「母親の怒りが大爆発炸裂する」スリー・ビルボード DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
母親の怒りが大爆発炸裂する
ベニス国際映画祭でプレミア初公開され、トロント国際映画祭でピープルズチョイス賞受賞。
2018年ゴールデングローブで、最高の賞に当たる作品賞、マーチン マクドナー監督に監督脚本賞、主演のフランシス マクド―ナンドに主演女優賞、サム ロックウェルに助演男優賞が賞与された。
ストーリーは、
ミズリー州、エビングの田舎町。
7か月前にテイーンだった娘がレイプされ殺された。警察による捜査は一向に進展せず、一人の容疑者さえも逮捕されていない。警察の非力に業を煮やした娘の母親、ミルドレッド ヘイズはハイウェイ沿いの巨大な看板広告に、警察は何をやっているのか、ウィロビー警察署長の責任を問う、まだ誰も捕まっていない、という3枚の看板広告を出す。
名指しで看板に名前を書かれたウィロビー警察署長は、家庭では二人の娘を持つ優しい父親だが、心情的には人種差別主義者であり、気短で喧嘩早い男だ。彼が膵臓癌を患っていることは,街の住民にとっては周知のことだった。また、彼の右腕、警察副所長のデイクソンはラテイーノで、母親と二人で暮らしていて母親に頭が上がらない小心者のくせに、ウィロビーに似て短気な男だ。
娘を殺されたミルドレッド ヘイズは警察など怖くない。警察は娘のアンジェラを殺した犯人を見つけられない腰抜けどもの集まりだ。警察が黒人虐めばかりしている間にも、娘を殺した犯人は第2第3の犠牲者を作っているに違いないと、毒付く。しかし警察を信頼し、ウィロビー所長を尊敬している市民たちはミルドレッドを非難する。殺されたアンジェラの弟チャーリーは、姉と同じ高校に通っていたが、彼は学校で虐められていて、母親のやりすぎは良い迷惑だと思っている。母親は飲めば暴力を奮う父親と離婚して、19歳の若い女と同棲している。父が母親に会いに来て、言い争いから暴力を奮おうとすると、チャーリーは、父の喉元に包丁を突き付けて母親をかばって守ろうとする。
父親は死んだ娘が、実はしつけの厳しい母親を嫌って、自分と一緒に暮らしたがっていたと言って、故意に母親を傷つける。母親は、娘のアンジェラが誘拐され殺された日、執拗に車を借りたがっていたのを覚えている。だが彼女は車を貸してやらなかった。車を持ち出せば、遊びに行って友達と車の中で「ヤク」をやるに決まっている。車を借りられなかった娘は怒って、「じゃあいいわよ。歩いて帰ってきて途中で誰かにレイプされるから、、、」と怒鳴って出かけた。そして、彼女の言った通りになってしまった。誰よりも母親の怒りは自分に向けられている。怒り、憤り、そして後悔して、歎き悲しむ。出て行ったときのままにしている娘の部屋で母親は自分を責め続ける。
一方ウィロビー警察署長は、アンジェラの再捜査を始めたところで、膵臓癌が悪化したその痛みに耐えかねて、妻とミルドレッドと部下のデイクソンに手紙を残して自殺する。所長の死は、ミルドレッドが出した看板広告が原因でストレスになったせいだと、街の放送局が報道したため、市民の怒りと反発は増々膨れ上がった。ミルドレッドは、嫌がらせをされ、脅迫され、3枚の巨大広告は誰かによって放火された。看板を必死で消火しようとして走り回る母親を見て息子のチャーリーは胸を痛める。そんな母親に味方が現れる。同僚の黒人女性、黒人の人権活動家、小人症の男性などだ。力を合わせて3枚の看板は元通りにされた。亡くなったウィロビー署長の寄付金にも助けられた。
しかしミルドレッドの怒りは収まらない。火炎びんで警察署を放火する。たまたま署で故ウィロビー署長からの、自分あての手紙を読んでいたデイクソンは、大やけどを負う。遺書である手紙には、アンジェラの事件をしっかり捜査してミルドレッドの力になってやるように書かれていた。その日からデイクソンにとってミルドレッドは、ただの疫病神ではなくなり、本気で警察官として彼女の力になろうとする。デイクソンはその後、バーで見慣れない男を見る。男は娘が誘拐されて殺された時もこの町に居た。調べてみるとこの男はアイダホから来ている。デイクソンはこの男が犯人に違いないと確信し、一方的に男を怒らせて殴らせて、わざと半殺しの目にあう。そのおかげで男の拳の皮膚が採取出来て、DNAの検査に出すことができた。デイクソンはミルドレッドにそれを伝える。しかし、新しく着任した警察署長は、この男はDNAで犯人にマッチしなかったし、事件の起こった日にはこの町にいなかった、とデイクソンに言い渡す。
