負け犬の美学のレビュー・感想・評価
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年齢の限界を超える姿はやっぱり感動する
40代になってもボクサーを続ける中年男性。全盛期はとうにすぎ、負けが込んでいて、家族を養うために欧州チャンピオンのスパーリング相手に立候補する。本作の原題は「Sparring」で、スパーリングパートナーというものが、いかに過酷かでつらいものかが、物語の上で重要になる。 スパーリングパートナーは、ようするに練習台なわけで、チャンピオンにボコボコにされるのが仕事みたいなとこがある。元々体力的にもボクサーとしてやっていくには限界を超えている年齢の主人公は、ヨーロッパチャンピオンの練習台にも満足になれない。そもそも超格上の相手とリングに上がるのは、それだけで大変なこと。しかし愛する家族のために、彼はボロ雑巾にならねばならない。 この主人公を演じるのはフランスを代表する俳優の1人、マチュー・カソヴィッツ。あの端正な顔立ちの彼はここまで痛々しくみじめな姿をリアルに演じられるとは。よくある話といえばよくある話ではあるけど、やはり年齢を超えて頑張る姿というのは感動する。
カソヴィッツが皮を突き破りたどり着いた第三形態
つくづくマチュー・カソヴィッツは底知れない。数々のヒット作で飄々とした演技を披露したかと思えば、『憎しみ』や『アサシンズ』などの秀作の監督としても有名だ。そんな彼が『負け犬の美学』ではまた皮を破り、第三形態へと変貌を遂げてみせる。 すでに映画界では『ロッキー』があらゆるボクシング映画の表現を食い尽くした感がある中、しかしカソヴィッツの役柄は過去のどのボクサーとも違う。試合に負けても、サンドバッグのように猛打を食らっても、娘に情けないところを見られても、相手に食い下がってようやく仕事にありついても、彼の生き抜く姿勢にはどこか神々しい「輝き」が見て取れる。 ふと妻が投げかける「踊って」という言葉が胸に突き刺さる。どんなに底辺を這いつくばっても、リング上で踊る心意気さえあれば、その試合がまだ続いている証拠だ。人生終わってなどいない。この映画は真のファイターの姿を我々にまざまざと見せてくれた。
これはね、いいボクシング映画
多分こんな感じの作品なんだろうなという予想をほんの少しずつずらしてくる。 大袈裟に言えば期待を裏切ってくるわけだが、フランス映画らしい静かな雰囲気と少ないセリフのおかげかさほど不満には感じなかった。 ある意味で、いくつかのテーマを取り込みながら先へ先へと進んでいったようにも思う。 自分の感情を上手く説明出来ないとしても、ラストに流れる実在の人物で感動してしまったんだから私の負けだろ? だからね、これはいいボクシング映画。
A+
弱っちい中年ボクサーが家族の為、娘の為にキツい仕事であるスパーリングパートナーを務める。 娘はとても可愛いし、主人公もとても真面目、妻も理解があり、ある意味幸せ家族。ただボクサーとしては、駄目駄目、何故引退せずにそこまでやっているのかよく分からないのだが、引退しますと本人が言わない限り現役? チャンピオンもなんだかんだと優しいし、誰もが暖かい人々でした。
蝶の様に舞った
人生最後の試合、最後のラウンド、彼は踊った。愛する家族のために戦い続ける男の美学。彼のボクサー人生はいわゆる勝ち組ではないが、負け犬では決してない。愛情に溢れる家族を待つ彼は人生においては勝ち組❗️
家族のために…
おっさんボクサー頑張る。邦題からしてわかるけど、マチュー演じる45歳のボクサーはかなり弱い。普通ボクシングモノは才能あるチャンプか挑戦者だけど、おっさんの武器は打たれ強いこと。原題はスパーリング。あくまでもチャンプの練習相手。子供二人を養い、生活費もぎりぎり、バイトしながらのボクサー生活。奥さんもパンチドランカーになる前にそろそろ辞めてほしい。チャンプの練習相手になれば、娘のピアノも買えるしと、プライドを捨て、チャンスを掴み取る。明らかにマチューのボクシングの構えは素人っぽいし、パンチ力も無さそう。けれど、映画で描かれたり、スポットライトを浴びるのはチャンプというほんの一握りの人だけ。エンドロールであった様に実際はマチューの様なボクサーが多いだろう。才能がないことを自覚しながらも、家族、生活のために闘うボクサー、不格好だけど、ラスト応援したくなるし、やりきったこと、信念を貫き通したことが勝者。試合のチャンスをくれたチャンプやトレーナーの笑顔が良い。何よりも娘が一番可愛かった。そりゃお父さん頑張るという、忌野清志郎の歌のような映画。
