二十六夜待ちのレビュー・感想・評価
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レベル高えぞこの映画。
居酒屋のパートの面接行ったらお前そんなんでよく客商売出来んな、と思わせる寡黙な大将がいる。明日から来るとは決まったようだがじゃあ何時に行けばいいのかは教えてくれない。魚はさばけるが接客センスゼロの無口な大将と何日も一緒に働いてたら、いきなり背後からレイプしてきた。好意を抱かれたとかそんな前振りは一切なし。隣にいる人に簡単に劣情を抱いちゃうタイプなのだろう。そして何故だかそれを受け入れるヒロイン。しかし大将は毎回毎回中折れしてその度に普段は無口なくせに妙に饒舌になって「俺はナントカダー!」みたいな陳腐な台詞を大声で叫ぶ。またヒロインはヒロインでレイプされようが和姦しようが、死んでもブラだけは外さない。この誰も得をしない性交シーンは無駄に回数だけは多いんだが死んでもビーチクは見せず大将の白いケツばかり写る。わずかな期待を胸に望んだ最後の絡みシーンで、ヒロインの浴衣脱がしたら、なんとその浴衣の下にまでブラしてたからああこいつは本気だなあと思わせた。そして大将がそのブラの上から必死で愛撫するシーンは日本映画史上、屈指の哀しいシーンなのである。これでは現場も荒れたに違いない。
卒倒したオカンを安静にはせず無理矢理起こすシーンとか、脈絡もなく突然現れて演説始める誰だかわからない義肢のおねえさんとか、最後まで全く回収されない伏線やら全シーンで様々なツッコミシロが用意されており、スタッフのサービス精神がふんだんに発揮されている。高感度のヤングが集うパーティムービーには最適であろう。
映画評サイトを見てみたらフグをさばくシーンが一番心に刺さったみたいなことを書いてる人がおり、あの亀をさばくシーンが一番凄い食人族のオマージュだったのかと膝をピシャリと打ったのであった。。
小さき花
今夜は
月の光が降り注ぐから
二人で傘をさしてゆこう
河原でキイロの花を摘み 指を絡ませ
完璧でない世界へと落ちてく
僕等は孤独すぎるから
互いの淋しさの中に潜り込んでは
確かめ合う
波の音 欠けた月 沈黙の花
埋められない心の隙間に
つたう涙が溢れたら
君にあげよう
小さき この花を
記憶を失い自分の存在を確認するかのように月の満ち欠けを数え野花を生ける杉谷さんと震災に遭い波の音が胸の奥で鳴り続けている由実さん
それと 二人の間にいつもある小さな花の存在
ふたりは随所で手と手を重ね合わせ
互いの傷を癒すかのように求め合う
そのオキシトシン効果+愛情が加わると
人は静かに自分を容認しあるがままそのままを受け入れ 生きる覚悟ができるようになるのかもしれないと思わされた
では 二人を引き寄せた引力は何かと考えた時に 初めて観た時は哀しみや孤独なんだと思った けれど再び観た時には野の花がそれだったのだと思うようになった ふたりはいつも一輪挿しの小さな花を違う角度から優しく見つめていた それはきっとこれからも
私の中にもそこはかとない郷愁感がある 生まれて得たのと同時に漠然と何かを失っている気がするのは 何故なのかよく分からないけれど 何かを得ては失くす の繰り返し
それは丁度
寄せては返す波や月の満ち欠けと同じ
幸せなこともあれば不運なこともある
生きるとは そういうことなんだと思う
★映像の中で傘をさす場面は無く比喩
です
☆ちなみに映画はキイロの花 福寿草が映し出されて終わります 河原ではあまりお目にかかれないと思うけど 幸せを招く 永久の幸福それと同時に悲しき思い出という花言葉を持ちます
記憶、愛の深さ
初日舞台挨拶レイトショー、新宿へ足を運びました。井浦さんは好きな俳優さん、いわき市が舞台、福島生まれで何度も訪れている街、今は県外在住なので、まずは福島なまりが懐かしく思えました。被災しての記憶、記憶を失うと相反した男女。失うことの恐さ、辛い過去の記憶も、痛みの記憶として記憶していることの意味、自分の記憶について考えることができた作品。からだを重ねることいち記憶として2人に刻まれていくんだなと思いました。フグをさばくシーンがいちばん心にずんときました。静かに時間が流れ大切な人をしんみりと思う夜になりました。
ピアノマン
第30回東京国際映画祭出品作品
小説が原作ということなので、ちょいググったら、『光の闇』佐伯一麦著の短編小説とのこと。欠損感覚というテーマで色々な障碍でのノンフィクションということである。今作品はそのアンソロジーの中の一篇。家族を亡くした女、記憶を無くした男が自分達の居場所を求めて時間を紡ぐ作品である。演出手法としてセックスシーンを多用しているのだが、ヒロイン役の黒川のバストトップは無し。その代わり井浦新のケツの露出が多し。小説との変更点はロケ地で、宮城から福島県いわき市が舞台となっている。『さんさ時雨』とかのガジェットを持ち出しているのだが、あまりそこに固執しているわけでもない。
さて、感想だが、観終わって、少し寝かせないと今作品の良さを感じ取れないのではないだろうか。それ程、ストーリーとしては余り奇を衒っていない。ひねくれてもいないし、ストレートだ。作中に男が、山の中で助けを求めて麓まで下りるのだが、そのシーンが映像的に暗いのではっきり認識できず、ミスリードではないけど、この物語、狼男の話なのかなと勘違いしてしまった。二十六夜や、三日月なので、題名も『イクリプス』なんてしたらもっと女性客が増えるかも知れないがw
ピュアなラブストーリーであり、東北震災後のモラトリアムも要素として載せているのだが、これからの未来を無理矢理作るように、ひたすら身体を求め合う。至極自然の成り行きだし、しかしその行為でさえも欠落した部分を呼び覚ますようでトラウマにかかってしまっているもどかしさを丁寧に描いている。井浦の板前役の演技にプロフェッショナルを感じた。なかなかフグを裁くシーンってないからね。お互い、好き同士だし、社会的にも独り身なんだから、どんどんお互いの身体を求めてもいいのだから、本能に従ってセックスすればいい。そういうフラワーチルドレン的ナチュラル志向を思い起こさせる作品である。
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