スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
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3枚のビルボードは「誰か気持ちを分かってよ!」という心の叫び
この物語で登場人物達が抱える負、それは「誰も分かってくれない」という感情から生まれる怒りと悲しみ。その負に対し物語を通じて共感してくれる人が現れ、その過程で登場人物達自身もまた他人を理解しようとしなかったと気づき、相手を思う思いやられるという共感(愛)を得て、少しかもしれないが救われる、という話。
主要登場人物は三人。
①娘をレイプされて殺された母親
→背負った負:
娘が殺された上、犯人が見つからない。そして皆んなの中でそれが風化してしまう。その気持ちを誰も分かってくれない。
②その事件を操作する警察署の署長
→背負った負:
死。その恐怖を誰も分かってくれない。
③警察署の警官
→背負った負:
バカにされたくない、蔑まされたくない。なぜならゲイだから。怒らせたら危険と威圧するための暴力を振るう。しかしそんな感情を誰にも分かって貰えずクソ野郎と見られてる。
この3人がジャンケンのように互いに影響を与え有って救われる話である。
署長が激昂する場面「分かるよ」と声を掛けられる所。「分かってもらえない」と感じている人は上部だけの共感に最も怒りを覚える。そんな署長が少しだけこの人は分かってくれると感じたのは自分が威圧的に尋問を掛けている最中に末期癌からの血反吐を吐きかけたのに直ぐに救急車を呼んだ母親の場面。この人は分かってくれるかも、と思えたのだと思う。
この母親の共感がまず署長に死を受け入れさせる。そして署長は自分の共感を手紙に残し母親と警官に伝える。
署長から手紙を受け取った母親だがビルボードを、自分の心の叫びを燃やされる。
警官は母親の広告を載せたビルボード管理会社社長をボコボコに殴って窓から放り投げてしまう。遅れて署長からの手紙を受け取った警官はその手紙で分かってくれる人がいると共感を得る。
警察の仕業と疑った母親は警察署に火を放つ。しかし燃え盛る警察署の中には署長からの手紙を読んでいた警官がいたのだ。
この場面で警官は初めて警官としての心を取り戻す。燃え盛る警察署からレイプ事件のファイルを命がけで守る。なんとか一命を取り留め病院に担ぎ込まれるが、同じ病室には自分が窓から放り投げた男が居た。その男は火傷にまみれた自分を罵倒しながらもらそっとオレンジジュースをくれた。
この時、警官は誰も自分を分かってくれなかったが、自分自身も他人を分かろうとしなかった、と気づいた。
一方、母親は警察署に火を放ったことを知りながら庇ってくれた男に怒りをぶつけてしまう。その男からの悲しみの言葉に自分自身もまた人を理解していなかったことに気づく。
こうして互いに共感してくれる人が居たこと、また自分も人に共感していなかったことに気づき少しづつ救われていく。
この映画で3枚のビルボードは「誰か気持ちを分かってよ!」という心の叫びである。
ビルボードは景色の一部として強引に人の目に入れてくる一方的なメディアである。テレビもそうかもしれないがコミュニケーションを取れる情報のやり取りではない。大声の金切り声で叫び散らかす主張を静かな物言わぬ風景に置き換えている。
また警官が警官としての心を取り戻すまではバッジが出てこないが自己犠牲が払えるようになるとバッジが見つかる。バッジは警官自身の魂の象徴として描かれている。
本作は雰囲気が非常に「クラッシュ」に近い。登場人物が相互に影響を与え会い、変化していく非常に高度な脚本だと思う。メタファーもうまい。
ただ映画玄人、映画マニア向けの映画だと思う。定石を外そう、外そうとしてくる展開だがやりすぎた。
ラスト、もしや犯人では…?は犯人で良かった。あそこもひねってしまった為、根本的な問題が結局は解決されず登場人物同様、見てる我々もモヤっとしてしまった。
この映画は登場人物たちの「魂」しか救われないのである。映画の中で登場人物が置かれている状況は何の一つも変化していないのである。
作り手は「そんな都合よく状況は変化しない、事象も繋がらない、この生きている世界で出来ることは自分の心をどう持っていくかしかないじゃないか」という思いではないかと思う。ただ終わりよければ全て良し、ではないが後味があまり良くない為に面白かった、と素直に思えなかった。
