「「全員、純粋」。ゆえに、玉突き事故が止まらない。」スリー・ビルボード 加藤プリンさんの映画レビュー(感想・評価)
「全員、純粋」。ゆえに、玉突き事故が止まらない。
監督氏の敬愛する北野武監督風に言えば「全員、純粋」。
善人も悪人も出てこない。
登場人物は皆、すべて、純粋なだけ。
純粋であるということは、己に忠実であるということ。
つまり、登場人物は只、それぞれの人生を生きているだけなのだ。
そして
純粋すぎて、この物語は、玉突き事故が止まらない。
そう、たとえば
彼は、語らなくてもよかったのだ。けれども、彼は語った。
彼女は、闘わなくてもよかったのだ。けれども、彼女は闘った。
彼は、死ななくてもよかったのだ。けれども、彼は死を選んだ。
彼は、庇わなくてもよかったのだ。けれども嘘をついたついた。
彼は、殴らなくてもよかったのだ。けれども、彼は殴った。
彼は、ぶっかけてもよかったのだ。けれども、彼はストローを刺した。
彼は、燃やさなくてもよかったのだ。けれども、彼は燃やしてしまった。
彼は、直さなくてもよかったのだ。けれども、チャイムを押した。
彼女は、死ななくてもよかったのだ。けれども、彼女は既に、凄惨に亡くなっていた。
この物語は、人が行動するには理由が、原因があるのだと示してくれる。
すべて「一手前」なのだ。
それは正義かもしれないし、気分かもしれないし、偶然かもしれない。社会の所為かもしれない。
それが必然となり、誰かの行動が、誰かを突き動かしてゆく。
本人の意図などお構いなしに。
それを止めることはできない。いや、そもそも、
この映画が始まる前に、この物語は始まっているのだ。
そして、終わらない。
彼と彼女は、ひょっとしたら、殺さなくてもよいのかもしれないし
殺してしまうのかもしれない。
それは彼らの意思かも知れないし、そうでないかも知れない。
これまでもそうやって人間は生きてきたのだろうし
これからも歴史は折れ重なってゆくのだろう。
だから、この物語は終わらない。
この連鎖を終わらせることは出来ない。
この先にはきっと、アキラメにも似た、乾いた未来が待っている。
ただ、、そこまで描かれなかっただけの話だ。
ナニヤラ、モヤッとした終わり方だと感じた人は、
それはきっと、正しい直感を持っている。
なぜなら、それがこの作品のテーマそのものだからだ。