スリー・ビルボードのレビュー・感想・評価
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音楽の選曲が最高
冒頭はアイルランド民謡『庭の千草』として親しまれている「夏の名残のばら(The Last Rose of Summer)」。歌っていたのは、超人気オペラ歌手のルネ・フレミングだったらしい。なんとなく賛美歌をイメージしていたら・・・。エッ、そういう展開?古びた野立て看板を見た女主人公が、アイディアを思い付いた瞬間に音楽が!マカロニウエスタン?
主要な登場人物には、それぞれテーマ曲のような挿入歌が用意されていて、まあ上手くはまっていること。驚くばかりです。
本当にひっくり返りそうになったのは、『ABBA - Chiquitita(チキチータ)』。お前がこれ聴くか!?という使い方で意表を突きます。映画全体がこんな感じでした。
主人公の心の動きが、音楽で見事に表現されていました。これは映画ならではだと思いました。大自然の中で流れるギターの音色。出口の見えない物語の唯一の救いだったかも。
ずっと緊張
傑作。
いやー掛け値なしの傑作だった……なんという面白さ…!
「レイプ殺人で娘を失った母親が、捜査が進まないことに業を煮やして警察組織と対立する」というハードでシリアスな設定なのに、辛めのブラックジョークがちりばめられていてとにかく笑える。
いや、笑えない人もいるかも?少なくとも私と両隣はずっと笑ってた。
で、笑った5秒後にはもうたまらなく切ないシーンだったりして、感情がどんどんぐちゃぐちゃになって、ストーリーも全く予想外の方向に転がっていって、最後にはもう自分でも何だか分からないまま震えるほど泣いてた。
前半からはまるで思いもよらない、でもとても自然な、これ以外にないと思えるような素晴らしいラスト。
そこで彼女が笑った時、それまで彼女が一度も笑いも泣きもしていなかったことに初めて気づいた。
この7カ月、彼女が感情を失っていたことに。
「映画の主人公は、観客が感情移入できる存在じゃなきゃいけない」なんて決まりは無いのと同じく、被害者や被害者家族が「被害者らしいふるまい」を強要される筋合いも全くない。
でも世間は被害者を「かわいそう」と思いたくて、「かわいそうであること」を期待してしまう。
彼女は「かわいそうな被害者家族」なんてレッテルを貼られることを全力で拒否し、どんなに嫌われても、危険な目に遭っても、自分の信念に基いて行動する。
彼女の行いは褒められるものでも共感されるものでもない。
でも人は褒められるためや共感されるために生きるわけじゃない。
そして、嫌われても、批判されても、「そうしないと生きていけない」時もある。
…というメインテーマの周辺で
「当人同士の気持ちと、メディアや外野から見える関係性はまるで違う」
「同じ非人道的行為でも、それを行う場所で罪になったりならなかったりする」
などなど、日本に住む我々にも心当たりがあるような示唆的な場面が散りばめられている。
「人間は愚かで愛おしい」なんて生易しいものじゃない。
人間は愚かで、愚かで、愚かで、でもほんの少しはいいところもある、かもしれない。
例えば、嫌いなヤツのコップにもジュースを注いであげるぐらいには。
あ、それと、イヤホンで音楽を聴く行為がいかに危険か、という啓蒙映画でもある!
感情移入タイプではありません
佳いドラマ
間違いなく最高の映画体験
すべてに意味がある無駄のない作品
感情移入できなさすぎ
極論を言うと、映画の中のキャラクターが死のうと生きようと、自分の生活には関係ない。
それなのになぜキャラクターが死にそうになっているシーンを見ると悲しくなるのか?
それは感情移入しているからである。
この映画にはそれがなさすぎた。
所長が自殺したことをきっかけに、警官が看板を作った人間に殴り掛かるところなんかはこの映画の欠点が浮き彫りになったシーンだ。
自分の職を失うような行動のきっかけが「みんなから評判のいい所長が死んだ(しかも余命2か月)」とかいう意味不明なものであっていいはずがない。
映画館でみていて、ここまで眠くなった作品は初めてだ。
頼むからアカデミー賞を取らないでほしい。。。。
絶賛の嵐に、???
※気を付けてください、ネタバレしてますよ。
軒並み高評価の絶賛の嵐。
ええ?みんな、そうなの?
確かに、クズ警官の改心には目を見張るものはあった。オープンエンディングのラストも深く心に訴えるものはあった。
だけど、全然主人公ミルドレッドの行動に共感できない。
手詰まりの捜査を非難する方法として、所長を名指しにするのはどうなの?
まるで街中を敵に回すような態度もどうなの?
報復として、警察署に放火するってどうゆうこと?
真犯人じゃない男を殺しに行くなんて、それはたとえそいつが人間のクズだとしてもとばっちりでしょ?
