スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
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ミズーリ州の片田舎に暮らすミルドレッドは娘を殺されるが犯人を逮捕で...
ミズーリ州の片田舎に暮らすミルドレッドは娘を殺されるが犯人を逮捕できない地元の警察の対応に業を煮やし、街外れに3枚の広告看板を出したことから様々な騒動が巻き起こる。
痛烈なメッセージが記された3枚の看板に執着するミルドレッド、名指しで非難され困惑する警察署長ウィロビー、ウィロビーを敬愛する余りミルドレッドの行為に憤慨する粗野な警官ディクソンの3人を巡る人間ドラマですが、象徴的に看板の表と裏をドラマの背景に置くことで登場人物達の心の葛藤を浮き彫りにし、人は誰も聖人君子ではないが絶望的に醜いわけでもないという二面性を少しずつ掘り下げていく演出は見事。上記3人を演じるフランシス・マクドーマンド、ウッディ・ハレルソン、サム・ロックウェルの演技も実に味わい深く、観終わっても暫く余韻が残る傑作ドラマです。
あいつが良い奴すぎる
署長が良い奴すぎるの。看板立てられて非難されてるのに理性的に対処して。自分の残り少ない人生をどう過ごすかの決断もキッチリしてる。
主人公もスーパーマンじゃないんだけど強いのね。ブレずに突き進む。
差別主義者の警官も最後は仲間になるけど、それが署長の手紙一発というのが「そうなのかなあ」と思ったなあ。
ままならない世の中で、どうするかは道々考えるしかないよねというテーマは解ったけど、テーマが深いから面白みに欠ける気はしたな。
伏線の張り方と回収は見事。
The anger gets the greater anger. オレンジジュース
ふぅぅ。wikiに載ってた評価で「『スリー・ビルボード』はブラックコメディであることと凄惨なドラマであることを見事に両立させている。」とありましたが全然ブラックコメディとは思えない。考えれば考えるほど心の持ちようが難しい映画です。それほど感情に溢れる作品でした。
個人的にはレイプ犯は死刑になっていいと思ってます。自分の娘をレイプされたあげくに火をつけて殺されたら犯人を殺したくなって当然です。赦すとかありえない。例えば自分の身に起こったと想像してみたらどうでしょう?レイプは女性じゃないと分かりにくいでしょうから、極端な話あなたがサイコな人から両手切断されたとして、その犯人が笑いながら生きていても「罪を憎んで人を憎まず」なんて言えるでしょうか?私は無理です。犯人ブチ殺したくなると思います。
それでも、ラストシーンで私刑しようと向かっていく先は娘を殺した犯人ではなく、しかもディクソンが酒場で話を聞いただけで、あいつはレイプ魔だと決めつけて殺しに行こうとしている。法治国家において私刑(法によらず、私人が勝手に加える制裁。リンチ。)は駄目なんです。少なくとも警察署長が隠ぺいしている証拠は(私が何か見逃していない限り)作中では語られなかったですし、全くの勘違いである可能性もあります。いや、あの男は確かにメチャメチャ怪しかったですけど、確証なく私刑を赦してたら世の中は成立しませんし。ですので最後のミルドレッドとディクソンの行動は筋違いに見えてしまい容認できるものではありませんでした。だから余計にラストにモヤモヤします。
フランシス・マクドーマンドの演技、良かったです。犯人に怒りつつ、実は自分自身も許せない怒りを抱えてる母親。特に鹿に心情を吐露するシーンとか無理してる事が伝わってきて名シーンだったと思います。ウディ・ハレルソンの演技、良かったです。あの自殺は不器用な優しさなんだよなぁ。でも、何と言ってもディクソンを演じたサム・ロックウェルでしょう!ゲスな警官で不愉快でしかなかったのに、ウィロビー署長の手紙読んでからの覚醒っぷりときたら。今作品で一番成長してましたよね。最後の車の中でミルドレットに答える一言とかカッコ良すぎるぅぅ!!素晴らしかったです。
