「【67.9】アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ 映画レビュー」アバター ファイヤー・アンド・アッシュ honeyさんの映画レビュー(感想・評価)
【67.9】アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ 映画レビュー
ジェームズ・キャメロンが再び、映画という表現形式の臨界点を押し広げた。2009年のアバターが視覚革命を興し、2022年のウェイ・オブ・ウォーターが流体表現の極致を示したとするならば、本作アバター:ファイヤー・アンド・アッシュは、映画全史におけるテクノロジーと物語の致命的な乖離を露呈させた、極めて議論を呼ぶ記念碑的作品と言える。これまでの作品がパンドラの美しさを讃える讃歌であったのに対し、本作は火と灰という破壊的なモチーフを通じ、人間とナヴィ、そして生命そのものの暗部を抉り出そうと試みている。しかし、その野心的な視覚的アプローチの裏側で、映画の核となる物語がかつてないほどの停滞を見せている事実は見過ごせない。
作品の完成度という点において、本作は映画全史という広大な文脈の中で捉えるならば、1920年代のフリッツ・ラングがメトロポリスで示した視覚的壮大さと叙事詩的停滞のジレンマを現代に蘇らせた作品である。キャメロンは今回、過剰なまでの視覚的快楽をあえて制御し、灰色の空と燃え盛る情念という重厚なトーンで統一することで、古典的な悲劇の構築を狙った。これはデジタル・シネマが到達した一つの頂点であり、映画史に刻まれるべき壮絶な美しさを湛えた成熟の三作目であることは疑いようがない。しかし、その圧倒的な外殻に反して、内部に流れる物語の血流はあまりに既視感に満ちており、映像の革新性に脚本が追いついていないという、現代メガピクチャーが抱える宿痾を体現してしまっている。リュミエール兄弟が列車を映し出し、メリエスが月への旅を夢見た時代から続く驚異の提示という映画の原罪が、本作では脚本の深化を拒む壁として立ちはだかっているのである。
監督・演出・編集において、キャメロンの手腕は映像の統率という面では円熟の域にあるが、ドラマツルギーにおいては明らかに精彩を欠いている。演出は新部族アッシュ・ピープルの攻撃性を皮膚感覚で伝えることに成功しているものの、編集のテンポは一部の叙情的なシーンを冗長にさせ、197分という上映時間の正当性を担保しきれていない。脚本・ストーリーの面では、今回新たに導入されたアッシュ・ピープルの女首領ヴァランの設定や、出産を通じた生命の輪の強調、そしてクライマックスに至る肉弾戦の応酬は、あまりに古典的、あるいは使い古されたハリウッドの文法に固執している。ジョン・フォードが築いたフロンティア神話や、黒澤明が確立した動的なアクションの構図をなぞるに留まり、21世紀の神話として新たな哲学を提示するには至っていない。映像・美術・衣装の面では、火山地帯の過酷な環境を反映した独自の意匠が凝らされており、文化人類学的な説得力が貫かれているが、それらが単なる見世物のための装飾に堕している感は否めない。音楽はサイモン・フラングレンが手掛け、ジェームズ・ホーナーの遺志を継承しつつ、重厚な音像で火の質感を表現した。主題歌であるマイリー・サイラスのDream as Oneは、彼女のハスキーな歌声が、絶望の灰の中から立ち上がる生命の希望を象徴し、エンドロールにおいて深い余韻を刻み込んでいる。
キャスティングと演技においても、本作は俳優の力によって脚本の空隙を埋めるという困難な作業を強いられている。
サム・ワーシントン:ジェイク・サリー役
本作においてジェイクは、守るべき家族と部族、そして自身の過去という三重の重圧に晒される父親としての苦悩を体現している。ワーシントンの演技は前二作と比較しても格段に深みを増しており、かつての戦士としての荒々しさと、リーダーとしての静かなる覚悟を、アバター越しでありながら驚くべき繊細さで表現している。特に、アッシュ・ピープルとの対峙において彼が見せる、絶望と怒りが混ざり合った表情は、モーション・キャプチャ技術が俳優の魂を完全に捉えられるようになったことの証明である。彼の低い声に宿る重厚な響きは、本作の持つ悲劇的なトーンを支える大きな柱となっている。元海兵隊員としての戦術的な動きと、パンドラの精神性に深く根ざしたナヴィとしての神聖な佇まいを同居させた彼のパフォーマンスは、使い古された父親の英雄譚という脚本の枠組みに、かろうじて人間味という血を通わせることに成功している。映画史における沈黙の英雄たちの系譜を継ぎつつ、デジタルという新たな仮面を被った彼の挑戦は、現代のデジタル・アクトの頂点として記憶されるべき深淵な表現に到達している。本作における彼の沈黙は、雄弁な台詞よりも多くのことを物語り、観客の魂を激しく揺さぶるのである。
ゾーイ・サルダナ:ネイティリ役