むしろ娘と口喧嘩したことが遠因であることに自責の念が駆られ、罪滅ぼしの意識で執拗に意固地を貫いているの?
恨みを晴らしたい気持ちはわかる。だけど、こんな手段が称賛されるのがアメリカの社会?、いやあ全然無理だわ。憎しみや怨嗟が永遠に続き、広がっていくだけだよ。
そう書きながら、確かに最後にエンドロールを見送りながらクズ警官にちょっとジンと来ちゃったけど。だけど、あれは許されない。
そんな自分の感覚は変なのか?
凄いおかん!
心に残る映画、観て良かった。
娘を殺された親の怒りはわかる。それに殺される直前の母娘のやりとりもやるせなさ過ぎて自責の念もあっただろうし。
ただ表現する方法がエグ過ぎ、犯罪者。
だけど警官も警官で、しょーもない奴多いんだよなー。
署長は愛されてるだけあって愛のある人だった。
署長のお陰であの警官も改心したし。
彼が火傷で入院した時のレッドの行動には心打たれたな。
私だったらひどい事された人に優しく出来ないから。
でもレッドみたいな愛のある人になりたい。
これから自分ももっと愛を持って人と接しようって思った。
考えさせられる事の多い映画でした!
心に残る映画、観て良かった。
余韻がハンパない
予備知識なしで観ました
人間の愚かしささえも認める実直さ
本年度のアカデミー賞有料候補。
原題は「THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI」。
「三枚の立て看板、場所はミズーリ州エビング」、米国の田舎町での物語。
米国中南部ミズーリ州の田舎町エビング。
そこで暮らす中年女性ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は、7か月前に娘を殺された。
しかし、犯人は杳として見つかっていない。
業を煮やしたミルドレッドは、閑散とした道路沿いに打ち棄てられたような商業用の三枚の立て看板を見つけ、そこへ抗議文を出すことにした。
内容は、「レイプされ、その上、殺された」「いまだに、犯人は捕まっていない」「どうするつもりだ、ウィロビー署長」。
田舎町は、一夜にして騒然とする・・・
というところから始まる物語で、立て看板を撤去しようとする、告発された警察側とミルドレッドとの小競り合いが続いていく・・・と展開するあたりまでは、常識的な展開。
警察側のキーマンはふたりで、ひとりは署長のウィロビー(ウディ・ハレルソン)、もうひとりは中堅警官のディクソン(サム・ロックウェル)。
抗議に対して再捜査を開始するウィロビー署長であったが、いかんせん、捜査は手づまり、証拠がまるでない。
対して、ディクソンは(権力側である)警察の面目をつぶされたとあって、力づくで立て看板の撤去を求めにかかる。
だが、重篤なすい臓がんを患っていたウィロビー署長が、捜査の行く末とは別に、自身の行く末に絶望して自殺してしまってからは、事態は思いもつかない方向へと進んで行ってしまう・・・
ここからが映画の本題で、一見すると、社会派映画風のサスペンス(もしくはミステリー)というジャンル映画の様相だったものが、観ている側の感情をかき乱す映画へと変わっていきます。
この変質は、一筋縄ではいかない。
ウィロビー署長の自殺は、ミルドレッドの娘の事件とは無関係なのだけれども、憶測が憶測を呼び、ミルドレッドの行動に原因があるように感じられ、町の人々はミルドレッドに敵意をかんるようになっていく。
そして、その先鋒がディクソン・・・となっていく。
この、憶測による怒りが怒りを呼んでいくあたりは、まさにヒリヒリする描写です。
しかし、この映画は、その怒りの描写が町全体に拡散するのではなく、あくまでもディクソンとミルドレッドに絞って描いていくので、いわゆる「社会派映画」というジャンル映画には収まらなくなります。
中盤、「怒りは怒りを来す」と主題めいた言葉も登場するのですが、さらに映画はそこも越えていきます。
この「越えていく」ことをどのように表現すればいいのかはわからないのですが、その底の部分には、自死する前にウィロビー署長が書いた手紙があります。
一通は妻へ、もう一通はミルドレッドへ、もう一通はディクソンへ。
それぞれに宛てた手紙には、自身へ許しを願う心と、相手への赦し(または認め)が書かれています。
しかし、それがすべてが真摯に、ではなく、「ちょっとした悪ふざけ(ミルドレッドへの手紙にある言葉)」も含んでいるあたりに、「人間の愚かしささえも認める実直さ」を感じました。
その「人間の愚かしささえも認める実直さ」こそが、ディクソンとミルドレッドを、少し(かなり)善い方向へと変えていき、それを感じさせるラストシーンへと繋がっていきます。
少し善い方向へ人間が変わる・・・
これこそが映画の王道であり、観たかった映画だった、と改めて思った次第です。
しんどい状況だけど、、、
さすがアメリカ現代映画
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