「ライ麦を読んでないという立脚点」ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
ライ麦を読んでないという立脚点
サリンジャーを読んだことがないw。
実家のじぶんにあてられた部屋の書棚に「ライ麦畑でつかまえて」があった。
上半分青く、下半分白く、らくがきみたいな顔が描かれてある。
(読んだ人なら)だれもが見たことある白水社のやつだ。
おそらくじぶんで買ったものだ。
開いて読み始めたことはあった。
たぶん一度や二度でなく、なんども読み始めた、はずである。
だが、今もってサリンジャーを読んだことがない。
映画はサリンジャーが作家を立志し、曲折を経てライ麦畑でベストセラー作家になり、やがて隠者になるまでを描いている。
サリンジャーの人生は戦争の影響が大きい。
『1942年、太平洋戦争の勃発を機に自ら志願して陸軍へ入隊する。2年間の駐屯地での訓練を経て1944年3月イギリスに派遣され、6月にノルマンディー上陸作戦に一兵士として参加し、激戦地の一つユタ・ビーチに上陸する。(中略)その後の激しい戦闘によって精神的に追い込まれていき、ドイツ降伏後は神経衰弱と診断され、ニュルンベルクの陸軍総合病院に入院する。』(ウィキペディア、J・D・サリンジャーより)
もともと繊細な人でもあったところへ、戦争後遺症がのしかかって、彼はますます人嫌いになる。極端にナイーブな人物像は、主演ニコラス・ホルトにぴったりだった。
だがその人となりには毀誉の両極がある。
優れた文才の一方で、妻をないがしろにし、恩師に不義理をし、ついに出版もやめて俗世間とのかかわりを悉く断つ。
むしろその偏屈ぶりが主題の映画だった。
余談だが、映画はそのまま「My Salinger Year」(2020)につながる。まるで後日譚/続編のようにつながる。
(邦題マイ・ニューヨーク・ダイアリー。隠遁者になったサリンジャーに代わって、世界中から大量に届くファンレターの処理をするエージェント、のアシスタントの話。サリンジャーは一切出てこない。)
ところで、読んだこともないじぶんが言うのもしつれいな話だが、サリンジャーはわりと一発屋な感じなのかな(すごく寡作なのかな)──と映画を見ていて思った。
だとしても、それはとほうもない一発だった。
なにしろ「ライ麦畑でつかまえて」は世界30ヶ国に翻訳され、累積販売部数6,500万部。現在も毎年25万部が売れ続けている。(──とエピローグのテロップに書いてあった。)
書き終えた「ライ麦畑でつかまえて」を担当に渡すシーンがこんな台詞だった。
サリンジャー:『ノルマンディーに上陸したとき、この(原稿の)一部を担いでいたし、収容所を解放したり、入院してた間も書いていた・・・ぼくを救った作品です。』
担当者:『(初稿を読ませてもらえるなんて)光栄だよ。戦争の話?』
サリンジャー『問題を抱えた青年のクリスマス休暇の話です』
JDサリンジャーという人は、数多の人びとに愛された20世紀最高の作品を書き上げながら、ぜったいに他人に理解してもらえないじぶんという人間を、一生涯持て余しつづけた人間だった。──という映画。
さて、サリンジャーのライ麦畑といえば、村上春樹のお気にでもあり、山の手の文化人ならたとえ読んでなくても、読んだことないなんて言えない──そんな御用達の必読書。(だと思う。)
ゆえに「サリンジャーを読んだことない」と白状するのは田舎の百姓のわたしでさえいささか恥ずかしかった。
なんども断念したがまた読み始めようw。