バトル・オブ・ザ・セクシーズのレビュー・感想・評価
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性差を超えた事情があったということね
ビリー・ジーン・キングは選手としての晩年に、クリス・エバート=ロイドに女王の座を明け渡した往年の名プレーヤーだったという記憶がある。その頃はまだ小学校低学年だったので、記憶違いかもしれない。
いずれ、マーガレット・サッチャーばりの鉄の意志を持つ女として、小学生ながら畏怖の念をもってテレビ画面越しに眺めていた。
テニスプレイヤーらしくない風貌にも感じたが、本編最後のご本人映像を見る限りはそうでもない。チャーミングな、というかエレガントな感じがする。それだけ自分も歳をとって、妙齢の女性に対する認識も変化したということか。
それと同時に、映画に描かれたようなマリリン(ライズボローが素晴らしい。カメレオン女優の仲間入りした感がある)との関係に悩める女性であったとは、当時は思いもしなかった。
かたやボビー・リッグスは、なんとエキセントリックな奴なんだろう。それなのに、人を魅了するのは、彼が実は無欲なというか、邪気のない人間だからだろう。子どもとの関係はそれなりだが、夫としての才はなく、テニスプレイヤーとしてはとっくの昔に盛りは過ぎた。博打癖がカウンセリングを必要とするほどの常習性を極め、もはや人生詰んでしまう寸前である。
男性至上主義のブタなんて自虐ネタで世間の注目を浴びようとするまでに追い込まれたのかと思わせておきながら、きっと彼は単にビリー・ジーンと共に世間を賑わせ、楽しいイベントがしたかっただけなのではないか。そしてそれが彼女を助けることにもなると、心のどこかで感じ取っていた節もあるのではないか。
なぜかそう考えたくなるほどの潔さなのだ。
リッグスの視点をもっと深く掘り下げれば、さらに深みが増したであろう好編だった。
最後の場面でゲイの専属デザイナーがビリー・ジーンをハグしつつ囁いた言葉と、ロッカールームで一人寂しく佇むリッグスの姿にグッときた。
ふ〜ん
けっこう期待して観た。
でも俺は何を期待して観たんだろう。女性が男性をやっつける爽快さだろうか。男性が勝つに決まってると思い込んでいる古き男性達の鼻があかされる痛快さだろうか。
結果は、そういうのでなく、なんだかホロ苦かった。
キング夫人が試合に込めた「スポーツをする女性にも対等な敬意を払ってほしい」という決意はわかっているにもかかわらず、観ている自分の中では、試合での勝利に向けた高揚への同調が今ひとつだった。
。
想像するひとつの理由は、キング夫人が、自分の中のLGBTに気づく方の流れは、女性の権利への決意ほどまでには至っておらず、本人の中でもまだ困惑混じりの段階だったためだろうか。
つまり女性の権利の面では、テニスの試合の結果とその思いはシンクロして、ラストに向けてひた走っていくのだが、それとLGBTへの信念がリズムがあっていないせいかな。
そしてもうひとつの理由は、女性蔑視やLGBT差別がすでにマイノリティになった今、当時はきっと大盛り上がりだったであろうこの試合が、茶番に見えてしまったことかな。
そう自分が感じること自体が、自分もまだ女性蔑視やLGBT差別から脱して間もないということの証明かもしれない。ついこの前までの自分を見せられているような気になってしまい、落ち着かなかったのかも。
自分の振り返りに終始し、みんなへの参考にはならない感想になってしまいました。
ただ、キング夫人もコート夫人も「エースをねらえ!」で描かれていた絵によく似ていました。
女性蔑視と戦ったビリー・ジーン・キングにガッツポーズ
全編、イライラする程の女性蔑視が繰り広げられ、爽快なクライマックスにつながるというシンプルな構成ながら、名優スティーブ・カレルの怪演(ボビー・リッグス本人とくりそつ)、そしてビリー・ジーンをリアルタイムで見ていた我々世代からは「可愛い過ぎるだろう」と突っ込まれること必死なエマ・ストーンの魅力が今作を特別なものにしている。
隣で観ていた嫁さんのガッツポーズも記憶に残る快作だ。
ブルゾンちえみ With B
ラ・ラ・ランドのイメージとはほど遠いエマ・ストーンの容姿にビックリ。ビリージーン・キングの事は知らなかったが、度々出てきたクリス・エバートは知っているので、自分が知っているテニスプレーヤーの一時代前の話であった(私は1963年生まれ)。
ビリージーン・キングの夫役が、ブルゾンちえみのWith B(どちらかはわからん)にしか見えなかったのは自分だけか。
偉大な先駆者に脱帽
