スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
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人間の愚かしささえも認める実直さ
本年度のアカデミー賞有料候補。
原題は「THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI」。
「三枚の立て看板、場所はミズーリ州エビング」、米国の田舎町での物語。
米国中南部ミズーリ州の田舎町エビング。
そこで暮らす中年女性ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は、7か月前に娘を殺された。
しかし、犯人は杳として見つかっていない。
業を煮やしたミルドレッドは、閑散とした道路沿いに打ち棄てられたような商業用の三枚の立て看板を見つけ、そこへ抗議文を出すことにした。
内容は、「レイプされ、その上、殺された」「いまだに、犯人は捕まっていない」「どうするつもりだ、ウィロビー署長」。
田舎町は、一夜にして騒然とする・・・
というところから始まる物語で、立て看板を撤去しようとする、告発された警察側とミルドレッドとの小競り合いが続いていく・・・と展開するあたりまでは、常識的な展開。
警察側のキーマンはふたりで、ひとりは署長のウィロビー(ウディ・ハレルソン)、もうひとりは中堅警官のディクソン(サム・ロックウェル)。
抗議に対して再捜査を開始するウィロビー署長であったが、いかんせん、捜査は手づまり、証拠がまるでない。
対して、ディクソンは(権力側である)警察の面目をつぶされたとあって、力づくで立て看板の撤去を求めにかかる。
だが、重篤なすい臓がんを患っていたウィロビー署長が、捜査の行く末とは別に、自身の行く末に絶望して自殺してしまってからは、事態は思いもつかない方向へと進んで行ってしまう・・・
ここからが映画の本題で、一見すると、社会派映画風のサスペンス(もしくはミステリー)というジャンル映画の様相だったものが、観ている側の感情をかき乱す映画へと変わっていきます。
この変質は、一筋縄ではいかない。
ウィロビー署長の自殺は、ミルドレッドの娘の事件とは無関係なのだけれども、憶測が憶測を呼び、ミルドレッドの行動に原因があるように感じられ、町の人々はミルドレッドに敵意をかんるようになっていく。
そして、その先鋒がディクソン・・・となっていく。
この、憶測による怒りが怒りを呼んでいくあたりは、まさにヒリヒリする描写です。
しかし、この映画は、その怒りの描写が町全体に拡散するのではなく、あくまでもディクソンとミルドレッドに絞って描いていくので、いわゆる「社会派映画」というジャンル映画には収まらなくなります。
中盤、「怒りは怒りを来す」と主題めいた言葉も登場するのですが、さらに映画はそこも越えていきます。
この「越えていく」ことをどのように表現すればいいのかはわからないのですが、その底の部分には、自死する前にウィロビー署長が書いた手紙があります。
一通は妻へ、もう一通はミルドレッドへ、もう一通はディクソンへ。
それぞれに宛てた手紙には、自身へ許しを願う心と、相手への赦し(または認め)が書かれています。
しかし、それがすべてが真摯に、ではなく、「ちょっとした悪ふざけ(ミルドレッドへの手紙にある言葉)」も含んでいるあたりに、「人間の愚かしささえも認める実直さ」を感じました。
その「人間の愚かしささえも認める実直さ」こそが、ディクソンとミルドレッドを、少し(かなり)善い方向へと変えていき、それを感じさせるラストシーンへと繋がっていきます。
少し善い方向へ人間が変わる・・・
これこそが映画の王道であり、観たかった映画だった、と改めて思った次第です。
孤立と怒りと愛の物語
丁寧な造りでモヤモヤと考えさせられる、実に観応えがあるたいへん好みのタイプの映画でした。
観始めのころは、狂気のような怒りに支配されたミルドレッドと底抜けにカスすぎるディクソンの泥沼対決が予測されたため、「これは葛城事件ばりの地獄映画かも…」と戦慄しながら観てましたが、ちゃんとヒューマンな展開があり、地獄感は中盤まででしたね。
