ヴィクトリア女王 最期の秘密のレビュー・感想・評価
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愚かな息子
アブドゥルの前半は欲もなくニコニコしていて、ヴィクトリアのそれまで周りにいたビクビクとした態度のビクトリアと違い、興味を持ったのも分かる。ハンサムなインド人と言っていたし、その他の態度からも恋愛的対象で見ていたのでしょう。でもそれまでの一様に決められた儀式の連続での退屈そうで逃げ出せない状況があってのその素振りには、歳を重ねても輝く可愛らしさがあった。しかし、段々とアブドゥルの服も王様か!という段階になり、妻や義母、従者まで連れて来るくらいになるといくらなんでもやり過ぎでしょう、と。周りの心配も分かるし、所詮周りの人々も同じ穴のムジナ。帰る事無く亡くなった小さなインド人が可哀想。
ほぼ史実に基づくとあっても心の中までは分からないからねー。
実話ベースなの!?
インド独立前の大英帝国では女王にうまく取り入り、出世していくインド人が憎くてたまらないのは想像できる。女王の死後長らく、女王とアブドゥルの交流、歴史が隠されてきたことはそれだけ当時は英国において異例、黒歴史だったのだろう。ジュディ・デンチの演技はさすがなのだが、アブドゥルが遠い祖国、途中まで家族を置いてまでどうしてここまでして女王を慕ったのかが描かれていないのが残念。マザコン?ババコン?と勘ぐるくらい。。やっぱり帰国しても貧しい生活が待っており、出世したかったのか。共に英国に来た同胞を助けもせず、結局彼は慣れない土地のせいで死んでしまった。身分の違い、人種の違いを乗り越えた交流という綺麗なストーリーなのだろうが、上記の点が解せず、共感できなかった。
役者はよい?
WOWOWで観た
内容が薄いって言うか
ヴィクトリア女王がアブドゥルにそこまで惹かれる理由がよく解らないし、アブドゥルの病気が気になって仕方ない、そのくだりいるか?はっきり言って自分にとっては面白くない映画だった。
2時間が3時間半くらいに感じた
そんなにテンポが悪いわけでも
ものすごく退屈とかでもなかったはずだけど
序盤からなんか苦痛、しんどい感じ、
観賞後に残ったのは不快感。
主人公を好きになれるかどうかで印象変わりそう。
行動の突飛さや表情のニタニタ感が
受け付けなかった。
ちなみにインド映画は観たことがない。
文化の違いかもしれない。
なによりモハメドが普通に
可哀想というか不憫だったし、
アブドゥルお前、
墓の前でどんな気持ちで涙流してんだよ…
て感じだった。
妻の扱いも、都合いいことだけ言うところも、
遠慮のないところも、結構ずっとキツかった。
国や文化の違いか分からないけど、
自分の欲求に素直すぎる、
他者への迷惑を顧みない、
自分に都合のいいことだけで思考を埋める、
とか、脳か精神かに問題ありそうてきな、
ちょっと怖いまであった。
ヴィクトリア女王に関しては、
家族や寵愛、政治に対する諸々が
描かれてなかった分、
若くして絶対君主の荷を負わされた
1人の女性の孤独や人生観が綺麗に描かれてた印象。
英国王室系は、
非現実的だけどリアルで、
イギリスらしい気難しさと
ウィットに富んだユーモラスさの混在した掛け合い、
美しいけどえげつない
ありのままの人の生き様みたいなが見られるイメージで
結構好きなのだけど。
この作品もそうと言えばそうかもしれないけど、
わたしにはちょっと合わなかったな、、。
落ち着いた良い映画でした。
名女優ジュディデンチが見せる演技が素晴らしかった。アブドゥルとの関係も、宗教や人種という違いこそあれ、心が通いあう様子がとても印象的でした。最後に亡くなるシーンでは、個人的に、死んだ祖母を思い出しました。
孤独な老女王の求めた人間らしい愛情
君主である事に倦み疲れ果てた老女王ヴィクトリアと、人懐こく好奇心と機知に富んだインド人青年アブドゥルの出会い。
始まりは恐らく、背が高くハンサムな異国人への女王の気まぐれな好意であろうが、未知の異国の知識をもたらしてくれる彼への憧憬、異性に示すような親愛の仕草へのときめき等、次第に情を深め重用していく。
親しく寄り添ってインドの言葉を教えてくれる彼に見せる少女のような笑顔、孤独を打ち明けこぼす迷子のような涙が、哀れで愛しい。
アブドゥルの妻の容姿や生殖能力への懸念を見ても、恋愛に似た女性心理が全くないとは思えないが、彼を師と呼び、時に愛しい息子と呼ぶ心情は、恋愛、友情、信頼と、簡単にカテゴライズできない複雑さを呈している。