スポーツの枠を超越した社会派ドキュメンタリー。1970年代にこんなテニスマッチがあったとは、全く知らなかった。男女の不平等に抗議して、女子テニス協会を断固立ち上げたキング夫人の行動力と意思の強さには頭が下がる。何事にも偉大な先駆者が不可欠ということか。今年のウィンブルドン シングルスの優勝賞金が男女共に225万ポンドだと知ったら、キング夫人もきっと仰天するに違いない。当時の社会観や空気感、ファッションを忠実に再現した制作陣の手腕に脱帽。エマはキング夫人の内面までも繊細に演じていたし、スティーヴは根っからのエンターテイナーであるボビーになりきっており、とても感情移入し易かった。フォアもバックもスライスを多用し、チャンスがあれば、すぐにネットに詰めてボレーで決める、というテニススタイルは現代とはかなり違っていて、非常に興味深かった。
面白かった
スポーツ映画としてのカタルシスを期待し過ぎると、クライマックスの試合シーンは物足りなく感じるのかも。しかし、そこに至るまでの両者の紆余曲折が丁寧に、しかもどっちかに偏ることなく描かれている為か、あっさりした終わり方を眺めながら色々と思いを馳せることができて、余韻がとても深くなった。
当たり前のことだが時代劇には、綿密な時代考証と、その時その場所に確かにいた、と感じさせる役者の実在感こそが何より大事なのだと改めて思わされた。スティーブ・カレルは本人の写真と比較すると、シンクロ具合が凄過ぎて気持ち悪いぐらいだった。
そしてアストロドームは「BIRD☆SHIT」の舞台でもあった、、。
そこまで突き抜けちゃったのね…
男尊女卑が世界共通語だった頃の話で、そこが論点と思ってたら、もっと突き抜けてしまったのね…。
各個人の話は別として、体力では男だし、子供を産むのは女だし、男女には役割があると思うから、何でもかんでも平等って、少し違和感を覚える。
もちろん、その役割を果たしたくても果たせない人がいることも知っているし、自ら果たさないことを選択している人もいる。それが自由だということを否定するつもりもない。ただ、それをことさらLGBTという言葉にしたり、対立構造にしたがる人がいるように思えて仕方ない。映画の底に、それが見てとれた感じがして、最後に感想が変わってしまい、あんまり感動しなかったかなぁ…。
私達は私達のやり方で。
楽屋のシーンで男と女が対比されてるのが面白かった。あの楽屋のシーンを見て、なんとなくカーリング女子を思い出した。
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可愛くおしゃれしてみんなで和気あいあいとやってるのをみんなが応援してて、良い時代になりつつあるのかなと思った。
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そしてボビーってある意味女性の味方なんじゃないかって思ったんだよね。過剰なまでに男性至上主義を主張することで今まで興味なかった人も女性側についてくれたりしたんじゃないかなと思った
ちゃんとした社会派ドラマ
女子のトッププレイヤーとシニアの男子プレイヤーが対戦するテニスのエキシビションマッチを巡る物語。実際に行われた試合とはいえ、その組み合わせとネーミングからコメディ系の映画かと思っていた。
実際は、女性の地位を勝ち取るためにテニスを通して闘った女性たちの話だった。
男性選手との試合なんてバカらしいと思っていたが、背景や試合までの経過を知っていくと負けたくない!というビリージーンにどんどん感情移入している自分に気づいた。これでは試合終了したときにはちゃんと感動してしまう。
50年もたっていない出来事だから、今の問題でもあるんだろう。女性の地位やLGBTのことなど、結構考えさせられる映画だった。司会者が肩にまわす手が妙に気持ち悪い!
最後に本人たちの写真が出るんだけど、きちんと寄せた役作りしていたのは驚いた。さすが!
伊調馨選手vs栄監督
キング/リッグス、炎の女と脂ぎった男。
火と油でよく燃えます。
何でもエンターテインメントに仕立てちゃう米国の力強さとユーモアセンスに感心します。
露骨な男性至上主義とかパワハラとか、ここまでいくと爽快感すらあります。
こうなったら、日本としては、伊調馨選手vs栄監督デスマッチで盛り上がるしかない...
あのシーンだけでも観る価値がある
女性の権利や地位向上だけでない、同性愛者やボビー・リッグスのような依存症者も含めた全ての弱者に寄り添う映画だった。
特に、初めて同性愛に落ちる瞬間は夢のように美しく描かれていて印象的。ここだけでも観る価値がある。
やっぱファリス&デイトンは素晴らしい!