娘を殺されたミルドレッドの怒りはもっともです。しかし、看板からは犯人というよりも警察へ怒りが向けられていました。DVで別れた元夫は元警察官。また、娘の死の遠因には彼女自身の態度も影響している。その罪悪感を抱えきれていない。娘のためといったシンプルなものではなく、もっと彼女自身のグチャグチャした怒りが看板に現れていたと感じました。だから街の人たちから反感を買ったのだと思います。
なぜそうなったのか。ミルドレッドの心を支える人が皆無だからだと思います。というよりも、ミルドレッドは誰かに支えられたことがなかったのかもしれない。
もうひとりの主人公・ディクソン。ディクソンの描写は秀逸でしたね。彼の背景が見えてくるのは中盤以降なので、前半はただのクズ野郎です。だが彼もクズに生きざるを得ない歴史があった。ひとりの人間として認めてくれる存在がなく、漂いながら不満を周囲にブチまけて生きるしかなかった。
つまり、ミルドレッドとディクソンは2人とも精神的に孤立しているという共通点がありました。孤立状態はそれだけで追い詰められているので、怒りには怒りで対抗するしかない。なので、前半はヤバい雰囲気満点でした。
しかし、ディクソンは中盤に自殺したウィロビーから手紙をもって認められます。ディクソンはこの一撃で大きく変わります。この時、彼は初めて自分には生きる価値がある、と実感できたのではないでしょうか。何せ、崇拝していたウィロビーからの承認ですからね。利害関係抜きに存在を認められることは、もうひとりぼっちではない、と感じられるのだと思います。
ウィロビーは死んでいないけど関係ない。その体験は永遠でしょう。
そして図らずしもミルドレッドにも、体を張って助けてくれるジェームズが現れます。ミルドレッドはディクソンのように一瞬で変わる訳ではないですが、これ以降彼女は静かに変化していったのかな、と想像。だからこそ、元夫のガールフレンドの「怒りは怒りを来す」が入ったのではないでしょうか。
ディクソンの変容シーンで使われた愛という言葉ですが、これは2人以上いないと発生しない概念ですよね。孤立によって怒る、当たるしかできなかったミルドレッドとディクソンが、愛を知り、その結果わずかに赦しに近づいていく。
なので個人的には、本作は愛の物語だと思いました。
音楽も映像も洗練されていて魅力たっぷり。3人目の主人公とも言えるウィロビー署長をはじめ、看板屋レッドや19歳のガールフレンド・ペネロペ(ルックスも超好み)とか、脇を固めるキャラもグレート。
些細なシーンですが、ディクソンが新しい黒人署長から、容疑者が軍に所属し国外にいた、との話を聞いた時に、まったく想像できなかったのが強く印象に残ってます。ホワイトトラッシュがどんだけ世界に興味がないかを伝えており、かなり衝撃受けましたね。そりゃトランプ支持されるわ。
しかし、犯罪においての対応がかなり現実的ではなく、ちょっと冷めますね。少なくともディクソンがレッドをボコったことが不問にされるのはおかしいだろ、と思います。この辺は本作のアキレス腱だと感じています。あれじゃあミルドレッドの娘の殺人犯捕まんないわ。もしくはアメリカの警官ってあんな行動が許されるものなのだろうか。
また、ウィロビー署長の自殺も物語を進めるためには必要なのかも、とは思いますが、ちょっと腑に落ちないです。犯人が軍関係者だから秘密を守るために自殺、と見ることもできるのかな、とは思いますが、あいつそこまでVipかな。
めちゃくちゃ面白い映画でしたが、上記の点で、Loveまでは行かなかったです。
(おっと、愛の映画なのに笑)
母親の怒りが大爆発炸裂する
ベニス国際映画祭でプレミア初公開され、トロント国際映画祭でピープルズチョイス賞受賞。
2018年ゴールデングローブで、最高の賞に当たる作品賞、マーチン マクドナー監督に監督脚本賞、主演のフランシス マクド―ナンドに主演女優賞、サム ロックウェルに助演男優賞が賞与された。
ストーリーは、
ミズリー州、エビングの田舎町。
7か月前にテイーンだった娘がレイプされ殺された。警察による捜査は一向に進展せず、一人の容疑者さえも逮捕されていない。警察の非力に業を煮やした娘の母親、ミルドレッド ヘイズはハイウェイ沿いの巨大な看板広告に、警察は何をやっているのか、ウィロビー警察署長の責任を問う、まだ誰も捕まっていない、という3枚の看板広告を出す。