なにより本作は登場人物達の心、人の心の動きをチェス的というか心の動かし方の高度さを見せようと手腕を発揮しているように思えた。それが面白い/面白くない、快/不快に関わらず。なんというか納得いかない。物語ってそうじゃないだろうというのが本音。
アベンジャーズやパシフィックリムのような唐揚げとフライドポテトで胃もたれしてしまう映画屋に通い詰めた常連さんがホヤやあん肝で一杯やる通好みの映画だと思う。
魂の贖罪と救済
この映画のテーマは何だろう。
陳腐な言い方をすれば、魂の贖罪と救済ーーということになるのだろうか。
ディクソンという、どうしようもなく無知な男を通して「人に認められること」がいかに人を変えるのか、ということをつくづく考えさせられた。
自分の国の軍隊がどこの国に派遣されていたかも知らないほどの、無知。そして彼を精神的に支配している母親はまごうごとなき差別主義者。でも彼にだって刑事を目指そうとした純粋な動機はあるわけで、署長はその点を見抜いていたんだろうと思う。
この映画を単純な構図にしていない、署長とミルドレッドの不思議な連帯感。一方は突然娘を殺された悲しみ、一方は突然余命宣告された悲しみを抱える。ある意味、世の中の理不尽さに対して闘う同志のようなものとでもいおうか。
突然舞台から降りてしまった署長の死は大勢の感情を掻き立て、たくさんのすれ違いを引き起こす。
しかし、ディクソンとミルドレットに心に変化をもたらしたのも、また署長の死によるものだった。
ミルドレットが頑なに周囲と壁を作っているのは、世の中に対しての怒りだけではなく、自分自身に対しての怒りでもあった。 娘の死に責任を感じ、自分は幸せになってはいけないとでもいうように、周囲に敵意をまき散らしていく (でも歯に衣着せない言動、個人的にはスカッとしまくり)。
そのことを理解していた署長は看板の広告費を肩代わりしていた。この場面は深く心を穿つ。
ミルドレットとディクソンの言動に批判や非難を加える前に、受け手が立ち戻らなければいけないのは、何が悪いって、捕まっていない犯罪者が一番の悪。
ディクソンとミルドレッドの旅がどういう終着点を迎えるのかはわからない。
まさか二人が本当に必殺仕置き人をしにいくわけではないだろう。
でも生きるためには目的が必要であり、それがただのポーズであっても、正しい動機のために歩み寄って行動を起こすことこそが、二人には必要だったんだと思う。
だからこそ、ミルドレットの最後の笑顔に救われる思いがした。
ウッディ・ハレルソンしかり、全員の演技がすべて賞をあげてもいいくらい上手かった。元夫の19歳の恋人の、あのイラつく演技もいいアクセント。
繊細で大胆。いい映画だった。
いったいどうなるのか最後まで予測できない展開。 看板を出した主人公...
いったいどうなるのか最後まで予測できない展開。
看板を出した主人公の行動は、時に常軌を逸している。
看板で攻撃された警察所長に心酔している不良警官の行動もイカれている。
この 二人は決定的に対立しているのだが、最後にこの二人が行動を共にすることになるとは!
殺された娘は回想シーンで一度だけ登場するが、決してお淑やかな少女ではない。
母娘の仲も良くない。
別れた夫(父)は若い女と暮らしているが、暴力夫だった様で、元夫婦は互いに罵声を浴びせ合う。
看板を出した広告屋は、主人公に同情しているようで、でも金が目当てだ。
彼が件の不良警官の心を癒すオレンジジュースのエピソードが秀逸。
みる前の印象と違った
良かった。
これぞ「ヒューマン映画」というような感じ。
サスペンス系かな?と思って、観てなかったのだが
そうではなかった。
主人公の看板広告での投げかけを皮切りに、
色んな人の内情が交差して、
そこから、色んな人が変化していく様。
そのストーリー構成、人物設定に、お見事だった。
強い意志を持った主人公
彼女は間違ったことをしていない。
誰になんと言われようと、
街の住人に白い目で見られようと、
意志を貫いた行動。
それが時に心折れそうになることもあるが、
彼女は闘う。
その言葉、行動に、気持ち良さを感じた。
頭の悪い警官
彼の人物設定も見事。
こういう人、いるのよ。
いるけど、口で説明するの難しい。
