「誰もが大脳を満足させるために煩悩している。」娼年 お水汲み当番さんの映画レビュー(感想・評価)
誰もが大脳を満足させるために煩悩している。
私がこの映画を観たのは、昼下がりの平日の映画館でした。
タイトルからしてホモ映画みたいで腰が引けてしまいます。
18禁のせいかどうか、予告編を見たこともありませんでした。
それなのに、しかも公開から2週間が経っていたにもかかわらず、それでいて満席ですよ、満席。たまげました。
しかも観客のほぼ全員が一人で観に来ている雰囲気でした。
そんな映画が、できの悪い映画であるはずはありません。
実際、中心にピンと一本の思想が太く貫かれている、凄い映画だったのです。
セックスは性器でするものではない。
大脳(すなわち、心)によってのみ、セックスをする動物なのだというテーマが、観る者に訴えかけます。
単に性器を刺激することを求める登場人物は一人も出てきませんが、そういう人には実際にも会ったことがない、と主人公たちに語らせています。
主人公の松坂桃李の性交姿を「おかず」にして、今夜……という目的の女性客も少なくなかったとは思いますが、なぜ人がセックスを渇望するのかという哲学の部分にまで分け入ったこの作品が、きっと観た人の心を揺り動かし、新鮮ななにかを感じることでしょう。
世の中で「売春を非難する人たち」は、彼ら彼女らの観念の中で、単に性欲を満足させるだけの存在を思い浮かべ、この動物的存在を非難します。
彼らが非難するのは、実は「人間」ではなく、観念上の「動物としての人間」。
現実には、人は心を持っています。
生殖のためでなく、大脳のためにセックスをすること、これこそが、ヒトと動物を分ける最大のポイントなのかも知れません。
だからこそ、売春に関与する人たちの「動物としての面だけ」をどれほど批判しても、売春を根絶できないのではないでしょうか。
その限界すらも、この映画は示唆しています。