基本的に登場人物にロクな人間がいない作品なのですが、不動産屋のレッドがディクソンに差し出すオレンジジュースに「怒り」だけに捕らわれない人間の「愛」を感じます。あれだけ怒りに満ちた映画で、あのシーンがあるからこそ満たされる。そんなワンシーンを挟めるマーティン・マクドナー監督に作り手の上手さを感じました。
怒りは怒りを来す
見終わった後にこの映画で起こったことを冷静に振り返って見たときに よくこんな話がすんなりと飲み込めたな と驚いた
作品のトーンは割と淡々としているけども起こることはとにかくジェットコースターそのもの
ふと気付くと状況が180度転換していて人間関係から何から何まで大きく変化し続けるし、その度に物語が向かう先も予測がつかなくなる
そんな、普通ならあっと言う間に置いてけぼりにされそうなお話なのに最後まで一本の美しい線で見る側を導いてしまう脚本力はとにかく圧巻だった
タランティーノの影響を多大に受けていると公言しているそうだけど まさしく まずはこの驚異の脚本がこの映画最大の魅力だと思う
また素晴らしいのは、単に映画を面白くするためにジェットコースター化することが目的なのではなく、この脚本のテーマとジェットコースター性がとても密接に関わっているところ
端的に言ってこの映画はとにかく 人間の多面性というものがいかに人間を希望溢れる生き物にしているか というお話だったと思う
人間と付き合うのは誰もが知っている通りかなりめんどくさいし、実際 この人はこういう人 という一面的なレッテルを貼るだけで、人間関係を成立させた気になってしまうというのは誰しも経験があるとことだと思うけど、この映画はそういう安易な決めつけでは無い、相手のことをより深く知って行った先に生じる物を見せるからこそ ジェットコースター性が必然的に生まれるのだ
相手をのことよく知り考えてみる という行為が 遺書やそっと差し出されるオレンジジュース を通して繊細にでも確実に人の心を温めていく様子は見ててとても感動的だった
そして 登場人物はもちろん見る側すら バカ のレッテルを間違いなく貼っていた、ある女の子から語られる 怒りは怒りを来す という言葉で作品に一本の芯を通させて見せる鮮やかさ
アカデミー賞を賑わすのも納得な一本だった
正直によく分からない
正直、よく分からない映画だった。思っていたストーリーと全く違った。ミルドレットは娘を無くした、かわいそうな母親で娘の敵討ちのため、看板を出したと思っていたが、そうではないことが提示されている。(なにせ関係のない人間を殺しに行こうとしている。気は乗らないにしてもだ。)警察が犯人を隠しており、その謎を暴くストーリーかと思っていたら、その様な事もない。犯人も見つからない。署長も悪人と思っていたが違う。よき夫であり、よき上司であった。最後まで思っていた事と違うストーリーであった。
この映画を見てアメリカンビューティーを思い出した。アメリカの田舎の社会が壊れつつあるのを描写しているのか。
なぜ、ミルドレッドは最初から最後まで怒っているのか。これが、アメリカの現状なのか。日本人の自分には分からない所が多いが・・・
びっくりした
デトロイトが見たかったけれども時間が合わずこちら。あまり期待してなかったんです。
娘をレイプされ殺された、母親が怒って半分気が狂う、なんて。ありがちだと思ったんです。
けれど、やっぱり冒頭のシーンから引き込まれてしまい。
陳腐な箇所って何個かありました。
謎の鹿が出てきてミルドレッドが悲しむところ、病室でレッドがディクソンに優しいところ、元署長が5000ドル支払ってたところ。
けれど暴力的なシーンは役者さんの魂が感じられるというかスピード感がありました。個人的に、ディクソンがレッドを窓から落とすシーンは鳥肌もんでした。
アメリカ社会、それほど深く理解していませんが、
新署長がマジでクソでした。
終わり方もびっくり、意見は分かれると思いますが、私は終わり方にも満点を付けたいです。
あとは自分で考えろ、的な。
アカデミー賞とるかなぁ。
怒りは怒りを来す(これは覚えた。)
『どやった?映画』嫁さんに聞かれた
『うーん。。。眠くなれへんけど難しいわ。
どいつもこいつも なんやねん!
