ベロニカとの記憶のレビュー・感想・評価
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気持ちを新たに前に進む…で良いのか?
過去を都合良く書き換えて記憶するのは誰にでもあることだろう。
最後、過去と向き合って新たなスタート、みたいな終わり方だったのが何だか違う気がする。トニーに贖罪があるとも思わないけれど、観ている方には、それで終われない微妙な後味の悪さが残る結末だったから。
多分、ベロニカに起こったことがあまりにも壮絶だったからそう感じたのだと思う。
恋人を取られて激情にかられ、思いのまま手紙を書いただけならそれで良かったかも。いや、当初の想像通り子供がエイドリアンとベロニカの子でもまだ納得できたかも。
どうしてエイドリアンはベロニカの母を妊娠させてしまったのか。学生時代の彼の言うようにそれは永遠に誰にも分からない。それでもなぜそうなってしまったのか、理由を知りたくなってしまうのだ。
そしてどうしてベロニカの母は彼にエイドリアンの日記を遺したのだろうか。何故ベロニカは渡すのを拒むのか、本当にベロニカはそれを燃やしたのか。何も語られないからこそいろいろと気になった。
結局は関わらなかった人生
トニーが呪いの手紙を激情に任せて送った後、ベロニカやエイドリアン、ベロニカの母がどんな人生を送ったのか、詳細は明らかにならない。
わかるのは、まずはベロニカとエイドリアンが恋仲になり、その後エイドリアンはベロニカの母と通じたこと。
ベロニカの母とエイドリアンの間には子ができ、その子が呪いが成就したかのように障害を持ち、その子は父と同じ名をもらった事。
父親のエイドリアンはそれらのどこかの時点で若くして自殺し、ベロニカの母はつい最近までの長寿を保ったこと、ベロニカは弟のエイドリアンをよく面倒見ていること。
トニーがベロニカに「君が苦労したのがわかる」と言ったのに対し、ベロニカは「いや、あなたにはわからないわ」と言ったこと。
エイドリアンはなぜ死んだのか。
ベロニカを裏切ってその母と通じた良心の呵責からか、母が妊娠したことが露見したからか、母が産んだ子が障害を持っていたからか、母の家庭が壊れていくのがいたたまれなかったか、ベロニカの嘆きと絶望を目の当たりにしたからか。
映画では全てわからぬまま。
で、そういうことなのだと思います。
トニーにとって、それらは彼が関わることがないうちに進行して、終わったこと。
結局は交わらなかった人生で、それらは歴史と同じ。
自殺の理由も、当のエイドリアンの言うごとく、本人に語らせない限りはわからない。
呪いの手紙は奇妙にその後の二人の人生と符合したが、それはトニーの呪いが直接起こしたことではない。呪われた人の心に変化をもたらしたとしても。
結局トニーの関係のないところで事態は進み、彼は罪悪感と後悔は抱くものの、それらが父エイドリアンや、ベロニカらの人生に関わることはない、そしてトニーが「なぜ」の答えを知ることもなく、彼は彼の平凡で幸福な人生に逃げ込んでいける存在ということなんでしょう。
自分を納得させるために書き換えた物語
映画「ベロニカとの記憶」(リテーシュ・バトラ監督)から。
「ミステリードラマ」と紹介されていたけれど、
この作品は、何を伝えたいのかを考えた時には、
ミステリー作品ではなく、人生を考えさせられる作品となる。
「歴史上の出来事の犯人探しは、無意味に思います。
歴史家は戦争の責任が誰にあるかを突き止めようとする。
でもそれを知るのは不可能です」という
高校時代の授業風景を回想しながら、
作品の最後には、こんな台詞でまとめられている。
「人は人生を語る時、去を装飾し、都合よく編集する。
長生きすれば異を唱える証人も減る、
それは事実というより『物語』だ。
自分を納得させるために書き換えた物語」
まさしく、自分史などはその典型といえるかもれない。
人生の中で数少ない「善行」は、装飾し「善人」を気取り、
幾多もあったはずの「悪行」は、都合よく削除され、
自分の人生は、誰に見せても恥ずかしくないほど編集される。
ただ、それを否定しているわけではない。
そうありたかった・・と願う「願望」に近いストーリーで
自分の生き様に納得するしかないのが、自分史である。
歴史はそうやって作られていくものなんだよなぁ。
原作未読。信用
できない語り手、しかも無意識というたちの悪いやつか。邦訳時にミステリ界隈で評価されていたようだったが…叙述の仕方/騙られ方を堪能するために小説を先に読むべきだった。
主人公の言動(現在パート)が、いちいち自分を正当化するための上っ面のもので、しかも家族にはそれが容易に透けて見えるのでイラつくのがよくわかる。そのうちその心持ちというか基本姿勢というか傾向があれこれ私?? と思えてきて余計なダメージを受けた。ブロードベントがうまいのが悪いので、ワタシワルクナイデス。