だからそれをうまく描いている。絶妙。
めちゃ腹立つし、めちゃ嫌いだったけど、
最終的にそのバカさの方向性さえ間違わなければ、
すごくいい奴で、憎めなくなる。
うまい作り方してる。
主人公が警察署に火をつけた時に、
バカ警官は、もうクビになっているのに、しかも、クビになって警官バッジを返しに来てたのに、
例のレイプ事件の書類だけ持って外に出てきた。大火傷になりながらも。
それを見た主人公が、胸を打たれるシーン。
よく出来ている。
大火傷で運ばれた病院で、広告業者のあの子と、このバカ警官が再会する。
あの広告業者の子が、復讐できるのに、しなかった。
復讐したい気持ちがある上で。
復讐するのは簡単。
でもそこで、その気持ちを抑え、乗り越えた。
許せないはずなのに。
そこで許されたバカ警官の、心情。
絶対にやり返されると思っていたはずなのに。
それを経て、最後のシーンに繋がる部分。
主人公の彼女と、バカ警官が車でレイプしたあいつのところへ向かう。
その道中、
「ひとつ言っておかなきゃいけないことがあるんだけど、警察に火をつけたのあたしなの。」
「あんた以外に誰がいるんだよ。」
このやりとり。
バカ警官は、今度は「許す」立場に。
この映画の中で、
いろんな人の「許し」「許され」があった。
「復讐し、復讐され、
許し、許され」
ひとつの行動を皮切りに、
このテーマがたくさん見れた。
これで2時間未満。
よく出来た映画。
中だるみ皆無。
賛否両論あって面白い。私は否のほうだ。
製作側の都合により、話や人物が動いている気になるときに映画から覚めてしまう。
いつもの映画鑑賞なら、無口な人物や、説明の少ない演出。突飛な行動などは自分なりに観察し、咀嚼し、考察するため、たとえ暴力的でも自分勝手でも、変な人物でもあまり私は反感は抱かないようにしているのだ。
結論からいうと
スリー・ビルボードは3人の描かれ方以外は高水準でよい。
ただ、どうしてもメイン3人の行動原理はNOと言わざるを得ない。
理解に努める様にして鑑賞したが、悲劇の展開に持っていく製作側の都合で動いているようにしか見えなかった。もちろん演技は非常に良い。
気になるが多すぎてしまった。
なぜミルドレッドは警察を目の敵にしているのか。もう少しそうなるための警察の手落ち等の導入をもう少し描いてほしい。筋違い。強引、または強情。復讐鬼なら感情移入できるが、これは違う。日頃の無配慮が巡り巡って敵を作っているタイプだ。擁護できない。
ディクソンもなぜレッドに暴行するのか。短絡的というか。元凶のミルドレッドに暴行するのか筋では?イヤホンしてもビンが割れるのは普通聞こえないか?
署長も家族を残して不誠実。手紙書きすぎ。手紙長すぎ。手紙の届くタイミングが全て悪すぎ。支援金の意図が不明または悪意。敵に塩?捜査の継続を意図するなら自分で部下に指示すればいいだけじゃね?支援金は家族になぜ残さない?
火炎ビンと医者の指と元旦那の罪の報いがないのも引っかかる。
ミズーリ州ではよくあることなのか?
反感を抱くか、もしくは上の流れも違和感等なく、絶賛できるかの紙一重のギリギリな脚本なんだと思う。
なお、個人的にはラストは良くも悪くもなく。あんな感じの終わり方の映画はたくさんある。
以上言いたいことを言ったが、絶賛の声もあり、やはり、見る人によって受け取り方が変わる。作中での行動が空転するように、各自の正義も受け取り方が違う。善悪も一概にいえないというのは実にメタ的といえる。このあたりは実に秀逸。
同じ映画を作っても受け取り方が違う。映画を見て怒る人もいれば、歪つな群像劇をみて愛と赦しを与える観客もいる。(後者になりたかった。)
私は作中の怒りを受け止めてさらに怒ってしまったほうの人間だった。
賛否両論の映画系はこれまで、中立や傍観のスタンスが多かったが、本作は否の立場になれて、ある意味面白い映画体験でした。
新署長。。。
レビューの評価がよかったので、終わり間際に見てきました。過去レビューに、最初の印象と逆になるようになことがよく書いてあったので、黒人の新署長が登場してから、この人とんでもない悪事を働くに違いないと思い込んで見てしまいました。結局、最後まで大した悪事を働かなかったため、あれ?あれ?状態になってしまいました。レビューをかってに解釈してしまった失敗。映画はよかったです。アメリカ怖わ、女の人強っ!