ラストそんな終わり方なんやぁ
て ゆう感じ かな』
『ふーん。何ゆうてるか解らへん。』
(レイトショーで観客5人 て
人気ないねんなぁ)
(この作品がアカデミー賞候補なんやぁ)
(レビュー見て勉強しよっと!)
怒りの赤と善意のオレンジ
いやはやなんとも複雑な味わいの映画でした。
や、『小難しい映画』という意味ではなくて、
特定のジャンルに括ろうとしたり、雰囲気を
一言で表すのが非常に難しく思えるという意味。
全編ブラックでシニカルなユーモアに満ちているが、
そんなユーモラスなシーンが次の瞬間スリリングで
バイオレントなシーンに変貌したり、かと思えば
涙が出るほど繊細なシーンに変貌したりと予測不能。
多数のキャラがわちゃわちゃ絡み合うのに物語は
混乱しないし、笑えて楽しいが怖く悲しく空しくて、
だけど最後にはどこか温かな気持ちにさせてくれる、
なんとも複雑な映画、そして、なんだか凄く良い映画。
...
とんでもなく口汚く短気でタフな母ミルドレッド
を演じたフランシス・マクドーマンドは圧巻!
以前にアカデミー賞を獲った『ファーゴ』の
優しい警官と同一人物とは思えない豪胆さで
笑い所も泣き所もかっさらう。
黒人もメキシコ人も共産主義も嫌いなド鈍い警官
ディクソンを演じたサム・ロックウェルも見事で、
色々とヒドい彼が終盤で見せた勇敢さに鳥肌!
そしてウディ・ハレルソン演じるウィロビーも……ここは後述。
...
娘を殺された母親が立てた広告看板をきっかけに
小さな街で巻き起こる、怒りの複雑連鎖反応。
犯人への怒り、権力への怒り、非難への怒り、
人種への怒り、暴力への怒り、母への怒り、
ミルドレッドの怒りはあらゆる類の怒りを呼び、
ウィロビー署長の手紙が登場するまでの間は
しっちゃかめっちゃかの大混戦状態。
けれどミルドレッドの怒りの矛先は、犯人を逮捕できない
警察だけでなく、娘を最期に酷い言葉で送り出して
しまった彼女自身にも向けられていたような気もする。
愛娘を奪った犯人を憎む気持ちがまず第一とは思うが、
ひょっとしたら彼女は、周りからどれだけ罵られても、
それは自分が娘にした仕打ちに対する避けがたい罰で、
それを甘んじて受けながらでも、娘の為に犯人を
探す責任があると感じていたんじゃないだろうか。
元々タフな性分だったらしい彼女も無敵では
無く、近しい人からの批判はやはり堪えるし、
名指しで批判したウィロビーに対しても、
どこかで申し訳無い気持ちは抱いていた気がする。
ひょっこり現れた鹿の前で泣き崩れてしまう場面。
彼女は必死で『タフでなければ』と耐えていたのかも。
...
ミルドレッドの怒りはあらゆる人々に伝染し、そして
誰も彼もがその怒りに任せて他の誰かを攻撃した。
とんちんかんだがイノセントなペネロープの
『怒りは怒りを来(きた)す』の言葉通り、
誰かの怒りを受け取り、それを誰かに受け流す
だけじゃ、怒りの連鎖はどこまでも止まない。
だがウィロビーは――名指しで批判され、人生最期
の時間を汚されて最も怒りを覚えたはずの彼は――
誰にも怒りをぶつけなかった。それどころか、
その人生の最期を汚した張本人を気遣う言葉を残し、
彼女が責められないよう広告費まで支払った。
更に、誰からも溜め息を吐かれるような暴力警官
の奥底にある優しさを見抜き、伸ばそうとした。
ミルドレッドの怒りをぐっと堪えて受け止め、
それを善い力に換えて、ディクソンへと継いだ。
それが、死に際のウィロビーが最期に成したこと。
ウィロビーの遺言を読んだ後、病室で、
自分を心底憎んでいるはずの相手から
オレンジジュースを差し出されたディクソン。
彼が本当に生まれ変わったのはあの瞬間だったと思う。
必要なのは、一番憎い相手へ、
オレンジジュースを差し出す気持ち。
...
