵だ。

ゴーギャンはパリの証券取引所の精鋭だったのだが、株の暴落で家族と国を捨てて世捨て人になった男だ。
愛娘を失い、重い皮膚疾患もやり、自殺未遂もしている。
破滅ギリギリを行ったのは、タヒチ渡航直前にゴッホとしばらく暮らしたせいも有るかも知れない。

赤、黄色、ピンク、青。
子どものクレヨンの塗り絵のように、画面を大胆に区割りし、ぺったりと塗りつぶして、渋いけれど鮮やかな色彩で、おおまかに、人間とその暮らしをアースカラーで描いた画家。
ポスターのデザインは秀作だ。そこを見事に表している。

目を細めて見るとこの新印象派の作風はフォービズム⇒キュービズムを一足飛びに飛び越えてカンディンスキーの色彩の火花やモンドリアンの画面の直線での区割りを予兆するものがあるから驚くのだ。
美術史的に、ゴーギャンはエポックメイキングだったのだと感じる。

若い時分の彼と、島に渡ってからの彼。そして帰国。
美形のバンサン・カッセルは相変わらずその人になり切るし、
現地妻のテフラの輝けるうつくしさ。
その肩に幼子を抱き上げる南洋の聖母には、息を呑み、ただただ目が眩む。

しかし、
本国の妻、現地の妻。
思うに任せぬ自分自身の舵取り。
天国のようなタヒチにあっても、誰しもそうであるように、男と女は生まれたばかりのアダムスとイブのようには行かないものだ。
怒りや死にまとわりつかれていた画家の生涯だったようだ。

とても面白かった。喰らいついて観た。
「ゼロか100か」の、僕の人生に似ている所が多くて。

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追記
「タヒチ」は未だにフランス語を使う「フランスの海外領土」で、
まさか のちの日に、ポリネシアの島々で、しらみつぶしに白人たちが水爆実験をお見舞いしてくれるとは、さしものゴーギャンも予想しなかったろう。
残されたテフラもね。

アメリカ、イギリス、フランスがさんざん水爆実験をやってくれていた頃、僕は小学生で
「今日の雨は放射能の雨なので、髪の毛が抜けます。皆さん濡れないように下校して下さい」と担任から言われていたものだ。
死の風が、あの頃タヒチやムルロアから吹いて来ていたわけだ。

リゾート地は
絵の題材になったり、孕ませられたり、お見舞いされたり。
散々だ。
美しくなければこんな憂き目に遭うこともなかったろうに。

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資料:Wikipedia
「フランス領ポリネシア」
核実験と住民らへの補償

ムルロア環礁とファンガタウファ環礁は、フランスの核実験場となり、1966年から1996年まで193回(空中実験と地下実験を合わせて)行われた。

フランス政府は核実験の安全性を説明してきたが、2010年に核実験の被ばくによる健康被害を認めて被害者に補償する法律を施行。しかし2016年時点で、約1000件の申請のうち補償が認められたのは約20件と僅かにとどまった。同年、フランソワ・オランド大統領がポリネシアを訪問した際には、被害者への補償を見直すことを表明した[3]。

2013年にフランス政府が機密解除した核実験関連文書によれば、1974年に行われた核実験「サントール」だけでも、当時のフランス領ポリネシアのほぼ全人口に相当する約11万人が汚染されていたと推定されている[4]。

きりん
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