これまでにない構造を持った傑作映画
犯人を探し当てて結末を迎えるサスペンスドラマという訳ではなく、誰かの成長譚が語られるヒューマンドラマという訳でもない。
この映画の新しいところは、反省も成長もしない女を敢えて主人公にしたところだ。
彼女は娘を殺した犯人を探している。しかし決して犯人に至らない。どんなに努力をしても、いや、努力すればするほど犯人には至らない。
なぜか。
それは、彼女が本当に罪を責めるべき相手、探し出して吊るし上げ、殺人と同等の責めを負わせなければならない相手は、他ならぬ彼女自身だからだ。
娘を死の散歩に至らしめたのは母親の彼女自身なのだ。
娘が車を出してくれとお願いした時、母親の彼女はそれをにべもなく断って、結果娘を死の散歩に至らしめた。
主人公である母親はそれがわかっているが、自分の外側に原因とその解決を求め続ける。自分の外側に原因を求め続ける限り、決して解決には至らないのだ。
主人公以外の人物は物語が進むにつれてそれぞれにその事がわかり、それぞれに救いを得ていく。しかし、主人公だけがそこには至らない。この構造を通じて、作者は鑑賞者に対して気付きを与えるのだ。鑑賞者は思う。ああ、そんな姿勢でいる限り、あなたは救われないよ、と。そして誰もが胸に手を当てる。自分はどうか、と。
この構造がこれまでどの映画にも無かった。傑作だ。
犯人について
やっぱり私は犯人はバーで事件の自慢話をしていた男だと思う。
じゃないとあいつがミルドレッドの店に来た説明がつかない。
これは他の人のレビューや考察も踏まえた上でだけど、一見善に見えたマイノリティの黒人の所長が、犯人が軍関係者という理由で真相を揉み消した。
この映画は人間の多面性を描いている。
被害者の母であるミルドレッド自身、良い母親であったとは思えないし、彼女の行動は一線を超えていて、善とは言いがたい。
ディクソン巡査がレイシストであることは事実だが、後半は善き人格へと変わっていく。
そしてウィロビー署長が自殺した理由。
私は最初、手紙の通りに受け取っていた。
しかし、彼がスリー・ビルボードにわざわざ出資したのには若干の違和感が残る。
本当に愛する家族に看病の迷惑をかけたくないという理由だけで自殺したのであれば、残された家族のためにもお金はなるべく多く残しておくべきではないだろうか。
ブラックユーモアで5,000ドルもの大金を出資するだろうか?
やはりウィロビー署長も犯人が分かった上であえて隠蔽していたことに、罪の意識を感じていたのではないだろうか。
そうであればウィロビー署長も、家族や仕事仲間には善き面をみせていたが、やはり悪である。
マイノリティに光を当てる必要があるということに変わりはない。
しかし実際人間はもっと複雑で、黒人が被害者で白人が加害者、被害者は同情され、加害者は迫害されるべき、などという単純な二元論で語ることはできない。
私はこの映画から、そんなメッセージを受け取った。
よくもまあこんなストーリーを思いついたなぁ
※注意:映画『フライト』のネタバレも含みます。ご注意ください。
すげぇ映画だな。
ミルドレッドは、言動がとにかくつっけんどんだから、感情移入がしにくい。
しにくいけども、ときおりインサートされる回想シーンを見ると、口は悪いけれども、子供のことを愛していることはよく分かる。
ましてや、娘が亡くなる直前に大喧嘩をして、車を貸す、貸さないで口論になっている。
で、売り言葉に買い言葉で、「歩いて帰る!」「レイプされても知らないからね!」みたいなやり取りまでしているわけだ。
それが不幸なことに現実になってしまった…
それは当然、悔いが残ることだろう。
小男も良かったなぁ。
ミルドレッドに好意を抱いていて、彼女を救うために警察に嘘までつく。
そうまでして叶えたデートで、ミルドレッドのあまりの言いぐさに、さすがに腹をたてる。
なぜ君は、そうやってすべてを敵に回すんだ?
