「縫合」聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5縫合

2018年3月17日
iPhoneアプリから投稿

私は神話的アイロニーが好きなんだと再認識した。ギリシャ人は常に超自然的な現象を前提にしている。

オープニングの心臓の縫合シーン。縫合はラプソディーの語源だ。詩と詩を繋ぎ合わせたものが音楽。そして人と人を仮縫いしてくっつけたような家族。

マーティンは呪術的正義の下で、豪奢な暮らしの主人公に罰を下す。

マーティンがスパゲティを貪るシーンは、神である父の再生(継承)と、それとともに、「身代わり」を殺害することを象徴している。
そして物語の肝は、彼の予言そのものにある。

一方、主人公は神をも恐れぬ支配者だ。子供を自分の所有物とみなし、どちらか優秀な方を残して生贄に差し出す。
こうした「身代わり」の観念は、家族(共同体)から何かを追い払うという行為を正当化させ、その行為を行事化させていく。
人間社会の「おぞましさ」。ゾッとする。

唯一、神と人間の両界を行き来する姉。彼女が生きていることで、復習の連鎖を想像させて映画は終わる。

映画でしか表現できない、なんとも言えない不気味さ。前作「ロブスター」と同様に、この監督の独自性に魅力された。

Raspberry