「2017年のラグビーボール」スリー・ビルボード じじいラッパーさんの映画レビュー(感想・評価)
2017年のラグビーボール
シナリオはラグビーボールのようにはねていて飽きさせない。
登場人物は、一癖あって練られている。
観ていて、感情的には寅さんに近いものがあった。
音楽は、風景と心情と、そのどちらにもいい感じに効いている。
観たあと、良識と信念について考えさせられて、心に残る映画だと思う。
ストーリーについて、
ただの広告看板で、何人もの人生が大きく変わり、話が大きく意外な方向に転がっていく。
シナリオを描くとき、最初と最後はある程度決まってる事が多いと思うが、この映画はどうだったのだろう。
書いていてキャラが勝手に動き出したとしても、バッドエンドがハッピーエンドに変わるような変更はあっても、出来事そのものが完全に変わるという事は少ない気がする。そういう意味で、この映画どうやって書いたんだろう?
どんでん返しでも無いし。
まるで、北海道から沖縄を目指したトラック運転手が途中で飛行機のパイロットになって北朝鮮に行ってしまうくらい違う事してる。それでも、そんなに違和感なく観れる。(火事のシーンは流石に違和感あったけど)それは、登場人物たちに信念があるから、強引に共感させられているのかもしれない。兎に角、新しい映画体験が出来た。マーティン・マクドナーさんがどうやってこの話を作ったのか知りたい。
内容についての感想は、
主人公は、信念を持っていたが、信念を持たない人には一向に理解されず、実際に非合理的な行動を起こし、自分を追い詰めていく。
ただ、彼女の自傷行為のような行動は、根底は全て他人の為ということ。分かり合えたのは敵であり、死を覚悟していた署長。それと、最後にもう一人だけ。
ラスト、悲しみと罪の意識を抱えた2人の魂の邂逅が、希望を生んだところは感動した。あの瞬間は、出会いこそが生きる喜びだと知らしめてくれた。
道々決めようと車を走らせる2人の姿は逃避行でもあり、生きる希望への旅路でもあるように思えた。
出来事の整理
通る人の少ない田舎道の立看板。
その立看板に、警察署長へのメッセージを出した。
メッセージは彼女の娘がレイプされ焼死体で発見されたが犯人が見つかっていないのに警察は黒人をいじめてばかりではないですか?というもの。
憤慨する警察官たち。
警察署長は人望があり、彼女は、医者や牧師など、権力者から目の敵とされる様になる。
彼女の同僚が警察に捕まったり、歯医者で不当な扱いを受けたりする。
さらに悪い事に、警察署長は末期ガンであり、家族を苦しませない為に自殺してしまう。
その事で、町中を敵にまわす主人公。脅迫や、嫌がらせが日常になる。
同じく、署長を信奉していた差別主義者の警官が、広告屋を半殺しにする。
差別主義者の警官はクビになる。
そうしているうちに、看板が燃やされてしまう。
彼女は差別主義者の警官が犯人と思い、復讐と称して、夜中に警察署に火炎瓶を投げ込む。
タイミング悪く、差別主義者の警官が署長からの手紙を読みに警察署にいたが、彼はイヤホンをしていて火事に気づかない。
彼は、署長の手紙により正義に目覚めていた。
だが、正義に目覚め、気付いた時には火の海であり全身に大火傷を負う。
しかし正義になった元警官は、火事の中レイプ事件の資料だけは守る。
その瞬間を見て悲しむ主人公。それでも強い信念からか犯行は否定する。
正義の元警官は入院するが、同室に半殺しにした広告屋がいて、しかも彼に優しくされる事でさらに正義化し、過去を悔いる。彼は退院後、飲み屋でレイプした後火をつける事がやめられないと自慢する男に出会う。正義と過去の罪の意識により、自らを犠牲にしてDNAを採取し、警察に渡す。
また、主人公に犯人を見つけたと連絡する。
しかし、人違いだった。
だが、レイプ犯である事は間違いないと考えた男は、主人公を誘ってその男に会いに行く。
主人公も同意する。
二人とも、辛かったんだろう。
レイプ犯を殺しに行く途中、主人公は放火したのは自分だと告げる。
元警官は、あんた以外に誰がいると笑う。
そして、レイプ犯を殺したいかと聞かれ、お互いにあんまりと答える。
道道決めようと車を走らせる姿は逃避行でもあり、生きる希望への旅路のようにもみえた。