「孤独な老女王の求めた人間らしい愛情」ヴィクトリア女王 最期の秘密 しずるさんの映画レビュー(感想・評価)
孤独な老女王の求めた人間らしい愛情
君主である事に倦み疲れ果てた老女王ヴィクトリアと、人懐こく好奇心と機知に富んだインド人青年アブドゥルの出会い。
始まりは恐らく、背が高くハンサムな異国人への女王の気まぐれな好意であろうが、未知の異国の知識をもたらしてくれる彼への憧憬、異性に示すような親愛の仕草へのときめき等、次第に情を深め重用していく。
親しく寄り添ってインドの言葉を教えてくれる彼に見せる少女のような笑顔、孤独を打ち明けこぼす迷子のような涙が、哀れで愛しい。
アブドゥルの妻の容姿や生殖能力への懸念を見ても、恋愛に似た女性心理が全くないとは思えないが、彼を師と呼び、時に愛しい息子と呼ぶ心情は、恋愛、友情、信頼と、簡単にカテゴライズできない複雑さを呈している。
これはアブドゥルも同じだ。人懐こく話し掛け、女王をダンスに誘い、特別な女性と告げ、女王の寂しさに寄り添い慰める。恋か、同情か、敬愛か。列車の豪華さにはしゃぎ、華美な衣装を自慢げに纏い、人生は冒険だと嘯く彼に、出世欲や打算が全くない訳でもなかろうが、「私が死んだらどうなるか解らない。そろそろ国へお帰り」と告げる女王に、「ここが私の国です、一生お仕えします」と返し、死を看とるまで側に残った彼の本意は、それだけとは思えない。
しかし、二人の無邪気な愛情は、立場からすれば酷く愚かだ。人種問題、植民地問題、国家宗教問題。多くの課題を解決に導くでもなく、性急にアブドゥルに心酔する女王の姿勢は、当然周囲の危惧と反発を招く。
アブドゥルの同行者モハメドのスタンスが、いっそうそれを浮き彫りにする。自らの身の安全を憂い、はやく故郷に帰りたい、周りは敵ばかりだとぼやく小男に見えるが、報酬をちらつかせてアブドゥルの弱みを問う皇太子らに、彼は貴方達と何も変わらない、出世したかっただけだと切り捨てる言葉は、ある意味最も現実的で聡明だ。
事前の印象では、もっと人種的な問題を扱った作品かと思っていたが、差別、蹂躙、傲慢を示す表現はあれど、主題はそこでは無いように感じた。
一人の女性の、生きる事の辛さ、ままならない苦しみ、孤独、老いと死。それに寄り添おうとする広義の【愛】。
81歳の年老いた体に、毎日休む間もない公務や式典、為政者としての重圧を背負い、権力と欲望に囲まれ、助けとなるパートナーもなく、孤独と疲労に蝕まれ…。
太り、たるみ、病み、背の曲がった小さな体躯に、大きく重い王冠を載せられ、無気力な表情で一人王座に寄り掛かる姿が胸を打つ。
死の床で、怯えるようにアブドゥルを呼び、恐いと訴える弱々しい姿には、自分の身内を重ね合わせて、涙が止まらなくなってしまった。
彼女は弱り老いていく中、肉親のように、恋人のように、ただ側にいて手を握る程の、温かく人間らしい愛情を求めたのではなかったろうか。
きらびやかで豪勢な宮廷の裏を返した滑稽さ、女王の気まぐれに振り回される宮廷の人々には、度々笑いを誘われる。
重くなり過ぎないバランスが良い。