名指しで看板に名前を書かれたウィロビー警察署長は、家庭では二人の娘を持つ優しい父親だが、心情的には人種差別主義者であり、気短で喧嘩早い男だ。彼が膵臓癌を患っていることは,街の住民にとっては周知のことだった。また、彼の右腕、警察副所長のデイクソンはラテイーノで、母親と二人で暮らしていて母親に頭が上がらない小心者のくせに、ウィロビーに似て短気な男だ。
娘を殺されたミルドレッド ヘイズは警察など怖くない。警察は娘のアンジェラを殺した犯人を見つけられない腰抜けどもの集まりだ。警察が黒人虐めばかりしている間にも、娘を殺した犯人は第2第3の犠牲者を作っているに違いないと、毒付く。しかし警察を信頼し、ウィロビー所長を尊敬している市民たちはミルドレッドを非難する。殺されたアンジェラの弟チャーリーは、姉と同じ高校に通っていたが、彼は学校で虐められていて、母親のやりすぎは良い迷惑だと思っている。母親は飲めば暴力を奮う父親と離婚して、19歳の若い女と同棲している。父が母親に会いに来て、言い争いから暴力を奮おうとすると、チャーリーは、父の喉元に包丁を突き付けて母親をかばって守ろうとする。
父親は死んだ娘が、実はしつけの厳しい母親を嫌って、自分と一緒に暮らしたがっていたと言って、故意に母親を傷つける。母親は、娘のアンジェラが誘拐され殺された日、執拗に車を借りたがっていたのを覚えている。だが彼女は車を貸してやらなかった。車を持ち出せば、遊びに行って友達と車の中で「ヤク」をやるに決まっている。車を借りられなかった娘は怒って、「じゃあいいわよ。歩いて帰ってきて途中で誰かにレイプされるから、、、」と怒鳴って出かけた。そして、彼女の言った通りになってしまった。誰よりも母親の怒りは自分に向けられている。怒り、憤り、そして後悔して、歎き悲しむ。出て行ったときのままにしている娘の部屋で母親は自分を責め続ける。
一方ウィロビー警察署長は、アンジェラの再捜査を始めたところで、膵臓癌が悪化したその痛みに耐えかねて、妻とミルドレッドと部下のデイクソンに手紙を残して自殺する。所長の死は、ミルドレッドが出した看板広告が原因でストレスになったせいだと、街の放送局が報道したため、市民の怒りと反発は増々膨れ上がった。ミルドレッドは、嫌がらせをされ、脅迫され、3枚の巨大広告は誰かによって放火された。看板を必死で消火しようとして走り回る母親を見て息子のチャーリーは胸を痛める。そんな母親に味方が現れる。同僚の黒人女性、黒人の人権活動家、小人症の男性などだ。力を合わせて3枚の看板は元通りにされた。亡くなったウィロビー署長の寄付金にも助けられた。
しかしミルドレッドの怒りは収まらない。火炎びんで警察署を放火する。たまたま署で故ウィロビー署長からの、自分あての手紙を読んでいたデイクソンは、大やけどを負う。遺書である手紙には、アンジェラの事件をしっかり捜査してミルドレッドの力になってやるように書かれていた。その日からデイクソンにとってミルドレッドは、ただの疫病神ではなくなり、本気で警察官として彼女の力になろうとする。デイクソンはその後、バーで見慣れない男を見る。男は娘が誘拐されて殺された時もこの町に居た。調べてみるとこの男はアイダホから来ている。デイクソンはこの男が犯人に違いないと確信し、一方的に男を怒らせて殴らせて、わざと半殺しの目にあう。そのおかげで男の拳の皮膚が採取出来て、DNAの検査に出すことができた。デイクソンはミルドレッドにそれを伝える。しかし、新しく着任した警察署長は、この男はDNAで犯人にマッチしなかったし、事件の起こった日にはこの町にいなかった、とデイクソンに言い渡す。
この男は確かに事件の日、この町に居た。デイクソンは警察署長の言うことを信じない。ミルドレッドも信じない。この男は野獣のように自分を脅迫した。
デイクソンは母親の髪を優しくなでて家を出る。ミルドレッドも息子の安らかな寝顔に別れを告げて家を出る。二人の行先はアイダホ。歩むハイウェイは一方通行だ。
というお話。
