「脚本・演出・演技、どれも好し」ヴィクトリア女王 最期の秘密 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
脚本・演出・演技、どれも好し
19世紀後半の英国領インド。
監獄の記録係をしている若者アブドゥル(アリ・ファザール)は、ヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)即位50周年記念の金貨「モハール」を献上する役目を仰せつかい、もうひとりのインド人と英国に向かう。
金貨献上の際、「女王と決して目をあわせてはいけない」との注意を破り、女王と目をあわせたアブドゥルは、その後、女王に気に入られ・・・
というところから始まる物語で、ジュディ・デンチがヴィクトリア女王を演じるのは『Queen Victoria 至上の恋』に続いて2度目。
『至上の恋』では、スコットランド人の従僕ジョン・ブラウンに魅せられた女王は、今度はインド人のアブドゥルに魅せられ、彼からインドの文化・風習などを知ることになる。
本作の前半で、アブドゥルのことを「褐色のジョン・ブラウン」と周囲の者が揶揄するのは、『至上の恋』で描かれた事実を踏まえてのこと。
とにかく、18歳で即位し、早くに夫アルバート公を亡くしているヴィクトリア女王にとっては、大英帝国の君主として振る舞うのは相当なストレスだったろうし、周りの政治家たちは彼女にとっては退屈極まりないものだったろう。
それは、ことあるごとにソールズベリー首相(マイケル・ガンボン)に対して言う、「あなたの言うことはいつも退屈」という台詞からも窺い知れる。
で、この映画が興味深いのは、アブドゥルがヒンドゥー教徒ではなく、イスラム教徒という点。
キリスト教の一派である英国国教会の首長でもある英国女王が、イスラム教徒からイスラム教の教義そのものではないにしろ教えを乞うというあたりが興味深く、ヴィクトリア女王は新しい文化・風習、つまり人それぞれ各個人として受け容れる。
キリスト教は、異教徒は排除するもの、もしくは、改宗させるもの、というのが基本的な考えだから。
なので、周囲の者は、なるたけ早く、アブドゥルを排除しようとしているわけ。
日本版タイトルに「最期」と示されているとおり、映画の最後でヴィクトリア女王は逝去し、それとともにアブドゥルも英国を追われることになるのだけれど、ふたりがもっと早く出逢って、周囲もふたりの関係を認めていたら(仕方がないね、のレベルでもいいのだけれど)、もしかしたら世界は変わっていたかもしれないなぁ、なんて思ったりも。
まぁ、そんな堅苦しいことは抜きにしても、ヴィクトリア女王とアブドゥルのやり取りを観ているだけで愉しい。
スティーヴン・フリアーズ監督の演出はますます円熟味を増してきた感じ。
脚本のリー・ホールは『リトル・ダンサー』『戦火の馬』のひとで、これもやはり巧みである。