「多面性という言葉の意味を強く考えさせられる」スリー・ビルボード ハルさんの映画レビュー(感想・評価)
多面性という言葉の意味を強く考えさせられる
多面性という言葉の意味を強く考えさせられるし、アイルランド系イギリス人によって描かれるアメリカという、今作そのものがすでに多角的な視点によって成されていて深みを作り出している。
看板の枚数と主要キャストの相関は語られているところだが、個人的には火の使われ方も気になっていて、大火などは映画ではよく扱われる素材なのは言うまでも無いだろう。作中では二度そうしたシーンがあるが、二度目の方は違和感があった。観ていながら二回続けた作りをユニークだと感じていたところ、鑑賞後にそういえば火のシーンはもう一回あったなと思い至る。つまり三度の火が発生していることになる。それは作中では映し出されない火であるが、その火がこの物語の発端になっていることに気がついて、なるほどよく出来た本だなと感心させられる。
一度目の火によってミルドレッドは変わり、その彼女によって作られた看板はウィロビーの死に呼応して燃やされる。その報復としてミルドレッドは警察署を燃やし、ウィロビーによって綴られた三通目の手紙を読んでいたディクソンがその火によって大やけどを負うけれど、レッドの優しさにも触れた彼は成長する。レッドが読んでいた『善人はなかなかいない』においても3という数が通底するということだ。
ウィロビーがミルドレッドに宛てた手紙には「看板のことと自分の死は関係無い」とありながらも当然他人はそう思わないだろうから「殺されるなよ」と忠告しているところなどはタチが悪いとしか言いようが無いが面白い。そして本当にどうしようもないキャラクターばかりだが、ジェームズとミルドレッドが食事をするシーンでは救われる気がした。ジェームズとペネロープの言葉がなければミルドレッドは元夫の脳天をかち割っていただろう。ピーター・ディンクレイジいいよね。とはいえ今作ではミルドレッドが突き進んでいく様が最高で笑えるのだが。
ちなみにディクソンは自分が看板を燃やしたと誤解されてるとは1ミリも思っていない。母親から聞かされたときの反応からもわかる。だからミルドレッドが最後に警察署を燃やしたことを告白しても自分との因果は考えてないだろう。それであの反応。だからもしそこが彼の中でつながった場合、嫌な予感がしないでもない。