ミュージック・ビデオ界出身で、映画としては「リトル・ミス・サンシャイン」「ルビー・スパークス」を手掛けたバレリー・ファリスジョナサン・デイトンの監督作品でFOXサーチライト配給、という事で、決してオーヴァーグラウンドな映画では無いと思わせて、主演がエマ・ストーンとスティーヴ・カレルって?それには訳があった。タイトル通り、男女の性別を賭けた闘いではあった。テニスの現役トップ・プレイヤーの女性ビリー・ジーン・キングと、かつて世界王者だったオッサンプレイヤーであり、徹底した男尊女卑主義者で人を舐めまくった行動がセンセーショナルなボビー・リッグスによる、お互いの立場と意地とプライドを賭けた試合を、そこまでに至る過程における各々の心情描写を経て、実際の試合の模様をクライマックスに、比較的事実に忠実に再現した作品。この内容を現代の社会に向けて作り上げる意義と言うのは、ここで語れないが、当初持っていた映画のイメージとはかなり違っていたのは確か。単純な男×女のバトルでは無いのであった...。
特筆すべきは、やはりファリス&デイトンが作り上げるポップでカラフルでフザケてて、しかしながらリアリティも同居する独自の世界でしょう!特にボビー・リッグスの徹底したオフザケの描き方は、実際にそうだったかはさておき、監督の並々ならぬ執念を感じるし、それが変な笑いに昇華されており、意図として成功していたのではと思う。もちろん、人間の陽の部分と、陰の部分の描き方の対比もお見事だった。単純に1970年代の雰囲気を忠実に描いた...と言えば簡単だが、それを超えたヴィジュアル世界が素晴らしい作品でした。それでいて、映像テク偏重の作品に終わらない、社会的なメッセージと意外な裏メッセージも孕んだ巧みな傑作でした。
追い込まれているのは実は男の方
全米テニス協会から追い出されてもビリー・ジーン(女性)は、堅実に実績を積み上げ前進を止めない。夫との間にトラブルが生じても復活する。
片やボビー・リッグス(男性)は、既にピークを過ぎたシニアで稼ぎも少ない。この闘いは実は賞金の低い者同士の闘いなのだ!!
ボビーはギャンブル依存症が原因で妻から離婚を迫られており、追い込まれている。ギャンブル癖を治すより「勝てば文句ないだろう」と開き直り、男女対決というセンセーショナルで注目を集め、自分の価値を引き上げようと画策する。勝つ度に賞金を吊り上げて、自分が今も大金を稼げる男であることを妻に証明しようとする。
本質的に解っていないのは、ボビーが闘うべき相手は女性プレイヤーではなくギャンブル依存症という病気なのだ。彼は治療から逃げている。故に妻を失望させる。彼は既に妻という女性にうち負かされているのだ。
食傷気味
女性軽視を受けた女子テニス選手が、シニアでプレーしている男性テニス選手と対決し、勝利するまでのお話。
前知識もほとんどなしに観に行ったので、もっとテニスの試合風景などが観られると思っていたのですが、そこにはさほど力を入れておらず、史実をベースに、性差別と同性愛に焦点を絞った展開が続き、正直、またか、と思ってしまいました。
とにかく、二時間にわたる話のほとんどがそれに費やされており、後半にはかなりの疲労感を覚えました。
しかし、作品内の当時のイメージを表現するための、ぼかした撮影技法や、メイクの仕上がりは、さすがだなと思いました。
アラン・カミングの起用で、彼の最後のセリフには、彼自身がゲイであることもあり、真に迫るものがあって、心に刺さりました。
最近の女性優位な風潮が目に余る気もしますが、まだまだこれからも続くのでしょうね。
平等とは何か。男女のあるべき姿を問う、深い物語。
【賛否両論チェック】
賛:男女格差が厳然としていた困難な時代に、平等を訴えて戦い続けた主人公達の苦悩や葛藤、そして自ら嫌われ役となった相手選手の等身大の姿を通して、男女間のあるべき様を問いかけてくるのが印象的。
否:結末が分かっているだけに、どうしても展開が単調に感じてしまうのは、仕方がないところか。ラブシーンがあるのも気になる。
男性が優位な時代にあって、平等の声を挙げることがいかに困難なことであったか。そんな中にあって、それでも自分の信念を貫き通したビリー・ジーン・キングの強さに、心打たれます。
そして彼女だけではなく、自らの意志で嫌われ役となったボビー・リッグスの悲しい物語が描かれているのも、見逃せません。2人の運命がいかにして交錯し、国中を巻き込んだ一大事件に発展していくのか、その過程にある人間ドラマに思わず考えさせられます。クライマックスのゲームは、言うまでもなく見どころです。
どうしても予定調和になってしまうのは否めませんが、戦い続けたプロ達の孤高な姿を、是非ご覧になってみて下さい。
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