これはアブドゥルも同じだ。人懐こく話し掛け、女王をダンスに誘い、特別な女性と告げ、女王の寂しさに寄り添い慰める。恋か、同情か、敬愛か。列車の豪華さにはしゃぎ、華美な衣装を自慢げに纏い、人生は冒険だと嘯く彼に、出世欲や打算が全くない訳でもなかろうが、「私が死んだらどうなるか解らない。そろそろ国へお帰り」と告げる女王に、「ここが私の国です、一生お仕えします」と返し、死を看とるまで側に残った彼の本意は、それだけとは思えない。
しかし、二人の無邪気な愛情は、立場からすれば酷く愚かだ。人種問題、植民地問題、国家宗教問題。多くの課題を解決に導くでもなく、性急にアブドゥルに心酔する女王の姿勢は、当然周囲の危惧と反発を招く。
アブドゥルの同行者モハメドのスタンスが、いっそうそれを浮き彫りにする。自らの身の安全を憂い、はやく故郷に帰りたい、周りは敵ばかりだとぼやく小男に見えるが、報酬をちらつかせてアブドゥルの弱みを問う皇太子らに、彼は貴方達と何も変わらない、出世したかっただけだと切り捨てる言葉は、ある意味最も現実的で聡明だ。
事前の印象では、もっと人種的な問題を扱った作品かと思っていたが、差別、蹂躙、傲慢を示す表現はあれど、主題はそこでは無いように感じた。
一人の女性の、生きる事の辛さ、ままならない苦しみ、孤独、老いと死。それに寄り添おうとする広義の【愛】。
81歳の年老いた体に、毎日休む間もない公務や式典、為政者としての重圧を背負い、権力と欲望に囲まれ、助けとなるパートナーもなく、孤独と疲労に蝕まれ…。
太り、たるみ、病み、背の曲がった小さな体躯に、大きく重い王冠を載せられ、無気力な表情で一人王座に寄り掛かる姿が胸を打つ。
死の床で、怯えるようにアブドゥルを呼び、恐いと訴える弱々しい姿には、自分の身内を重ね合わせて、涙が止まらなくなってしまった。
彼女は弱り老いていく中、肉親のように、恋人のように、ただ側にいて手を握る程の、温かく人間らしい愛情を求めたのではなかったろうか。
きらびやかで豪勢な宮廷の裏を返した滑稽さ、女王の気まぐれに振り回される宮廷の人々には、度々笑いを誘われる。
重くなり過ぎないバランスが良い。
永遠の宴へ
このところ英王室モノを題材とした作品が続いているのは恣意的なのかどうかはさておき、今作は比較的現在に近い第二次世界大戦前の頃のビクトリア女王の話である。
今日の、ブレグジットや移民排斥等、何かと問題が噴出しているイギリスへの自己振り返りを狙ったのか、それとも外国への自国の懐の深さみたいなものを宣伝したいのかのきな臭さが鼻につくのは、かなり穿った観方なのだろうと少々反省w
まぁイギリス一番のセレブレティに気に入られるにはどれだけのきっかけと運を引寄せる力があるのだろうと思って観ていたら、その核心はあまり語られない。たまたま長身、そしてインド人特有の彫りの深さの甘いマスク、好奇心旺盛さと人なつっこさといったことが女王に響いたということ、そして女王も又、老いと衰弱、政治的激務での疲労がベースにあっての『お戯れ』といったタイミングなのであろう。運だか縁だか、巡り合わせの中でこういう関係性が出来るのもドラマティックで題材にし易いのであろう。
“淋病”の原因をもっと深く聞き出したい欲求はあったが、ストーリー上、敵対する宗教等の免れきれないネガティヴ事情、いわゆる“ファクト”であっても、恋は盲目ということで退ける女王の権力への執着は、やはり今も昔も変わらない人間の業という他はない浅ましさである。凄く美談で括られようとしているのだが、何故だか安っぽさしか感じられない中で、やはり自分が一番共有し心情を汲めたのは、一緒にイギリスに来たモハメド。多分、この人の考えが一番一般人に近い思考であり、しかも相当頭の回転が速い人だろうと感じる。あれだけ宗主国であるイギリス人に“野蛮”だと吐き捨てられるのは却って清々しい位である。そう、いつでも権力者は野蛮であり無慈悲だ。相手のことなど微塵も感じないし、共感などしない。阿ったり、忖度したり、その人間の浅ましさをセットの豪華絢爛さのオブラートに包みつつシーンに織込んでいる所はこの作品の素晴らしさであると思う。本当に『権力者は全員死ねばいいのに!』と、改めて強く願う作品である。
ウェルメイドで見やすい。
イギリス人にはヒンズーヒンズーと連呼されてたけどアブドゥルは最初のインドでの登場シーンからムスリムであるとはっきりわかるように描かれている(お祈りしてたしターバンはヒンズー教徒はしないと思う、同行者のモハメドって名前はイスラム系の名前だし)。
ヴィクトリアが自分でベッドから起きることもせず、式典での食事マナーもひどくって、でも女王に意見できないので列席者は戸惑うってところ面白すぎるし、ヴィクトリアの強烈キャラがパッとわかって面白い。