この男は確かに事件の日、この町に居た。デイクソンは警察署長の言うことを信じない。ミルドレッドも信じない。この男は野獣のように自分を脅迫した。
デイクソンは母親の髪を優しくなでて家を出る。ミルドレッドも息子の安らかな寝顔に別れを告げて家を出る。二人の行先はアイダホ。歩むハイウェイは一方通行だ。
というお話。
娘を殺された母親の怒りが大爆発、炸裂する。ハイウェイに弱腰警察を揶揄する大広告看板を出し、良識的市民から批判され、牧師から訪問され、車にミルクをぶつけられ、チンピラから恐喝され、協力者を半殺しにされ、歯医者に麻酔なしに歯を抜かれそうになり、勤め先を壊され、放送局から警察署長殺しとなじられ、署長未亡人から非難され、前夫から首を絞められても、彼女は動じない。怒る母は、一歩も退かない。孤立無援など全然怖くない。法的に犯人を警察が逮捕できないことがわかると、少しの迷いもなく自らの退路を断ち、リベンジに突き進む。潔い。
「庭の千草」(The Last Rose of Summer)をソプラノ歌手が朗々と歌う背景を美しい田園風景が写される。アイルランドの詩人、トーマス モアが詩を詠んだクラシックの名曲だ。この曲が流れるなかを、牧歌的な光景の中にハイウェイがあり、3つの今は使われていない巨大な広告のための看板が映し出されるところから映画が始まる。116分の映画のなかで、もう一度だけ、この美しい旋律が流れる。娘を殺された母親が警察を告発する看板を出したその下に、花を植えた鉢を並べていたときに、奇跡の様に美しい鹿が姿を現して、母親の横で草を食む。思わず美しい鹿に見とれて涙を落とす母親が哀れで悲しい。そんなに自然が豊かで美しい場所なのに、現実にはテイーンが誘拐され、レイプされ、殺されて捨てられる。失業者には希望がない。黒人は歴然と差別される。小人症も差別されている。酒場では男達が暴力をふるい、粗暴で女を平気で殴る。それがアメリカだ。それが世界だ。
今年はアメリカの中で、保守的で白人中心主義を払拭できずにいた男社会ハリウッドで、女たちによる地崩れが起きている。権力を持った男達が告発されている。女たちによる反逆は、しばらくは収まりそうにない。法的にも、倫理的にもリベンジは正しい事ではない。しかし、娘を殺された母親は、怒りをこめて、100回殺しても殺し足りない勢いで男を殺すだろう。
クリント イーストウッド監督が、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー作品賞を受賞したときに、安楽死を認めるような映画に賞を与えることは正しくないという意見が飛び交った。時の流れというものは、その当時は法的にも倫理的にも反する事柄も、一歩先に時代を先取る映画では、それが許された。いずれどの国でも人が人としての尊厳を守るために厳しい条件のもとに安楽死は認めざるを得なくなるだろう。この映画でもリベンジは正しくない、ということは簡単だ。しかし、では、法的に女を守ることができなかった社会で、法的、倫理的な正義とは何なのか。
映画が終わった時、たくさんの女たちが涙を浮かべて拍手していた。ものすごい母親としての共感。熱い女性としての共感。思わず自分も拍手していた。
今年のゴールデングローブは、女性のための、差別されてきた有色人種のための賞だった。多くの参加者が黒服を着て参加。セシルBデミル賞を受賞したオプラ ウィンフリーのスピーチ「ミートゥー」には、長い長いスタンデイング オベーションがあった。こういった一連の流れが、一時的なものでなく、これからの女性差別へのと暴力、人種への差別と暴力、性的マイナーな人々への差別と暴力を失くす社会を構築する方向に、本気で向かってほしいと心から思う。