「言葉は世界を広げてくれる」博士と狂人 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
言葉は世界を広げてくれる
辞書の編纂の映画というと三浦しをん原作、石井裕也監督の2013年の映画「舟を編む」を思い出す。その作品ではじめて黒木華を見て、その存在感のある演技に感心したことを覚えている。
本作品の舞台は打って変わって栄華を極める大英帝国である。例によって帝国主義時代は列強が植民地を奪い合った時代だから領土も流動的だが、ヴィクトリア女王の頃にはアフリカを縦断する国々、インド、オーストラリア、カナダなどを植民地としていた。女王の権力は強大で、その権威は圧倒的だった。しかし議会も存在していて、女王が何もかもを決定する訳ではなかった。議会と女王の力関係が拮抗する部分もあったようだ。女王を主役にしたジュディ・デンチ主演の映画「ヴィクトリア女王 最期の秘密」ではそのあたりの雰囲気が伝わってくる。
19世紀末のイギリスではすでに資本主義がかなり発展していて、印刷出版業界も売れるものを作らなければならなかった。一方でアカデミーは女王の権威に比肩するほどの価値を持つ重厚な辞典を作成しようとしている。しかしこれまでの取り組みでは、学者たちの学問に対する権威主義が邪魔をして、何も作成できなかった。そこで主人公マレー教授の登場である。「舟を編む」では、編纂者たちが街なかに出て言葉を拾い集めていたが、本作品のマレー教授はボランティア方式を取り入れる。
ストーリーはとてもよく出来ていて、マレー教授の辞典編纂チームと、まるで無関係に見える殺人犯ウィリアム・マイナーがどこでどのように結びつくのか、前半の興味はそこにあり、マレー教授の取り入れたボランティア方式が重要な役割を果たす。加えて癲狂院の警備係マンシーが果たした役割も大きく、マイナーとマレー教授、それにマイナーが殺したメレットの未亡人イライザを結びつける。マンシーの存在とボランティア方式が本作品を成立させていると言っていいと思う。
当方には何故かマンシーが一番心に残る役柄だった。演じたエディ・マーサンは主役にはなりにくい俳優だが、本作品では素晴らしい助演ぶりであった。次がショーン・ペンのドクターマイナーで、言葉は世界を広げてくれる、この大空だって頭にすっぽり入る、といった名台詞が印象的だ。マレー博士を演じたメル・ギブソンはアクション俳優だったのが信じられないほどナイーブな演技だった。抑制された表情に、長く生きてきた悲哀やこれからの希望や人への思いやりなど、主人公の気持ちがよく伝わってきて心を敲たれた。
辞典を作る映画だけに、言葉がとても大事にされる。癲狂院にあっても、言葉の使い方は慎重である。どんな言葉が患者を刺激する引き鉄となるかわからない。一度記録係が不用意に漏らした言葉で患者であるドクターマイナーがエキサイトするシーンがある。言葉は正確に適確に使わなければならない。辞典づくりを後押しする場面だと思った。
言葉によって人は自由になり、言葉によって不自由にもなる。学者たちが言うように言葉を選別して見出し語を制限するのではなく、マレー博士が主張したようにすべての言葉を見出し語として載せるのが自由を守ることでもあるのだ。広辞苑の見出し語の数は25万語。オクスフォード英語辞典の見出し語の数は60万語である。