ここにこうやって、君のことを愛している人だっているのに…
怒りとともに感じられる切なさ。
これには、さすがのミルドレッドもこたえたのだろう。
そして、なんといってもディクソン。
中盤までは、本当に最低最悪の男だし、なんならお前が犯人なのでは?と思ってしまうほど。
がしかし、不幸な偶然が重なり、最も尊敬している上司であるウィロビーを亡くす。
これは、彼にとっても強烈な衝撃だったのだろう。
彼の家は母子家庭。
おそらくは、ウィロビーに父親の面影を重ねていたのかもしれない。
だからこそ怒りを覚えたのだろうし、それゆえに広告代理店の社長に暴力を振るったのだろう。
それはもちろん許されないことであり、クビになるのも仕方ない。
でも、そんなディクソンに「お前は刑事の素質がある」と思っていたのは、他ならぬウィロビーだったのだ。
彼が死ぬ間際に残した手紙は、ディクソンの心に深く刺さったのだろう。
だから彼は、自分の命を賭してでも、ミルドレッドの調書を火事から守ったのだ。
彼の心の片隅に残っている、ほんの一欠片の良心が目覚めたのだ。
デンゼル・ワシントン主演の『フライト』を思い出した。
テクニックは超一流だが、アルコール中毒で人としても尊敬できな機長が、裁判の最後の最後で良心に目覚める。
自分の恋人であるフライト・アテンダントが妊娠していたこと。そんな身でありながら、乗客を守るために命を賭けたことが、裁判によって明らかになる。
ここで自分が偽証を重ねたら、自分は本当の意味で「人でなし」になる。
人らしくあるということ。
これまでに重ねた罪は消えることはない。
でも同時に、それを悔い改めるのに早い遅いはない。
もちろん、周囲は簡単に認めてはくれないだろう。
だから、ディクソンは命を賭けたのだ。
大火傷を負うことと引き換えに、調書を守ったのだ。
ウィロビーが守ろうとしたものを、自分も守らねばと。
それが彼にとって生きる意味であり、贖罪にもなるのだ。
ラスト。
あの二人は、はたして殺人を犯したのだろうか。
ひょっとしたら、二人はあのまま、全米を転々と渡り歩き、真犯人を探したのではないだろうか。
いや、それともやはり、あの男の元へ行き、引き金を引いたのかな。
うまいところで映画を終わらせたなぁ。
何と言ってもラストの清々しさ、、 人をしばきに行くというのにここま...
何と言ってもラストの清々しさ、、
人をしばきに行くというのにここまで爽やかなのはなかなかない。。
署長の死をきっかけに大きく大きく動き出す人々、
それもこれもたった3枚の広告によって。
牧歌的な音楽と風景がミルドレッドの強さと対比的で互いが強調されてた。
少しずつ、犠牲を払いながら前へ進もうとする2人がラストを締めくくる。それはややもすると難航する捜査への苛立ちのためだけなのかもしれない。だけれどそれは観ている側も一緒で、捜査とはそういうものだ、現実はフツーのハリウッドのように犯人が捕まって終わる、なんてことはない、手がかりがなく終わることだってあるんだ、ということを伝えているようにも思う。
その気持ちが最後のシーンを担保しているのかも。
優しさとは…
もしミズーリ州に住む第三者としてこの事件を概観するとしたら、やはり3枚の広告は立てるべきものではなかった、そう思うのだろう。この母の怒りを発端とした出来事が、次々に二次災害を生んでいったように思えてしまう。結果だけをみると、大変登場人物それぞれが惨めな状態に陥ってしまったようだ。
しかし終わり方を含め、思い起こされるシーンの一つ一つは大変美しい。自分を重傷にした加害者に差し出すジュース 自分が大切に思うものへの手紙、犯人を突き止めるために奔走する元警官。
それらは、(宗教ちっくな響きだが)自分への見返りを求めない他者への優しさに満ちた行為だ。そういった行動が、怒れる登場人物たちの考え方をじわりと変えていったように思えた。対照的に描かれる、怒りを発端とする暴力的な行動は、全て人を不幸に陥れてしまっている。
大切なのは慈悲の心なのだ、とラストのシーンに語りかけられた気がした。それを思えば、賛否は両論だろうが、3枚の看板は立てる必要などなかったのかもしれない。
すごく不思議な映画
主人公が警察署に火をつけても
警官が一般人を半殺しにしても
元夫が看板に火をつけても罪に問われない
あるいは
自殺を妻に見つけさせる警察署長
もう、すべて理解できないけど、不思議と思わない妙に説得力ある映画。。
良作