など、ぼーっと見てても、あぁそゆことねと得心が行くことが多く、疲れたからだにも見やすくできてました。
スープをじゅるるーっとすすって、誰とも会話もせず、すごい速さで一皿をからにするから、列席者のスープはまだまだ残ってるのにさげられて困惑、でも側近は知ってるからヴィクトリアに合わせてとっとと食う、そして口からはみ出すインゲン、手づかみで肉、デザート前にはいびき付きでお昼寝、デザートも口からクリームはみ出す…
エレガントとか気配りとか全く無視したそのやりようが可笑しくって、ヴィクトリア強いなーって思いました。
大英帝国的にはスープはすすっちゃダメだし、会話をしながらでないとダメなんでしょ?(主にダウントンアビー情報)なのにそれってww
大いにウケましたわたしは。
ヴィクトリアについては海外ドラマのやつを数年前にNHKでやってたのを見て(途中まで)、見ながらWikiでちょろっと読んだりしたくらいですが、そのくらいの知識があれば十分楽しめます。
夫を亡くして40年喪服を着続け、夫を亡くした後に愛した従僕も亡くし(たぶんこれが20年前にジュディディンチがヴィクトリアを演じた時らへんのお話)、更に孤独を深めていた老女が、全くの遠い国の若いハンサムくんを愛でた、ってのはわからなくないです。
ヴィクトリアが最後の方で、息子とヘンリーとリード医師に凄むシーン、かっこよかったです。
癇癪持ちだし、きむずかしいし、歩けないし、肥満だし、耳も片方聞こえないし、脱子宮だけど精神異常では断じてないってゆうようなことをいうところ。
よくご自分を見ておられると思いました。
史実として言ったことかはわかりませんが、このシーンでヴィクトリアの聡明さを感じました。
アブドゥルがなんでそんなにヴィクトリアを愛せたのかは分からなかったけど、彼はあまりイギリスに恨みがなかったのかもしれません。なので無垢な感じで高貴な方を慕ったのかなーと思いました。
あるいは奥さんもふくよかさんだったのでふくよか系がおすきなのかもしれません。
多分ジュディディンチに肉襦袢を貼り付けて撮影したと思われますが、見事なたるみにのうで、迫力がありました。
脚本・演出・演技、どれも好し
19世紀後半の英国領インド。
監獄の記録係をしている若者アブドゥル(アリ・ファザール)は、ヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)即位50周年記念の金貨「モハール」を献上する役目を仰せつかい、もうひとりのインド人と英国に向かう。
金貨献上の際、「女王と決して目をあわせてはいけない」との注意を破り、女王と目をあわせたアブドゥルは、その後、女王に気に入られ・・・
というところから始まる物語で、ジュディ・デンチがヴィクトリア女王を演じるのは『Queen Victoria 至上の恋』に続いて2度目。
『至上の恋』では、スコットランド人の従僕ジョン・ブラウンに魅せられた女王は、今度はインド人のアブドゥルに魅せられ、彼からインドの文化・風習などを知ることになる。
本作の前半で、アブドゥルのことを「褐色のジョン・ブラウン」と周囲の者が揶揄するのは、『至上の恋』で描かれた事実を踏まえてのこと。
とにかく、18歳で即位し、早くに夫アルバート公を亡くしているヴィクトリア女王にとっては、大英帝国の君主として振る舞うのは相当なストレスだったろうし、周りの政治家たちは彼女にとっては退屈極まりないものだったろう。
それは、ことあるごとにソールズベリー首相(マイケル・ガンボン)に対して言う、「あなたの言うことはいつも退屈」という台詞からも窺い知れる。
で、この映画が興味深いのは、アブドゥルがヒンドゥー教徒ではなく、イスラム教徒という点。
キリスト教の一派である英国国教会の首長でもある英国女王が、イスラム教徒からイスラム教の教義そのものではないにしろ教えを乞うというあたりが興味深く、ヴィクトリア女王は新しい文化・風習、つまり人それぞれ各個人として受け容れる。
キリスト教は、異教徒は排除するもの、もしくは、改宗させるもの、というのが基本的な考えだから。
なので、周囲の者は、なるたけ早く、アブドゥルを排除しようとしているわけ。
日本版タイトルに「最期」と示されているとおり、映画の最後でヴィクトリア女王は逝去し、それとともにアブドゥルも英国を追われることになるのだけれど、ふたりがもっと早く出逢って、周囲もふたりの関係を認めていたら(仕方がないね、のレベルでもいいのだけれど)、もしかしたら世界は変わっていたかもしれないなぁ、なんて思ったりも。