いわゆるボクシング映画ではなかった
事前情報一切なしでボクシング映画として観賞。
ロッキーに代表されるようなボクシング映画あるあるの「歓喜の瞬間」が一切描かれないにも関わらず、見応えを感じさせられた。
感情のアップダウンが少ない平凡な幸せを描くのはある意味難しいのではないかと思うが、映画グリーンブックに共通するような満足感を得られた作品。
自分を認められる生き方をしよう。
美学というものはフランス映画の主旋律と言っても過言ではないから、タイトルに使うにはあまり相応しくないように思う。 が、邦題としてその言葉をつけてしまう気持ちもわかるほどにこの映画も美しい。 言葉や結果以上に生き様で伝わることがある。 周りと比べてどうあるかではなく、自分の気持ちとどこまでズレずに居られるか。 自分に嘘さえつかなければ、例え多くの人が何と言おうと、どんな扱いを受けようとも、理解してくれる人はきっといる。 強かな父も、支える妻も、受け止める娘も力演の名作。
タイトルなし
. 49戦 13勝3分33敗 45歳 負け続けのボクサー 家族のため 自分のために闘う 敗者がいるから勝者がいる そう話す彼の姿には胸をうたれた 彼は負け犬なんかじゃない . フランス版ロッキー(?) ロッキーも好きだったけど この映画好き マチュー・カソビッツがとてもよかった
中途半端
フランス版『レスラー』を想像していたのですが、今作は家族もしっかりしていて本人もまともな人間だったので、ちょっと期待外れ。ドラマチックな展開もなかったので、中途半端な印象を受けました。 マチュー・カソビッツが懐かしくて。『憎しみ』が大好きでした。
敗者がいるから勝者が生まれる
45歳のプロボクサーが主人公、成績は芳しくなく才能はないようだが、とにかくボクシングが好き。 欧州チャンピオンのスパーリングパートナーを務めることになるが、これまでの人生を否定されるような日々だった。 一生懸命仕事をしていると、そのうちいいことがあるよ。
武器は「打たれ強い」ことだ!
勝者の影には必ず敗者がいる!一時期、勝ち組と負け組なる言葉が流行ってた。大嫌いな言葉だったが、これほどまでに負け組を称えた映画は数少ないはずだ。人間誰しもが勝ち組を目指しているはずなのに、そこには必ず敗者がいる。しかし、一見してへっぽこ、ぽんこつだったりする者にだって人知れぬ人生があるのだ。 45歳のボクサーというと、日本なら考えられないのだけど、たとえ負け越していても体力があるから認められているのだろう。49歳13勝という戦績にしても、ファイトマネーだけは貰えるのだから続けられる。ジムでの練習とアルバイト。家庭でも妻と子供二人を養っていくのはギリギリのところ。それでも娘の幸せを願う彼の想いは普通の親と同じなのです。 成績優秀な7年生の娘オロールはA+が11個も取って、父スティーブの公開練習を見たいとせがむ。しかし、雇ったチャンプのタレクは観客を煽り、スティーブを罵倒させるパフォーマンス。見ていられなくなって逃げ出すように会場を去るオロールの気持ちも手に取るようにわかるのです。 多くのボクシング映画はサクセスストーリーを描いているけど、中にはこんな映画があってもいいじゃないか!エンドロールでは大きく負け越している実際のボクサーの映像が流れるのですが、彼らの人生をも讃える作者の心意気にも拍手したい。 などとカッコいいことを書きたかったけど、高校時代にボクシング部に在籍したもののスパーリングが怖くなって辞めた負け犬が語るべきことじゃないな・・・
ボクサーと父親
ボクサーと父親の両立は難しいね! 負けてしまう姿を見られるのは、本当に嫌ですよね。親としても、男としても。 ボクシングは、白か黒しかなくて、持ってるか、持っていてか。 その事をしってながらも、負けの連続でありながらも続けていた。 誰でもできる事じゃなく本当に、勇敢。 娘役の人は、将来が楽しみだ。 表情の強弱がすごくよく、共感出来た。 最後の試合は、見ていて楽しかった😊 蝶のように舞い蜂のように刺す 音楽も合っていて🙆🏻⭕️