娘を殺された母親の怒りが大爆発、炸裂する。ハイウェイに弱腰警察を揶揄する大広告看板を出し、良識的市民から批判され、牧師から訪問され、車にミルクをぶつけられ、チンピラから恐喝され、協力者を半殺しにされ、歯医者に麻酔なしに歯を抜かれそうになり、勤め先を壊され、放送局から警察署長殺しとなじられ、署長未亡人から非難され、前夫から首を絞められても、彼女は動じない。怒る母は、一歩も退かない。孤立無援など全然怖くない。法的に犯人を警察が逮捕できないことがわかると、少しの迷いもなく自らの退路を断ち、リベンジに突き進む。潔い。
「庭の千草」(The Last Rose of Summer)をソプラノ歌手が朗々と歌う背景を美しい田園風景が写される。アイルランドの詩人、トーマス モアが詩を詠んだクラシックの名曲だ。この曲が流れるなかを、牧歌的な光景の中にハイウェイがあり、3つの今は使われていない巨大な広告のための看板が映し出されるところから映画が始まる。116分の映画のなかで、もう一度だけ、この美しい旋律が流れる。娘を殺された母親が警察を告発する看板を出したその下に、花を植えた鉢を並べていたときに、奇跡の様に美しい鹿が姿を現して、母親の横で草を食む。思わず美しい鹿に見とれて涙を落とす母親が哀れで悲しい。そんなに自然が豊かで美しい場所なのに、現実にはテイーンが誘拐され、レイプされ、殺されて捨てられる。失業者には希望がない。黒人は歴然と差別される。小人症も差別されている。酒場では男達が暴力をふるい、粗暴で女を平気で殴る。それがアメリカだ。それが世界だ。
今年はアメリカの中で、保守的で白人中心主義を払拭できずにいた男社会ハリウッドで、女たちによる地崩れが起きている。権力を持った男達が告発されている。女たちによる反逆は、しばらくは収まりそうにない。法的にも、倫理的にもリベンジは正しい事ではない。しかし、娘を殺された母親は、怒りをこめて、100回殺しても殺し足りない勢いで男を殺すだろう。
クリント イーストウッド監督が、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー作品賞を受賞したときに、安楽死を認めるような映画に賞を与えることは正しくないという意見が飛び交った。時の流れというものは、その当時は法的にも倫理的にも反する事柄も、一歩先に時代を先取る映画では、それが許された。いずれどの国でも人が人としての尊厳を守るために厳しい条件のもとに安楽死は認めざるを得なくなるだろう。この映画でもリベンジは正しくない、ということは簡単だ。しかし、では、法的に女を守ることができなかった社会で、法的、倫理的な正義とは何なのか。
映画が終わった時、たくさんの女たちが涙を浮かべて拍手していた。ものすごい母親としての共感。熱い女性としての共感。思わず自分も拍手していた。
今年のゴールデングローブは、女性のための、差別されてきた有色人種のための賞だった。多くの参加者が黒服を着て参加。セシルBデミル賞を受賞したオプラ ウィンフリーのスピーチ「ミートゥー」には、長い長いスタンデイング オベーションがあった。こういった一連の流れが、一時的なものでなく、これからの女性差別へのと暴力、人種への差別と暴力、性的マイナーな人々への差別と暴力を失くす社会を構築する方向に、本気で向かってほしいと心から思う。
隅々まで面白い
殺人の被害者少女の母親が、いつまでも犯人を捕まえられない警察の捜査に業を煮やし、警察を批判する3枚のでかい看板広告を出す。警察の捜査に業を煮やす、というのはアメリカ映画で見かける素材で「プリズナーズ」「白い沈黙」(カナダ映画)なんかを連想したけど、これは自分でも捜査して犯人を捕まえるという方向には行かない。ただ、どれも都会が舞台ではないところがミソかも。
アメリカの社会問題を描いているけど、どの登場人物にもユーモラスな面があって面白い。主演のマクダーモッドは被害者の母親という悲劇的な役柄だがかなり荒っぽい性格で、息子を含む周囲もドン引き。敵対する警官は尊敬する署長を非難され怒りに燃える一本気なところもあるが、差別的でかなりデタラメな仕事ぶり。この母親も、広告会社の若手社員も笑える。署長だけは割と好人物。その他にも面白い登場人物が多い。途中までは「憎しみの連鎖」の話になるのかと思ったが、結末も良い。
一体何人が結末を理解できたか??
