「過酷な米国最下流社会の現実にヒリヒリする」荒野にて りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
過酷な米国最下流社会の現実にヒリヒリする
米国北西部のオレゴン州の小さな町。
15歳のチャーリー(チャーリー・プラマー)は父親とふたり暮らし。
まるっきりの貧乏所帯で、チャーリーは学校にも通っていない。
毎日の日課は、朝のランニング。
父親が、同僚の女性を連れ込んだある日の朝、日課のランニングでいつもと違ったコースを走ったところ、小さな競馬場があることを知る。
別の日、また競馬場まで足を延ばして、厩舎地域に入り込んだところ、老調教師のデル(スティーヴ・ブシェミ)からパンクの修理を手伝ってほしいと声を掛けられる。
それを契機に、チャーリーはデルの下働きをするようになり、一頭の競走馬リーンオンピートと出逢う・・・
というところからはじまる物語で、馬と少年の心温まる物語かと思わせるが、さにあらず、米国下流社会の厳しい現実が描かれます。
チャーリーの父親がどのような仕事をしているのかは描かれないが、実入りが少ないのは明らか。
冷蔵庫にはほとんど何も入っていない、家具もテーブルとベッドぐらいしかない。
調教師のデルの生活も厳しく、日本の中央競馬・地方競馬の比ではなく、管理する馬は6頭ばかり。
馬主兼調教師で、僅かばかりの賞金と仲間内での掛け金と、廃用になった馬の売却代金で生計を立てている様子(廃用馬はメキシコで食肉になってしまう)。
その上、競走馬といっても、いまではあまり人気のないクォーターホース(サラブレッドではなく、せいぜい4分の1マイルまでしかダッシュの効かない超単距離馬)。
管理馬のうち、若い2歳馬はスピードダッシュ力もあり、期待していたが、レース中に腱を痛めてしまい、廃用。
そこそこ走る5歳馬ピートに期待をかけ、毎週のように走らせるが、それが祟って、まるで能力を出せないようになってしまう・・・
と、競馬好きななので、ここいらあたりの描写、ほんとうにヒリヒリします。
中央競馬で1勝をあげた馬は、ここに描かれた馬たちと比べると、超エリート、選りすぐりといってもいいでしょう。
ついにピートも廃用が決まり(売却用競争というのがあり、勝って賞金を得ないと売却されてしまう)、居ても立っても居られなくなったチャーリーは、小さな馬運車もろともピートを奪って逃走してしまう・・・
と、ここから日本タイトルの『荒野にて』となる次第。
荒野の彷徨は寂しく厳しく漠たるもので、ロングで撮った映像が美しい故になおさら痛々しい。
荒野でピートを喪ったチャーリーは、その後、都会の街へと辿り着くが、そこでの現実も厳しい。
炊き出し先で知り合った男に助けられ、彼が住むところに導かれるが、ボロボロのトレイラーハウス。
仕事はメキシコからの移民たちに奪われ、年齢を重ねた大人には、職などない・・・
と、もう逃げ場なし、出口なし、どん詰まりの行き詰まり。
そんな米国の現実を丹念に、感情過多にならないように演出したアンドリュー・ヘイの手腕は見事。
その後、チャーリーにも希望を見出すことが出来るので、ラストは少しホッとします。
ラストは、長い長いチャーリーのランニングシーン。
立ち止まり、振り返るチャーリーだが、もう過去は振り返ってほしくないと、切に願いました。