邦題の言い得て妙
主人公は盛りを過ぎた勝ち星の少ない40代のプロボクサーであり、妻子がいる。生計を立てる為に主人公は兼業し、妻も働いている。ボクシングの試合もなかなか組んでもらえない中、彼は欧州チャンピオンのスパーリングパートナーに立候補し、なんとか採用される。そもそもの動機は報酬が高額で、その収入でピアノを習っている娘に、ピアノを買ってやりたいが為だった。そんな主人公は日頃から家族に敬愛されて止まない。しかし彼に対する世間の眼は逆である。娘の或るクラスメイトは主人公をバカにし、公開スパーリングでは観客は主人公に罵声を浴びせる。娘は学校で父親をバカにしたクラスメイトと手をあげた喧嘩をし、観戦した公開スパーリングの後には気落ちし、塞いでしまう。全て父親を愛するが故である。そのような背景で、終始主人公がブレていないのがいい。主人公は自分にボクシングの才能が無いと思いながらも、好きだから続けて来た。そしてその長く続けて来られた秘訣として強打に打たれ強いことを挙げ、自らの武器だと言い切っている。そしてチャンピオンに、世界戦を前に的確な助言を出来る程、試合巧者で戦略家である。だてにキャリアを積んでいないのである。しかしそんな主人公も、自らのキャリアの仕舞い方に気を揉んでいる。出来れば華々しく有終の美を飾り、愛する娘の眼に焼き付けたい。それは世の多くの父親が抱く普遍的な思いである。なぜなら仕事振りと仕事への姿勢は、正に人生における生き方そのものだからである。自らの最後の試合を、これから人生の荒波に漕ぎ出す娘へのはなむけとしたいのであろう。映画のラストは、その思いが成就するハッピーエンドを暗示している。本作のテーマを言い表した邦題が良いと思った。
美学か、遠吠えか
負け越しの中年ボクサーが、生活をかけて現役ボクサーのスパーリング相手として雇用されるも、年齢と戦績で周囲からは揶揄され、娘にはそんな姿を晒し、それでもボクシングにしがみつく苦い男の話に、なんともいえない感情を掻き立てられました。 下手の横好き、と一言で片付けられてしまうような内容ですが、それでもやめられない、夢を負わずにはいられないその気持ちには、共感せざるを得ませんでした。 ラストの、娘のピアノの演奏シーンには、痛みすら感じるほどの切なさがあり、観ていてつらかったです。 美学か、遠吠えか、それを観客に委ねるようなストーリー構成も、憎らしくて、好きでした。
家族のために奮闘する中年ボクサーと応援する娘の姿が沁みる
有名なボクシング映画のように勇壮な音楽は流れない。 主人公の中年ボクサーはピアノを学びたいという娘の願いを叶えるため、リングに上るが負け続ける。 原題:スパーリング 彼は金を稼ぐために欧州チャンピオンのスパーリングパートナーとなるが・・。 主人公を応援する娘の笑顔が素晴らしいし、ラスト近く主人公にある提案をする欧州チャンピオンの漢気にもぐっとくる。 派手さはないが、フランス ボクシング映画の良作である。 <2018年12月14日 劇場にて鑑賞:セカンド上映>
邦題を付ける人のセンスが個人的に好きです
うだつの上がらん45歳のボクサーが、娘にピアノを買ってあげたいからチャンピオンのスパークリングの相手に自分から売り込んでやっとなったんはええけど、ボロクソ言われてバカにされて。明日から来んな!言われても家族のためにすがりつく!負けて負けて負けまくってんのに、チャンピオンの試合の作戦に意見したり。 「好きやからやっとんねん」つって負けまくってんのに試合して。バイトしてでも家族を養うために必死に生きとるパパ。 引退試合がチャンピオンの前座やで❗娘。あんさんワシの試合、見たい見たい言うとったやんけ!よっしゃ約束通り見せたろ。そやけど娘ちゃんは、ちゃうちゃう。パパ、チャンピオンの公開スパークリングを見たけど、みんなボロカス言うやんか。試合でもそんなんやろ思たらやりきれんさかい、ワタシ行かへんでぇ。 ところがコレ、最後の試合やから全てを見て堪能せぇ!言われてからのこのパパ、素敵やわ。素敵やで! 試合を見に来ぇへんかった娘が「勝った?」つったら微笑んで抱き合ったり。 お父ちゃんの事を「ってか、うぜぇんスけど?」 とか言わせへんでぇ!って映画でした。
☆☆☆★★★ ジャンルは違うのだが。その当時は、単なる地味な中堅レ...
