「猫に教えてもらったこと」猫が教えてくれたこと よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
猫に教えてもらったこと
数年前にイスタンブールを一緒に旅した娘と鑑賞。彼の地の風景を懐かしむことができた。
しかし同時に、この映画の思いもよらぬ深いテーマに驚く。猫と人間の係わりを描くことによって、我々がどのような社会を生きているのかを明らかにする、これは一つの都市論または社会論である。
街のあちこちに野良猫が暮らす風景は、かつて日本でも珍しくはなかった。しかし、ペットの飼い方に関するマナーと、ペットとそうではない動物を峻別する思想の普遍化により、野良犬や野良猫たちの生活圏が縮小されてきた。
コンクリートとガラスで囲まれ、マーケティングという価値観で整備された都市空間には、野良猫たちの居場所はない。そして、彼らに餌をやろうとする人々もまた、そのような都市からは排除される。
確かに野良猫が巷に溢れる町に住みたいとは思わない。糞尿、食べ残しの餌、荒らされるゴミ、春の夜の恋歌。できれば御免蒙りたい迷惑である。
これらは言わば、人間にとってのノイズである。
だが、少し前まで、我々の生活空間にはこの程度のノイズが溢れていた。このノイズは何も動物だけが撒き散らすものではない。隣家の物音や他人のたばこの煙も同様である。
たばこを吸えない空間が拡がることと、野良猫と人間が交流する町が狭くなることは、一つのことに基づいて全世界で進行している。
それは生活空間からあらゆるノイズを除去し、マーケティングの法則に準拠した暮らしを人々に促す。
そこに暮らす者たちは、自然の成り行きとして、他者の発するノイズには不寛容になる。隣人の喫煙は許さず、庭に侵入する猫を許さない。
私もまた、非喫煙者であり、夜中の猫の鳴き声を疎んじる者である。しかし、かように他者のノイズに不寛容な社会では、我々もまた、ノイズを出さぬように息を潜めて生きて行かねばならないのではないか。いや、他者にしてみれば、自分の存在そのものがノイズ以外の何物でもない。
このような、他者への不寛容と無関心が拡大している社会を我々は生きている。果たして、そこにどれほどの幸福や安らぎがあるのだろうか。
猫に教えてもらったことは、存外に重い事実であった。