ミルドレッドの娘を殺した犯人は捕まらなかったし、
ミルドレッドとディクソンは別の悪党を殺そうとしている。
勿論これはハッピーエンドとは言い難いのだが……
それまでになく穏やかに見える二人の表情。
怒りはきっとまだ抱えているのだろうけど、
最初の煮えたぎるような勢いはもう無い。
引き返すか、何か別の手を考えるかは分からないが……
なんとなく、あの二人はもう大丈夫な気がする。
怒りは何も生まないから怒るな、なんてのは土台
無理な話で、怒らない人間なんてこの世にいない。
だが、その剥き出しのエネルギーをもっと
前向きなものに換えることなら出来る。
怒りの赤を善意のオレンジへ。
何だったら、ストローも差してあげて。
<2018.2.3鑑賞>
重かった
もしかしたら寝ちゃう系の映画かと思っていたのに、
やり場のない怒りとか、緊張感とか、驚きとか、寝る暇なかったです。
そして、「ああ、ここで終わっちゃうのか」という終わりかたも、
想定内のような不完全燃焼のような。
とにかく見終わってからも何かしら考えてしまう映画でした。
私なりの結論は、「赦すこと」がテーマの1つにあったのかなと。
レッドのオレンジジュースの場面を思い出してそう思ったのだけど、ミルドレッドは娘に言った事に対して一生自分を赦せないだろうし、でも、彼女がした事を赦す相手もいるし、彼女もDVの元夫をワインボトルで殴らなかったし、他にも、愛する人に自殺されてしまった家族は彼を赦せるのだろうかとか。
そんなふうに足りない脳みそで考えてしまうほどのインパクトがあり、良い映画を観たなと思ったのでした。
フランシスマクドーマンド
ファーゴぶりに
パンチの効いた役柄でした。
お腹まわりに
貫禄ついた
サムロックウェル
最初は悪だったけど
後半
めっちゃ良い奴に‼︎
カッコイイ〜
レストランで
看板放火の元旦那
(セッションズの人とは思わなかった)を
ワインボトルで
シバいてほしかった...
でも
それじゃカッコ悪いか…
あの
犯人でしょ
あれ違うの?の
アイダホナンバーの輩が
ミルドレッドの働く雑貨屋さんに来て
詰め寄るシーン
ゾッとした(怖)
ウディハレルソンの
奥さんが(ジオストームの美人さんだった)
手紙を届けに来てくれて
間一髪助かった‼︎
ハラハラしたよ〜
結局なにも解決していない
犯罪は必ずしも解決するわけじゃないという理不尽さみたいなものはあっていいわけで、別にそういう終わり方がダメだというわけじゃないけど、ラストの締めくくり方はちょっと意味不明。怒りや憎しみという感情にとらわれ一度は過ちを犯した被害者の母親と、元警官の2人が共鳴して、なぜか今回の事件とは関係のない人物を殺そうとするわけなんだが、そうする意味も伏線も無いわけなので正直、なんで...?ってなる
2017年のラグビーボール
シナリオはラグビーボールのようにはねていて飽きさせない。
登場人物は、一癖あって練られている。
観ていて、感情的には寅さんに近いものがあった。
音楽は、風景と心情と、そのどちらにもいい感じに効いている。
観たあと、良識と信念について考えさせられて、心に残る映画だと思う。
ストーリーについて、
ただの広告看板で、何人もの人生が大きく変わり、話が大きく意外な方向に転がっていく。
シナリオを描くとき、最初と最後はある程度決まってる事が多いと思うが、この映画はどうだったのだろう。
書いていてキャラが勝手に動き出したとしても、バッドエンドがハッピーエンドに変わるような変更はあっても、出来事そのものが完全に変わるという事は少ない気がする。そういう意味で、この映画どうやって書いたんだろう?