☆☆☆★★★
ジャンルは違うのだが。その当時は、単なる地味な中堅レスラーだった男がマイクを手に取って叫んだ!
「藤波!俺はお前のかませ犬じゃないぞ!」
それが、どれ程リスキーな事なのかを当然の如く知りながら。
《負け犬が狼に牙を剥いた瞬間だった》
この映画の原題は【スパーリング】
チャンピオンの練習相手…とゆうのは聞こえは良いが、要はサンドバックの役目に近い。
尤も、ある程度の力量が無ければ務まらない。
大体は、優秀な若手ボクサーが指名されるケースが多く。過去には、逆にチャンピオンのスパーリングパートナーで有りながら。チャンピオンを圧倒するボクサーも居たと聞く。
主人公の戦績は48戦 13勝3引分32敗と、かなりショボイ。
おっと!また負けたから33敗だ。次が50戦目。
家族を養う為なら必死だ!彼を突き動かしているモノ。それは、娘が《持ってる》事を信じる気持ちに他ならない。
生活の為。娘の為に、何とか辿り着いたスパーリングパートナーの仕事。
だが現実は残酷だ!「ポンコツ!」と言われ、一刀両断に職を失いかける。
だが、それでも。負け犬には負け犬の考えが有った。
彼には【経験】とゆう大きな…いや、現実を直視すると細〜いスキルが、ほんの少〜しばかり残っていた。
人生に於いて、勝ち組に居る人等はほんの一握りだ。大半が負け組ゆえに、「俺だっていつか必ず!」と思っている。
だけど、殆どの人にはチャンスは巡っては来ない。その前に諦めてしまうか、《その時》に動く事が出来ない人が、殆どかも知れない。
長州力の叫びは、そんな負け組の人達の心を鷲掴みにし熱狂させた。
本人の努力も大きく。その後の藤波との闘いは、【名勝負数え歌】とも言われる。
悲しいかな、負け犬の彼には。当時の長州の様な若さも、ギラついた野心も持ち合わせはいなかった。
ただ「ボクシングが好きだ!」とゆう思いと、「家族の為に…」の気持ちだけ。
映画は、そんな彼の姿をただ淡々と描いていて。そんな演出に不満を唱える人もいるだろうと思える。
最後の試合等は、幾らでも盛り上げられるのに…と。
おそらく監督が本当に描きたかった…と言えるのは。映画が終わった後に出て来る映像同様に。娘の笑顔に頷く彼の笑顔も、本当の勝者に値する…との思いだったのだろう。
そこには、この主人公同様に。素晴らしいボクシング馬鹿による最高の馬鹿な男の美学が輝いていた。
【敗者がいるからチャンピオンは生まれる】
全くもう〜!泣かせるんじゃねえよ!
この馬鹿野郎(ノ_<)
2018年12月11日 キネマ旬報シアター/スクリーン3
ひとつの生き方
邦題は「負け犬の美学」、原題は「スパーリング」。内容は、元世界チャンピオンが世界復帰戦に向けて進める練習のスパークリング相手に選ばれた、というかもぐりこんだ主人公の生き方という映画なので、原題の方が素直だなと思う。 主人公は、13勝33敗3分という成績で、明らかにボクサーとしての才能にあふれているわけではない。 娘にピアノを買い与えるための金を稼ぐために、なんとかスパーリングパートナーの座を得るのだが、最初のスパーリングで元チャンピオンにその実力が低いことをあっというまに見抜かれ、「もう来なくてよい」と言われる始末。 それでも「俺は負けても戦っている。元チャンピオンのお前はこの前の敗戦で戦うのが怖くなっているだろうが、俺にとってはそんなのは当たり前だ。お前にないものを知っている。俺を雇い続けろ、と直談判して、その職を守る。 愛する娘が大好きなピアノを弾くのを幸せに見つめ、聞けば、娘のピアノが決して飛びぬけて上手いものではないし、どちらかといえばまだたどたどしいものだとすぐわかるのだが、「娘には特別な才能がある」と妻にも力説し、しっかりした教育を受けさせようとする。 一方のボクシングでも、前述したような戦績であるにももかかわらず、元チャンピオンに「こう戦え」と伝えるコーチの前で、「そういう戦い方は、相手も予測してくるだろうから、こう戦うのがよいと思う」と堂々と進言する。もちろんあきれ顔のコーチに「お前は何勝何敗だ。よけいな口を出すな」と言われるのだが。 俺も、つい「弱い奴が何を言っているのだ」と思ってしまうが、ふと考えてみた。強くないと、上手くないと発言する機会はないのだろうか、と。 勝つか負けるかは結果であり、ボクシングが好きで勝っても負けてもよし次の試合をやろうと思える主人公は「俺はボクシングに向いている」と心から思えており、スパーリングであろうと、仕事に自信をもっているということか。