まぁ、そんな堅苦しいことは抜きにしても、ヴィクトリア女王とアブドゥルのやり取りを観ているだけで愉しい。
スティーヴン・フリアーズ監督の演出はますます円熟味を増してきた感じ。
脚本のリー・ホールは『リトル・ダンサー』『戦火の馬』のひとで、これもやはり巧みである。
心地よい笑いと心地よい切なさ。とてもキュートな歴史映画。
笑って泣いて・・・なんだか気持ちのいい映画だった。スティーヴン・フリアーズ監督らしいというか、特に近年のフリアーズ監督の堅実かつ軽妙な演出が堪能できるキュートな歴史映画だったなと思う。「キュートな歴史映画」と自分で書いておいてちょっと笑ってしまった。でも本当そんな感じがする。
この映画の主人公となる人物が他界されて100年以上経過してから発見された日記によって明るみとなった新たな史実。「恋」と言うべきかどうかはあやふやだが、きっと「時めき」のようなものはあったはずだと、その日記を読んだ人物は感じたのだろう。「ヴィクトリア女王 世紀の愛」では若きヴィクトリアが後の夫となるアルバート公との出会いが描かれ、「Queen Victoria 至上の恋」ではアルバートの死後に親しくなった側近ジョン・ブラウンとのロマンスが描かれ、ついにはこの作品で100年以上隠されてきたインド人青年アブドゥル・カリムとの束の間の時めきまで暴かれてしまったヴィクトリア女王を思うとなんだか気の毒な気もするが、あくまで映画としての物語であるということを念頭に置いた上で、そして必ずしもこの映画に描かれたことが事実であろうとは鵜呑みにしない前提で、この映画はとても良かったし好きだった。
私がこの映画を観た映画館では、50代から60代以上のシニア層と呼ばれる世代の観客でほとんどの席が埋まっており、冒頭から劇場全体から常に笑い声が漏れていた。それはそれは楽しそうな笑い声があちらこちらから上がっていて、つられて私も声を出して笑ってしまった。特に前半の物語は喜劇性が高く、それらも気持ちよく笑えるコメディによって構成されていたので本当に安心して楽しめた。王室職員たちのリアクションとツッコミもイチイチ楽しかった。
また冒頭で威厳たっぷり(かつユーモラス)に登場するヴィクトリア女王が、アブドゥルと出会うや否やまるで少女のように愛らしくチャーミングになっていくのがなんとも素敵で、それを演じるジュディ・デンチがまた可愛らしいこと。女王としての畏怖を抱かせる存在感も併せ持ち、チャーミングさと畏怖とのバランスを見事に調整しながら女王の胸の内を表現していてもうさすが天下のジュディ・デンチと言う感じだった。それにやはりジョン・ブラウンのことを回想しながら彼の名前を口に出す時、ヴィクトリア女王を演じるのはやっぱりジュディ・デンチであってほしいとは映画ファンなら誰しもが思うことだろう。それに応えてくれたこの映画とジュディ・デンチに心から感謝したい。
大傑作だというほどの作品ではない。でも大傑作は観るのに体力を消耗する。「良い映画だったけどまた観ようとは思わない」という作品も多々ある中で、この映画なら明日もう一度観てもいいかもしれないと思いたくなる優しさと気持ちよさがあった。そっと傍に置いておきたい映画とでも言おうか。決して楽しいだけの映画ではないし、幸せなだけの映画でもない。寧ろ人種や人権にまつわる多くの皮肉が含まれているし最後は悲しみで幕を閉じる。それでもこの映画はとても気持ちのいい映画だった。
映画の終盤は、あれだけ笑いに溢れていた劇場がしんと静まり返り、鼻をすするような音がかすかに聞こえていた。「笑って泣ける」なんて映画の売り文句の使い古された常套句を思い出し、この映画こそまさしくそれではないか?と思った。
美しい愛情物語に
ずいぶんムンシが善人に描かれて、最後の最後まで泣かせる話だった、、、
のだけど、本で読む限りムンシはもっと強欲だし、晩年のヴィクトリア女王とは言い争いもあったと言う話だけど、そういう嫌らしいところは省かれて、純粋に二人の美しい友情愛情に絞られていて、それはそれでヴィクトリア女王の視点で見たムンシとの物語だと面白く見ました。制作した人たちのヴィクトリア女王への愛情も溢れていて、ジュディデンチがまたそれをうまく出しきっていて、真実はなくとも、愛の真実に溢れていた。
ムンシはずる賢い人で、ヴィクトリア女王との関係はインド人特有の愛情も金銭感覚をもって築けるあっさりした性格と認識していたので、彼の人生に思いを馳せたことはなかったけど、こういう終わりもあった
のか、、、な。
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