どんでん返しでも無いし。
まるで、北海道から沖縄を目指したトラック運転手が途中で飛行機のパイロットになって北朝鮮に行ってしまうくらい違う事してる。それでも、そんなに違和感なく観れる。(火事のシーンは流石に違和感あったけど)それは、登場人物たちに信念があるから、強引に共感させられているのかもしれない。兎に角、新しい映画体験が出来た。マーティン・マクドナーさんがどうやってこの話を作ったのか知りたい。
内容についての感想は、
主人公は、信念を持っていたが、信念を持たない人には一向に理解されず、実際に非合理的な行動を起こし、自分を追い詰めていく。
ただ、彼女の自傷行為のような行動は、根底は全て他人の為ということ。分かり合えたのは敵であり、死を覚悟していた署長。それと、最後にもう一人だけ。
ラスト、悲しみと罪の意識を抱えた2人の魂の邂逅が、希望を生んだところは感動した。あの瞬間は、出会いこそが生きる喜びだと知らしめてくれた。
道々決めようと車を走らせる2人の姿は逃避行でもあり、生きる希望への旅路でもあるように思えた。
出来事の整理
通る人の少ない田舎道の立看板。
その立看板に、警察署長へのメッセージを出した。
メッセージは彼女の娘がレイプされ焼死体で発見されたが犯人が見つかっていないのに警察は黒人をいじめてばかりではないですか?というもの。
憤慨する警察官たち。
警察署長は人望があり、彼女は、医者や牧師など、権力者から目の敵とされる様になる。
彼女の同僚が警察に捕まったり、歯医者で不当な扱いを受けたりする。
さらに悪い事に、警察署長は末期ガンであり、家族を苦しませない為に自殺してしまう。
その事で、町中を敵にまわす主人公。脅迫や、嫌がらせが日常になる。
同じく、署長を信奉していた差別主義者の警官が、広告屋を半殺しにする。
差別主義者の警官はクビになる。
そうしているうちに、看板が燃やされてしまう。
彼女は差別主義者の警官が犯人と思い、復讐と称して、夜中に警察署に火炎瓶を投げ込む。
タイミング悪く、差別主義者の警官が署長からの手紙を読みに警察署にいたが、彼はイヤホンをしていて火事に気づかない。
彼は、署長の手紙により正義に目覚めていた。
だが、正義に目覚め、気付いた時には火の海であり全身に大火傷を負う。
しかし正義になった元警官は、火事の中レイプ事件の資料だけは守る。
その瞬間を見て悲しむ主人公。それでも強い信念からか犯行は否定する。
正義の元警官は入院するが、同室に半殺しにした広告屋がいて、しかも彼に優しくされる事でさらに正義化し、過去を悔いる。彼は退院後、飲み屋でレイプした後火をつける事がやめられないと自慢する男に出会う。正義と過去の罪の意識により、自らを犠牲にしてDNAを採取し、警察に渡す。
また、主人公に犯人を見つけたと連絡する。
しかし、人違いだった。
だが、レイプ犯である事は間違いないと考えた男は、主人公を誘ってその男に会いに行く。
主人公も同意する。
二人とも、辛かったんだろう。
レイプ犯を殺しに行く途中、主人公は放火したのは自分だと告げる。
元警官は、あんた以外に誰がいると笑う。
そして、レイプ犯を殺したいかと聞かれ、お互いにあんまりと答える。
道道決めようと車を走らせる姿は逃避行でもあり、生きる希望への旅路のようにもみえた。
「怒りは怒りを来す」
「怒りは怒りを来す」。作中に出てきた言葉だが、これこそこの映画を端的に表すものだと思う。
きっかけは一人の女性の大きな怒り。娘がレイプされた上に殺害されたことに対する怒り。犯人に対する怒り。犯人を逮捕できない警察への怒り。そして娘を守れなかった自分への怒り。そしてフランシス・マクドーマンド演じる母親がその怒りを3枚のビルボードに掲げたことで、その怒りと悲しみが波紋のように広がって連鎖していく様子が、シリアスドラマとブラック・コメディの間を綱渡りするように描かれていく。あぁフランシス・マクドーマンドの座り切った目が未だ頭から離れない。