人間いかに自分の都合のいいことしか覚えてい(たく)ないか、暗喩的なセリフを散りばめていたのかが最後まで見るとわかる。ベロニカのお母さん結構かわいいなあ、とか呑気に思っていた私には、真相という鉄鎚が振り下ろされ成敗されたのであった。
このエンディングが「正解」かはわからないが、変わろうとする気持ちには嘘はない…と思いたい。
人は都合よく過去の思い出を作ってしまう。
青春の思い出とサスペンス的な要素がある作品。とても面白かった。40年前トニーとベロニカは付き合っていた。しかし、トニーは周りの友人たちから「トニーの親友のエイドリアンがベロニカと熱愛中」と聞かされる。嫉妬からトニーはエイドリアンに嫌味のこもった呪いの手紙を送る。その後、エイドリアンは自殺してしまったため、二人の中の記憶を封印してしまう。40年後に知った事実はエイドリアンの恋の相手はベロニカの母親・セーラだった。40年後にトニーとベロニカが面倒を見ている知的障がい者の「エイドリアン」の息子だと思い込むが、またも勘違いで彼はセーラの息子だった。エイドリアンの残した日記を書くベロニカは大切に持っていたがこれが周りを不幸にすると思い燃やしてしまったのだ。エイドリアンに出会ったトニーは、彼をベロニカの息子だと思い込んで40年前の過ちを繰り返そうとしていたのである。人は間違いを犯すものであり、ベロニカに過去の過ちをベロニカに手紙で謝罪する。そしてトニーは今の家族が自分を必要とされている事に安堵を覚えるのだった。
相変わらず
自分勝手に見えないこともない。
ベロニカやエイドリアンの過去も教えてほしかった。
ベロニカさんはどんな気持ちで弟を愛してきたのか、エイドリアンの日記とか。
あの手紙をずっと大事に持っていたのは何故か?
知りたい
曖昧模糊・漠然とした不安が残る映画
ジュリアン・バーンズの英国ブッカー賞受賞小説『終わりの感覚』の映画化。
引退し、小さな中古カメラ店を営むトニー(ジム・ブロードベント)。
離婚した先妻との間の娘スージー(ミシェル・ドッカリー)は臨月の大きなお腹を抱えている。
そんなある日、トニーのもとに見知らぬ弁護士から手紙が届く。
それは、かつて交際していた女性ベロニカの母親がトニーに日記を遺品として遺した、というもの。
しかし、ベロニカはその日記をトニーには渡さないという。
それを契機に、トニーには50年近い昔の青春時代のことを思い出していく・・・
というところから始まる物語で、主役はトニー。
ポスターなどではシャーロット・ランプリングも大きく扱われているので、彼女が主役なのかと思っていたけれども、重要な役ながら後半になってようやく登場する。
ということで、ここいらあたりはちょっと当てが外れた感じ。
映画はその後、トニーの回想によって、青春時代のトニー(ビリー・ハウル)とベロニカ(フレイア・メイヴァー)との恋愛関係や、トニーの友人エイドリアン(ジョー・アルウィン)との関係が断片的に描かれていきます。
エイドリアンは、後にベロニカと交際し、自殺してしまうのが、その原因や顛末をトニーは思い出せません。
思い出せないのか、思い出したくないのか・・・
ここいらあたりがこの映画の肝で、映画としてはどうにも隔靴掻痒。
思い出したくない過去の出来事を思い出し、心のわだかまりが氷解する・・・といった類の映画にも見えるのですが、もうひとつの面も。
もうひとつの面とは、エイドリアンが授業中にいう歴史観。
「過去に何かが起こった。それは確かに言えるが、誰がどういう理由でどうこうしたとは現在の視点からは何も言えない。過去に何かが起こった、としか言えないのが歴史だ」
つまり、現在の視点からみた過去の出来事は、みている者の視点によって解釈されて歪められているかもしれず、事実・真実は曖昧模糊。
トニーの(思い出せないのか、思い出したくないのかわからない)思い出した過去の記憶は、トニーにとって都合のいい過去の書き換え・・・
まるで、フィリップ・K・ディックのSF小説のよう。
映画では、エイドリアンの自殺の顛末も明らかになるのだけれど、それもトニーが思い出したこと、思い至ったことに過ぎず、真実ではないのかもしれない・・・
と、まぁ、なんだか「・・・」ばかりが多い感想になってしまったが、そんな曖昧模糊・漠然とした不安が残る映画でした。
なお、シャーロット・ランプリングは現在のベロニカ役で、その他、『ラースと、その彼女』『シャッター・アイランド』のエミリー・モーティマーがベロニカの母親役で回想シーンに登場しています。
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