つまり、この話は、敗者がどうこうではなくて、自分の仕事に自信をもって働いているひとりの男の、その自信ある生き方の話なのだ。 そして主人公は、その考え方の延長として、「娘はピアノを楽しんでいる。練習をいとわない。つまり彼女はピアノに向いている」と考えるのだ。だから、上手い上手くないにかかわらず、娘にその場を与えることは父親である自分がやるべきことなのだ。 このような確固とした信念をもって仕事に臨みたいし、このように生きたいと思わせる映画だった。 父親の仕事を見たがっていた娘が、はじめて見ることができたのは公開スパーリング。そこで冷笑される父親をみた娘は、「もう試合は見たくない」と言い、父親の最後の試合が世界戦の前座という晴れ舞台で組まれた試合も、けっきょくは見に来ない。 「見るのを嫌がっていた娘が、結局は最後の試合を見ることになり、その試合で父親が劇的な勝利を収める」といった、俺が思い描くようなエンタメ展開にはならない。 けれど、試合を終えて帰ってきた父親に「勝った?」と聞き、結果を聞いて素敵な笑顔を見せる娘をみると、この映画にはこちらの展開の方がしっくりしているなあと感心する。 ボクシング映画の傑作でもあるが、それ以上に、普通の人のしっかりした生き方を語る映画として非常に秀逸。 ありがとうございました。 個人的尺度:3.0は「損はしない」3.5以上は「見てよかった」。2.5以下は「なんらかの点でがっかり」
笑われても良い自分を貫く生き方
最後にホロっとする、じんわり温かな映画だった 主人公のスティーブは45歳のベテランプロボクサー 彼は、これまで、49戦して13勝しかしていない弱小選手だ そんな彼には2人の子供がいて、経済的にも苦しくなってきたこともあり、50戦したらボクサーを引退することに決めていた そんな時、スティーブはトップクラスのボクサーがスパーリング相手を探していることを知り、娘の大好きなピアノを買うためにスパーリング相手に立候補する… スポーツの世界には、どんな競技にも世界のトップに君臨するチャンピオンがいる そして、そんなチャンピオンの裏にある血の滲むような努力と、それがもたらす勝利には、とても胸が熱くなる これまで、多くの映画はそんなチャンピオンの感動的な姿を描いてきた しかし、そのチャンピオンの陰には、どんな選手にも、日頃、練習相手のためだけにいる選手たちがいる 例えば、野球のホームランバッターの陰に練習用のピッチャーがいるように チャンピオンを目指すボクサーには、スパーリング相手のためだけのボクサーがいる この映画は、そのスパーリング相手にスポットライトを当てた作品である そんなスパーリングボクサー スティーブを観て感じたのは 「ふがいない」とか「うだつの上がらない」という言葉だった どんなに必死に戦っても勝てず、子供にカッコいい姿を見せることができない けれど、私たちが生きる社会の中では、チャンピオンになれる人はわずか1%ぐらいで スティーブのような人が多数派なのだ だから、きっと多くの人が彼に共感し、心の中でがんばれと応援してしまうのだ では、なぜ、勝率2割6分の彼が45歳になってもボクサーを続けているのか ただボクシングが好きだからだ チャンピオンのサンドバッグになってボコボコにされても、50戦までやると決めたら、その引退の日までボクシングに命をかける その生き様にグッとくる映画だった 周りの人たちに笑われようと、生き恥を晒そうとも、自分で決めた人生は最後まで守り抜く ふがいなくても、うだつが上がらなくても良い 最後まで必死に戦うことが、ボクサーとしての彼の生き様なのだ その彼の心意気を知ったチャンピオンは、彼にサプライズプレゼントをする このチャンピオンの心遣いにグッときてしまった 日頃、スパーリング相手のボクサーにスポットライトが当たることはないけれど ボクシングに対する思いは、チャンピオンも一目置くほどなのだ そんなスティーブに対して「負け犬」っていうタイトルを付けちゃう邦題ってどうかなと思った 彼の心にある志は、決して負け犬ではなく、もっと気高いものだからだ そういう地味な日陰の人たちにスポットライトを当てる優しさが良いなと思った 彼の最後の檜舞台には、思わず涙が出てしまった
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