「怒りの赤と善意のオレンジ」スリー・ビルボード 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
怒りの赤と善意のオレンジ
いやはやなんとも複雑な味わいの映画でした。
や、『小難しい映画』という意味ではなくて、
特定のジャンルに括ろうとしたり、雰囲気を
一言で表すのが非常に難しく思えるという意味。
全編ブラックでシニカルなユーモアに満ちているが、
そんなユーモラスなシーンが次の瞬間スリリングで
バイオレントなシーンに変貌したり、かと思えば
涙が出るほど繊細なシーンに変貌したりと予測不能。
多数のキャラがわちゃわちゃ絡み合うのに物語は
混乱しないし、笑えて楽しいが怖く悲しく空しくて、
だけど最後にはどこか温かな気持ちにさせてくれる、
なんとも複雑な映画、そして、なんだか凄く良い映画。
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とんでもなく口汚く短気でタフな母ミルドレッド
を演じたフランシス・マクドーマンドは圧巻!
以前にアカデミー賞を獲った『ファーゴ』の
優しい警官と同一人物とは思えない豪胆さで
笑い所も泣き所もかっさらう。
黒人もメキシコ人も共産主義も嫌いなド鈍い警官
ディクソンを演じたサム・ロックウェルも見事で、
色々とヒドい彼が終盤で見せた勇敢さに鳥肌!
そしてウディ・ハレルソン演じるウィロビーも……ここは後述。
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娘を殺された母親が立てた広告看板をきっかけに
小さな街で巻き起こる、怒りの複雑連鎖反応。
犯人への怒り、権力への怒り、非難への怒り、
人種への怒り、暴力への怒り、母への怒り、
ミルドレッドの怒りはあらゆる類の怒りを呼び、
ウィロビー署長の手紙が登場するまでの間は
しっちゃかめっちゃかの大混戦状態。
けれどミルドレッドの怒りの矛先は、犯人を逮捕できない
警察だけでなく、娘を最期に酷い言葉で送り出して
しまった彼女自身にも向けられていたような気もする。
愛娘を奪った犯人を憎む気持ちがまず第一とは思うが、
ひょっとしたら彼女は、周りからどれだけ罵られても、
それは自分が娘にした仕打ちに対する避けがたい罰で、
それを甘んじて受けながらでも、娘の為に犯人を
探す責任があると感じていたんじゃないだろうか。
元々タフな性分だったらしい彼女も無敵では
無く、近しい人からの批判はやはり堪えるし、
名指しで批判したウィロビーに対しても、
どこかで申し訳無い気持ちは抱いていた気がする。
ひょっこり現れた鹿の前で泣き崩れてしまう場面。
彼女は必死で『タフでなければ』と耐えていたのかも。
...
ミルドレッドの怒りはあらゆる人々に伝染し、そして
誰も彼もがその怒りに任せて他の誰かを攻撃した。
とんちんかんだがイノセントなペネロープの
『怒りは怒りを来(きた)す』の言葉通り、
誰かの怒りを受け取り、それを誰かに受け流す
だけじゃ、怒りの連鎖はどこまでも止まない。
だがウィロビーは――名指しで批判され、人生最期
の時間を汚されて最も怒りを覚えたはずの彼は――
誰にも怒りをぶつけなかった。それどころか、
その人生の最期を汚した張本人を気遣う言葉を残し、
彼女が責められないよう広告費まで支払った。
更に、誰からも溜め息を吐かれるような暴力警官
の奥底にある優しさを見抜き、伸ばそうとした。
ミルドレッドの怒りをぐっと堪えて受け止め、
それを善い力に換えて、ディクソンへと継いだ。
それが、死に際のウィロビーが最期に成したこと。
ウィロビーの遺言を読んだ後、病室で、
自分を心底憎んでいるはずの相手から
オレンジジュースを差し出されたディクソン。
彼が本当に生まれ変わったのはあの瞬間だったと思う。
必要なのは、一番憎い相手へ、
オレンジジュースを差し出す気持ち。
...
ミルドレッドの娘を殺した犯人は捕まらなかったし、
ミルドレッドとディクソンは別の悪党を殺そうとしている。
勿論これはハッピーエンドとは言い難いのだが……
それまでになく穏やかに見える二人の表情。
怒りはきっとまだ抱えているのだろうけど、
最初の煮えたぎるような勢いはもう無い。
引き返すか、何か別の手を考えるかは分からないが……
なんとなく、あの二人はもう大丈夫な気がする。
怒りは何も生まないから怒るな、なんてのは土台
無理な話で、怒らない人間なんてこの世にいない。
だが、その剥き出しのエネルギーをもっと
前向きなものに換えることなら出来る。
怒りの赤を善意のオレンジへ。
何だったら、ストローも差してあげて。
<2018.2.3鑑賞>
素晴らしいです、このレビュー!
1年経って、ようやくこの映画の凄さがわかったような気がします。なんか、もう一度観たいなって思わされた…
オレンジジュースのシーンは、去年の俺にも届いてました。いいシーンですよね。ああいう、一発で決まる絵は、映画ならではの醍醐味だなぁ、って思います。