「彼女は自分の「素」と向き合うことができたのでは?」バトル・オブ・ザ・セクシーズ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
彼女は自分の「素」と向き合うことができたのでは?
<映画のことば>
「どうしたの。」
「運命よ。避けられないと悟ったの。」
NHKのダイバーシティ映画特集とかで、数本まとめて放送になった作品のうちの一本になります。
テレビ放送から録画したまま久しく「お蔵入り」(汗)となっていましたが、ようやく鑑賞することができました。
自分自身の心情として、のめり込んで行かざるを得なかったのだと思います。
本作のビリー・ジーン・キングはこの途に。
結局は自分の家庭まで犠牲にしてまで。
そして、その中で、本当の自分の性的指向に気づくことができたのは、「殻」を割って、彼女自身が「素の自分」と向き合うことができたからではないでしょうか。夫がいて、夫との間に子どもまでいた彼女としても。
テニスの優勝賞金の金額の不平等をめぐる男尊女卑「だけ」の作品と本作を捉えるのは、いささか視野が狭いように思います。評論子は。
いずれにしても、自分が不条理だと思う世の中の仕組みを変えていくことは、こんなにも自分自身の「重荷」となり、自分自身をもこんなに深く傷つけるものだと知ると、ずしりと重たい気分になります。
再観するには、いささか勇気が要りそうですけれども。
佳作であったと思います。評論子は。
公開時、劇場で観たのですが今、現在の感想も興味深いかと。漫画「エースをねらえ」では女子を超えると描かれたキング夫人がこんな見世物的な試合をしていた?!という興味で観たのですが、今となっては別の部分に注目が集まりそうですね。
少人数のツアー、汗まみれで闘い、シャワーを浴びる、同じ檻に入れられてるようなものですから・・男子選手にも恋人同士は居たんじゃないですかね~あまり聞きませんけれど。現在、ATPツアーでは認められてるんですかね?
この男子選手は最初から試合を諦めてた気がします、ロートルなんで肯ける所もあるんですが、ちょっと言い訳がましいというか潔くないと感じた記憶がありました。
グレシャムの法則さま、コメントありがとうございました。
何にしても「抗う」ということはメンタル的にも大変なことと思います。
「世の人は 我を何とも言わば言え 我なすべきことは 我のみぞ知る」(坂本龍馬)という達観も、時には必要なのかも知れませんね。
今後ともよろしくお願いします。
世の中どころか、会社の一部署の仕組みでさえ下から変えていくのは、生半可なことではありません。トップダウンでやれる人に恵まれたとしても、いつしかそのトップ自身が組織運営の阻害要因になることもあります。
仰る通り、自分が変革の魁となるのは、多くの場合、重い荷を背負うことでもあるのですね。