一体何人の人が理解できただろうか、脚本が素晴らしすぎるが故に。
白人署長が自殺した理由、犯人のDNAが一致しなかったという黒人署長。
中盤に善のシンボルとして登場する署長もあっけなく事実を隠蔽した。犯人のレイプ魔が軍関係者であったが故に圧力がかかっていたのだろう。
それに対し、白人署長も犯人があいつだとは理解していたが、たった3枚の広告によって心を動かされて自殺を選ぶ。
善悪はつねに表裏一体であり、場面によってこのような結末を産む。
実際、作中にはそのような描写ははっきりと示されていない。しかし、この作品が賞レースを総なめにし、それを聞いた評判命の日本人が鑑賞しにくる。しかし、作品の本質を理解できず、曖昧な幕引きによって生まれる余韻も感じることなく首をかしげ帰ってしまう人たち。映画は見るべき人に見られることによって評価され価値を得る。鑑賞後、そのような人たちを見て少し作品がかわいそうでした。
納得できるかどうか
登場人物の行動がかなりぶっ飛んでる。
その過激な行動について、すっと理解できるのか、一寸立ち止まるのかで本作へのアプローチは変わってしまう気がする。3つの看板の影響で町の人々が起こした行動は、自分はやりすぎだと感じた。映画の後半、登場人物達はお互いを許しあう。だけど、あれだけエスカレートした暴力を、果たして飲み込めるのだろうか、という疑問がどうしてもはらせなかった。
観て良かった!
口コミでは重い、とありましたが、そんなにはなかったです。
人種差別、人権問題、社会問題などを小さな町で起こったひとつの事件を中心にぎゅーと凝縮したお話。
はじめはサムロックウェル演じる警察官にイライラしてましたが、彼から感じる署長や、母親への愛は本物なんだなと思いました(実際母親には暴力はふるわない。)署長の手紙、1杯のオレンジジュースで彼は救われた…。 人変われんだという希望が生まれた。
娘を殺された母は、自責の念を警察に向けることで救いを求めてたと思う。でも彼女もまた、署長の手紙と、サムロックウェル演じる警察官から希望をもらう。
ラストは賛否両論あるみたいですが、私はこれで良かったと思います。容疑者を殺すってなれば、よくある、ただの復讐映画になっていたと思う。希望が見えはじめた二人の人生、自分達の行動でいくらでも道はあるっていう含みを持たせたラストだと思いました。
すごく重いのに観た後の幸福感たら
突如現れた3つの看板が、小さな田舎町を大きく揺るがすことに。
人間それぞれ守るものがあり、それに必死になればなるほど、外の者を傷つける。
子を守る野生動物と、本能では同じだけども人間には理性と感情がある。
そのバランスの取り方を身をもって教えてくれたのは、ウィロビー署長、そしてその自死というショッキングな事件。
街中の人々が一丸となって守ろうとした署長は最期まで、それに値する人物だった。
(もう少しうまいこと根回ししてくれたら、もっと早く皆が分かり合えたかもしれない…が、そこは彼自身のプライドがあったかも?)
狭い街の中で八方塞がり、閉塞感で息が詰まりそうになるも、さりげない人々の思いやりと、ラストシーンでまさかのコンビ2人が街を出て行くシーン、妙にキラキラして見えて、どんなシチュエーションでも希望は持てると教えてくれる。最終的には不思議にじんわりと幸せな気持ちにさせてくれる、重い重い映画。
キャストもいい。
ナチュラル・ボーン・キラーズのイメージがようやく吹っ飛んだ!