警察はおかしな権力を持ち市民を威圧するばかりの無益な存在かもしれない。いくら社会が人権の平等性を訴えても小さな田舎町では通用しない価値観かもしれない。そんな環境の中で、怒りに打ち震え、すっかり目が座ってしまったフランシス・マクドーマンドが行動を起こす。その行く先はひたすら負のループの中を突き進んでいくようなものだった。
この映画を見ていると、怒りが引き寄せるのは怒りしかなく、悲しみが引き寄せるのは更に深みを増した悲しみでしかないのだということを思い知る。まさしく「怒りは怒りを来す」。余命幾許もない保安官を巻き込み悲しみは連鎖し、看板屋の青年を巻き込み怒りはまた連鎖し、差別主義の警察官を巻き込みまたさらに悲しみは連鎖する・・・。事件の解決を望み、希望をかけたはずの3枚のビルボードは怒りと悲しみの連鎖ばかりだという皮肉。残るのは深い傷と、更なる怒り、更なる悲しみだ。
主要な登場人物らを結ぶのは怒りと悲しみによって形成されたか細い線に過ぎない。それなのに、傷つけた人間と傷ついた人間とを結んだ憎しみの糸が、僅かな絆にも似た何かや希望にも似た何かに変わっていく様子をこの映画に感じた。負のループのその渦の中心にある小さな空白が希望の光であってほしい。いやきっとそうかもしれない、と思えるエンディングを私はとても気に入っている。
日本に住んでいて「アメリカ」という国のことを連想するとき、ついついカリフォルニアの青い空やニューヨークの洗練された都会を思い浮かべやすく、延いては自由の国だなんて呼ばれたりするけれど、この映画に描かれたようなアメリカの田舎町に住む人々の暮らしや価値観や概念もまた、アメリカという国が持つ一つの表情であり、紛れもないアメリカの現実なのだということを改めて思い知られたようだった。
うーむ、普通!
映画の予告で、主人公の言葉を言い放つシーンに見とれ、気になっていました。
最後のシーン、車で出掛けるまでは良かったと思います。
警官をクビにしなければ、最後のシーンも変わっていたりと思わされたり、クビにしたからこそ、犯人に出くわしたり。
やりすぎなシーン(警察署に火炎瓶や、車に缶を投げつけられ蹴り)も見受けられましたが、解決したい問題があるならば、真摯に向かい合わなければ、せっかくの行動がムダになることもあります。
幸い映画なので味方もいましたが。
せっかくの行動力も、動き方を考えねば持ち腐れです。
すごくよかった
何から何まで悲しい話だったが、アホ警官への所長の手紙がとても暖かくて泣けて、その後失職したのに捜査を進めて、主人公のおばさんと一緒に犯人を退治に行く展開がとても泣けた。放火の告白に対して「あんた以外に誰がいるんだ」との台詞もかっこよかった。
小人もよかったし、広告会社の社長もよかった。憎んでいる相手にオレンジジュースをあげるのがすごくよかった。ウディ・ハレルソンもすごくよかった。全体的にキャラがすごく魅力的だった。
感情がぐちゃぐちゃ
みんながこぞって、この映画を褒めちぎる理由が
私にはわからなかった…
主人公ミルドレッドは"復讐に燃える母親"というより、"頭の狂った女性"にしか思えなかった。
元夫のDVが原因がおかしくなったのかもしれないけど、シリアルを飛ばしてくるお母さんなんて嫌だ。
19歳の馬鹿っぽい女の子と寝る父親も嫌だけど。
親子喧嘩はどこの家庭にでもあることだろうから仕方がないけど、事件を招いてしまったから仕方がないではすまされないよね。
小さい男性を見下してたのもすごく嫌な気分になったし、放火したのも最悪。誰もいなかったのならあの流れでも良かったのかもしれないけど、ディクソンがいたのに気付いてもやってないって言うし出頭もしないなんて。
署長はいい人だと思った。
自殺の原因はガンだけではないと思うけど。
心の底には責任を感じててつらかったと思う。
私も特に理由はないけど学校を休みたくなることがある。本当は課題が終わってないからなんだろうけど、特に理由はないって思うのは"課題が終わってないから学校を休む"って思いたくないからなんだよね。
署長の自殺もそういうことだと思う、私の欠席とは規模が全然違うけど。
ディクソン巡査は暴力的過ぎる。
看板屋を殴ったって仕方ないじゃない。
それに、殴って殴って窓から投げて、女の人も殴って…
殺人未遂じゃないの、この男こそ逮捕するべきでは??