ネイティリを演じるサルダナは、本作において静かなる怒りと、母性ゆえの過酷な決断という難役を見事に演じきった。前作で失った息子への哀悼を抱えながら、新たな脅威に立ち向かう彼女の姿には、ある種の神々しささえ漂う。彼女の特有のしなやかな動きと、瞳に宿る野生の輝きは、CGキャラクターであることを忘れさせるほどに雄弁であり、観客の感情を激しく揺さぶる。脚本上、彼女の役割が定型的な嘆く母に終始しがちな点を、サルダナはその圧倒的な身体能力と眼差しによって、映画史に残る戦う聖母へと昇華させている。グリフィス時代のメロドラマ的な悲劇性から、現代の力強い女性像への過渡期にあるような複雑な表現を見事に完遂した。
シガニー・ウィーバー:キリ役
前作に続き、自らの出自に苦悩する少女キリを演じるウィーバーの演技は、もはや魔術的ですらある。実年齢と乖離したキャラクターを演じながらも、その仕草や視線の揺らぎには思春期特有の繊細さが完璧に宿っている。パンドラの生態系と深く繋がる神秘的な役どころにおいて、彼女の存在感は作品にスピリチュアルな深みを与え、物語の核心へと導く重要な役割を果たしている。彼女の演技がなければ、本作の物語は単なる環境テロリズムを巡る通俗劇に堕していただろう。エイリアンのエレン・リプリー以来、彼女が築き上げてきた超克する女性という映画史的アイコンは、この若きキリという役柄を通じ、霊的な次元へと昇華された感がある。
スティーヴン・ラング:マイルズ・クオリッチ大佐役
シリーズを通しての宿敵であるクオリッチを演じるラングは、本作で単なる悪役を超えた存在へと進化した。執念に突き動かされる破壊者としての側面と、息子スパイダーとの関係に揺れる人間的な弱さが交錯する演技は圧巻である。彼が体現する暴力のリアリティは、美しきパンドラの世界における最大の異物として、作品に凄みのある緊張感を持続させている。脚本における彼との決着が、過去二作と同様の肉体的な衝突に収束してしまう点は、映画全史における宿敵描写の定型を脱しておらず惜しまれるが、ラングの演技そのものは比類なき凄みを湛えている。
ケイト・ウィンスレット:ロナル役
メトカイナ族の精神的指導者としてクレジットの最後に名を連ねるウィンスレットは、短い登場シーンであっても圧倒的なカリスマ性を放つ。彼女の威厳に満ちた佇まいと、部族を守ろうとする揺るぎない意志は、本作の群像劇としての厚みを増している。特に、アッシュ・ピープルの襲撃に際して見せる彼女の戦士としての覚悟は、映画のクライマックスに向けた感情的な高揚を加速させる。タイタニック以来、キャメロンと共に映画史の転換点を歩んできた彼女の起用は、本作に過去の映画的記憶を呼び覚ます重層的な響きを与えているが、脚本が彼女のポテンシャルを十分に活かしきれていない点は否めない。
本作は、第83回ゴールデングローブ賞において興行成績賞にノミネートされ、全米批評家評議会(NBR)によって2025年のベスト10に選出された。第98回アカデミー賞においても、視覚効果賞や美術賞、音響賞といった技術部門でのノミネートが有力視されている一方、脚本賞への言及が皆無である事実は、本作の真実を雄弁に物語っている。アバター:ファイヤー・アンド・アッシュは、映画が単なる娯楽ではなく、人類が共有すべき壮大な叙事詩であることを再定義しようとしたが、その物語が抱える既知の展開への安住が、真の傑作への脱皮を阻んでいる。ジェームズ・キャメロンという巨匠が、そのキャリアの集大成として挑んだこの作品は、観客の魂に消えない火を灯したが、その火を支える脚本という薪の乏しさを露呈したと言わざるを得ない。我々はこの映画を通じて、デジタルの極致と、物語の停滞を同時に目撃することになるのである。映画全史において、技術が物語を凌駕した瞬間として本作は永く記憶されるだろう。
作品[Avatar: Fire and Ash]
主演
評価対象: サム・ワーシントン
適用評価点: B8
助演
評価対象: ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、スティーヴン・ラング、ケイト・ウィンスレット
適用評価点: B8
脚本・ストーリー
評価対象: ジェームズ・キャメロン、リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー
適用評価点: C5
撮影・映像
評価対象: ラッセル・カーペンター
適用評価点: S10
美術・衣装
評価対象: ディラン・コール、ベン・プロクター
適用評価点: S10
音楽
評価対象: サイモン・フラングレン(主題歌:マイリー・サイラス)
適用評価点: A9
編集(減点)
評価対象: スティーヴン・リフキン、デヴィッド・ブレナー、ジョン・バトフェルド、ジェームズ・キャメロン
適用評価点: -1
監督(最終評価)
評価対象: ジェームズ・キャメロン
総合スコア:[67.9]
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