ウッディ・ハレルソンの転換期とも言えるのではないかしら!
本当の犯人は誰か
見終わって腑に落ちなかったことが2点。癌の白人所長はなぜ自殺したのか?
それと、レイプの容疑者はなぜ捕まるリスクも辞さずにのこのことミルドレッドの店に現れることができたのか?
個人的な見解は、やはり容疑者は犯人だったんだと思う。ただ、軍関係者だったことから軍の圧力により真実を揉み消されていたのではないか?
そして、自殺した白人所長もその事をもともと分かっていたし、だからこそ自身の良心との葛藤の中で自殺したのだろう。
一方で、レイシストの巣窟だった警察署に正義の象徴として現れたアラントゥーサン似の黒人所長が、容疑者が犯人だと知ったにもかかわらず、暗黙の了解として易々と軍や警察上層部の圧力に屈して隠蔽に加担したのであれば、「誰もが正義であり悪である」といった本作品を貫くテーマに一層の深みを与えるだろう。
ストーリーだけじゃなく、シリアスさと笑いのバランス、開始3分で魅了された映像美と音楽も素晴らしかった。
追記: 自殺を覚悟していた白人所長が「警察嫌いの友人」と書かれたメモと一緒に広告の更新料5000ドルを広告会社へ送ったのはなぜか?もし犯人逮捕を軍の圧力によって妨げられていたのであれば、所長の死後も「娘はレイプされて焼き殺されたのに未だに犯人が捕まらない、どうしてウィロビー署長?」と書かれた看板は、自ずと軍や警察の隠蔽体質に対する皮肉なメッセージになるからではなかったか?
https://wezz-y.com/archives/32213/2
人はチェスの駒のようには動かない
重いテーマだが、ところどころに挟まれるおバカな展開(キャラクター描写)に思わず笑ってしまう。
ピリピリと張り詰めた緊張感が続くが最後にはフッと肩の力が抜けるのでご安心を。
人によっては「ん!?これで終わり?」となってしまうが、あの先を描くことはこの映画の目的ではないのでしょう。
署長があのビルボードがチェスのように人を動かし始めたという。
主人公は神様(チェスをプレイする人間)のように、止まっている人を動かそうとするが、中々思い通りに動かない。それどころか、あの人は実はこういう人で、こう動くのだと自分の勝手な思い込みを知るのである。
何だかんだ人って喧嘩したり、互いに恨んだりするけど、優しくすることも簡単だし、それだけでさっきまで怒ってたことがバカらしくなる。
優しさは優しさを生み、怒りは怒りを生む。ラストは神の鉄槌を下すべくあの悪い奴を裁きに行くと見せかけるが、やはり2人は人間であった。そんなことはもういいんだ。ようやく肩の力が抜ける。穏やかに終わる。
良質な人間ドラマを見た。
ディクソンが向かいのビルの広告マンの兄ちゃんを窓から落として、また警察署に戻るワンショットシーンは臨場感バツグン。こういったさり気ない職人技が光る作品でした。
デトロイトと同じくキツイ
田舎であるだけに
署長が、人格者で余命少ない
やってるやんか!
しかしハッキリしてくれ
母は、立ち上がった!
マクドーマンドの腹のすわった顔
かえってしんどい。
サムロックウェルの人生が変わる
そして腹がすわる顔
なかなか好きな作品だ!
会話のチェスが秀逸!
警察署長とミルドレッドの会話(遺書も含めて)が秀逸。
こっちがしてやったり!と思ったらその後ひっくり返されたり。
看板の使用代金を署長が払ってたあたりは最高のくだり。
ピーター・ディンクレイジ演じるジェームズがハシゴを押さえてるシーンも最高!