火事の中から事件ファイルを持って出てきたり、飲み屋で犯人かと思って行動を起こしたり、途中からいい人だなって思ったけど…
やっぱり過暴力的に思える。
レッドはなんとなくいけ好かなかったけど、気付いたら結構お気に入りの人物になってた。
彼のように、殺されかけた相手にもオレンジジュースを注いであげられる人物になりたい。
まとめると、よく分からなかった。
とにかく感情がぐちゃぐちゃにされた。
笑ったし、たくさん泣いた。でも、今はよく分からなかったっていう気持ちしか残ってない。不思議で仕方ない。
自分が観るには幼すぎたのかも知れない、あるいは元々自分には向いてなかったのか。
数年後にもう一度この映画を観たらまた違う気持ちになれるかも。
みんなが評価してるのには理由があると思う、でも、みんなの感想を読んでもイマイチわからない。
私がよく分からなかったのにも理由があると思う、例えば話の内容を勘違いしてたり、偏見的な意見をもってるのかもしれない。
もし、私の拙い散文をここまで読んでくださった方がいて、何か意見があれば、是非コメントしていただきたいです。
感情移入できなさすぎ
極論を言うと、映画の中のキャラクターが死のうと生きようと、自分の生活には関係ない。
それなのになぜキャラクターが死にそうになっているシーンを見ると悲しくなるのか?
それは感情移入しているからである。
この映画にはそれがなさすぎた。
所長が自殺したことをきっかけに、警官が看板を作った人間に殴り掛かるところなんかはこの映画の欠点が浮き彫りになったシーンだ。
自分の職を失うような行動のきっかけが「みんなから評判のいい所長が死んだ(しかも余命2か月)」とかいう意味不明なものであっていいはずがない。
映画館でみていて、ここまで眠くなった作品は初めてだ。
頼むからアカデミー賞を取らないでほしい。。。。
絶賛の嵐に、???
※気を付けてください、ネタバレしてますよ。
軒並み高評価の絶賛の嵐。
ええ?みんな、そうなの?
確かに、クズ警官の改心には目を見張るものはあった。オープンエンディングのラストも深く心に訴えるものはあった。
だけど、全然主人公ミルドレッドの行動に共感できない。
手詰まりの捜査を非難する方法として、所長を名指しにするのはどうなの?
まるで街中を敵に回すような態度もどうなの?
報復として、警察署に放火するってどうゆうこと?
真犯人じゃない男を殺しに行くなんて、それはたとえそいつが人間のクズだとしてもとばっちりでしょ?
むしろ娘と口喧嘩したことが遠因であることに自責の念が駆られ、罪滅ぼしの意識で執拗に意固地を貫いているの?
恨みを晴らしたい気持ちはわかる。だけど、こんな手段が称賛されるのがアメリカの社会?、いやあ全然無理だわ。憎しみや怨嗟が永遠に続き、広がっていくだけだよ。
そう書きながら、確かに最後にエンドロールを見送りながらクズ警官にちょっとジンと来ちゃったけど。だけど、あれは許されない。
そんな自分の感覚は変なのか?
心に残る映画、観て良かった。
娘を殺された親の怒りはわかる。それに殺される直前の母娘のやりとりもやるせなさ過ぎて自責の念もあっただろうし。
ただ表現する方法がエグ過ぎ、犯罪者。
だけど警官も警官で、しょーもない奴多いんだよなー。
署長は愛されてるだけあって愛のある人だった。
署長のお陰であの警官も改心したし。
彼が火傷で入院した時のレッドの行動には心打たれたな。
私だったらひどい事された人に優しく出来ないから。
でもレッドみたいな愛のある人になりたい。
これから自分ももっと愛を持って人と接しようって思った。
考えさせられる事の多い映画でした!
心に残る映画、観て良かった。
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