脚本、魅せ方、キャラクターの立たせ方などどれもレベルが高い。
色々な感情が込み上げる、色々な事を考えさせるという面ではいい作品。
ただ、改めてアングロサクソンと日本人とは似て非なるものだという事を感じた。
通常の日本人が、署長の主人公を思いやる手紙やディクソン元刑事が体を張ってまで手に入れた証拠や正義感などに触れた場合、その事に感謝し、色んな紆余曲折はあるだろうが(場合によっては何十年も掛かるかもしれないが)、最終的には「罪を憎んで人を憎まず」に行き着くのではないだろうか。
最終的に犯人を殺しに行こうとするシーンはかなり異質なものを感じた。
署長もあれだけいいハートと正義感を持った人なのに、なぜ主人公が広告を出す前にもっと捜査説明なりケアなりをしてあげられなかったのか。
あと、この映画と実際のアメリカの社会がどこまでリンクしてるのかは分からないが、実社会と全く浮世離れしたストーリーであるなら本国でもこんなに人気は出ないだろうから、ある程度アメリカの(田舎の)社会を反映した映画だと仮定する。
だとすると、自分たちの国で起きた残忍な犯罪の犯人のアリバイを軍がどうにでも操作できるという社会も話半分ではないという事になる。
(比較的正義感が強いと思われる)警察署の署長でも触れようともしない大きな組織に牛耳られてる国って、民主主義が聞いて呆れるし、我々の隣国と大差ないのではないか(残忍さでいうと遥かに凌駕してるが)。
本国でもそうなのだから、沖縄で犯した犯罪をもみ消すくらい何とも思っていないんだろうし、それを正す事の重要性も大して感じてないのではないか。
ある意味恐ろしい映画だが、そんな事まで考えさせるという意味では自分にとっては考え深い映画だった。
クライマックスに近づく場面でディクソンが飲み屋で二人組に出会い、女...
クライマックスに近づく場面でディクソンが飲み屋で二人組に出会い、女性をレイプして焼き殺したと話した男のDNAを引っ掻いて採取し、車のナンバーを控えたが、車のナンバーの男は二人組のもう一人の所有する車だったのではなかったのか?新しい署長は善人面して、きちんとした捜査をしなかったと言いたかったのか…。ちょっと分かりにくかった。
住所が分かったのもレイプの話をした奴ではなく、もう一人の男じゃなかったのか…。犯人と思われる男にそもそも出会えたのか?
なんかいろいろ考えてしまった。
米国は、夜道の歩行は厳禁
最終場面が中途で終わった。
想像させるのかと。
処罰したのか、しなかったのか。
主人公は、切れていて、どこか、打っ飛んでいる。
粗野、粗暴。メンタルなのか。
余り共感出来ず。
米国では夜道歩行は危険なのが再認識。
犯罪に巻き込まれる。
しみじみとする映画
娘を失くしたお母さんの怒りの矛先は警察であった。もしかしたら、自分に対する罪の意識があったが、それを認めたくないがためであったかもしれない。実はとても弱っているのではないかとも思えた。しかしその怒りは脅威的であり、映画を鑑賞しているという現実を忘れ、その場面を実際に目の当たりにしていると錯覚した程であった。
様々な人の思いや考えが繊細に描かれていた。署長さんの死に怯えながらも他人を思いやるところであったり、、、主人公である女の人も実は強そうに見えて実は弱っている人間らしさであったり、、、主人公を目の敵にしていた署長さんの部下が改心していく様子であったり、、、
人間って変わりゆくものなんだなぁ
それがいい方向かどうか、わるい方向かどうかであるかはわからない。
だからこそ、ドラマが生まれるんだと身をもって体験できた映画だった。
面白い!
面白かった!今年のマツデミー賞有力候補!娘をレイプ犯に殺された母親、ガンで先のない警察署長、落ちこぼれの差別主義の警官ら、心がいびつに歪んだ人たちが必死にもがき苦しむ姿を、時に冷徹に、時にユーモラスに描く。もうね、誰の生き方も見てて辛くてさ。やっちゃってから後悔したりね、気づいちゃったりするじゃないですか。あー、もう!って感じで、気づいたら泣いてるんですよ。見てよかった。オススメします。
作品賞はコレでしょ。
署長(一人目)、イイやつだったなぁ。
遺書もイイ。奥さん宛のが特にイイ。
登場人物は結果、みんなイイやつばっかり…
イヤ、元亭主だけクズかw
その彼女もアホだしww。
今年のアカデミーはコレでしょ!
半魚人は無いわ。
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