物語としてはうまくまとまってるし、深い。
けど、署長の遺言と、自分が投げ落とした男から差し出されたオレンジジュースでそこまで人間善人に変われるものなのか。。。と思ってしまったので、☆-1で。って私が擦れてるのかな。。。
まあまあ
評判が良かったので、期待しすぎてしまったかも。
たしかに意外性のあるストーリーで役者も素晴らしく、最後までハラハラしたけど、冷静に振り返ると、うーん…
警官が市民を暴行してもそれほど罪に問われないし、警察署の放火があっても犯人は捕まらない。そんな街の警察じゃ、レイプ犯を捕まえられるわけないよなって思ってこの映画を見てはダメなんですよね 笑
ただ、場面場面でのストーリーはホントに予想外のことばかり起きるので、最後まで楽しませてもらいました。
まぁ犯人は捕まらないのかな、と思っていたら、これも最後に意外な展開が…
脚本家が観客の期待を裏切ることばかり考えて書いた感じがよく伝わるけど、エンディングの解釈は評価が別れるのでしょうね。
個人的にはスッキリしない感じでしたが、まぁ楽しめました。
釘付け!
重厚感たっぷり。
ずっと続いていて欲しい、いつまでも見ていたいと思える作品でした。
とっても満足しています。
涙を流す場面はありません。
勧善懲悪とも違う。
どんな復讐劇なのかなと、サスペンスとか、ハラハラドキドキを期待していっても的外れになるかもしれません。
だけど、内容はとても面白く、どっぷりと映画に浸れます。
さあ、始まるぞと身構えたところでエンドロール。
その終わり方がとてもとてもクール。
爽やかな気分にになれたほどです。
人が人を赦す。
「愛」がぎっしり詰まった作品でした。
強烈な人間ドラマ
正直面白かった!と手放しで言える作品とかではないし、雄弁には語れないかな
ただ、強烈だった。色々と
1つの事件、そして3枚の看板が街に不穏な空気をもたらし、人々の暗い部分を浮き彫りにしていく…と言えばいいだろうか?
あとは怒りに狂った人間の悲しみ、虚しさ、後悔、(あとは他の方が書いていたのをみて納得したのだが)許しを描いていると言えば良いのかもしれない
ミルドレッドの女性として母親としての狂った様な怒り、悲しみ、強さと同時に弱さ、脆さ、危うさも発揮されていて、スゴいなと思った。
ディクソンは途中までは完全な力と差別意識と母親に溺れたクズ警官かと思えば、後半からは別人のような活躍を見せ、とても印象深い。
ラストシーンは爽やかでどこか前向きな印象でもあるが、2人の行方を思うとどこか切なさも覚えるような気がしないでもない。
他の方のレビューも参考により深く味わってまた観たら感じ方も変わる作品だと思う
脚本が素晴らしい
米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な広告看板を設置する。それを快く思わない警察や住民とミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へと転がっていく。所長はガンを苦にして自殺してしまうが、後任は黒人所長でディクソンは首になってしまう。(ディクソンは差別主義者で広告会社の青年を窓から突き落としたりのやりたい放題だった)広告が焼かれてしまったり(犯人不明)、しかし、所長はミルドレッドやディクソンにメッセージを残していた。ディクソンが所長の手紙を警察署で読んでいるとミルドレッドが警察署に放火して大やけどを負ってしまう。しかし、ディクソンは犯人と思しき男を発見し、けんかを売ってDNAをゲットしミルドレッドに期待を抱かせるが彼は犯人ではなかった。しかし、所長の遺書に励まされたディクソンは犯人ではないが罪を犯したものに報いを受けさせるためにミルドレッドと共に出かけていく。犯罪者をどうするべきか話し合うディクソンとミルドレッドはドライブしながら道々決めていこうと話し合う。こうしてドライブが始まる。とても良くできた台本で満足度は高いので見てよかったと思える作品だった。
一々騙される
一個一個の場面で、次どうなんだ?と予測してはみるものの、一々騙される。
悪い方に展開するんじゃないかと考えてみるが、結果としてはほっとする。
そんなことを繰り返しながら、エンディングまで引っ張られる。
エンディングはエンディングで、どうなんだ?っていう状況の余韻で終わる。
終わってみたら良い話だったのかな?って思う。
一晩経って更に思う。
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