「「赦す」ことの尊さ、言葉が持つ重み」博士と狂人 h.h.atsuさんの映画レビュー(感想・評価)
「赦す」ことの尊さ、言葉が持つ重み
学位も持たないMurray(ただし驚異的な言語知識を持つ)と、殺人を犯して精神病院に強制入院させられているDr.Minorのoutsiderな2人が、今も権威ある大辞典のオックスフォード英語辞典の編纂を担ったことはひとつの奇跡。
権威や家柄など本質より形式を重んじる日本のアカデミーでは絶対にありえない話だ。
欧米では近代国家の成立とともに精神疾患者を「狂人」として社会から「排除」する動きが急速に拡大していく。この時代で殺人に対する精神疾患を理由とした無罪判決は個人的にはとても印象的な出来事。対して日本では最近でも殺人行為において精神疾患での免責を与えることなく、早期の司法判断後に死刑権力の行使が積極的になされている気がする。
Dr.Minorの精神疾患治療に対する当時の残虐な治療方法には目を覆いたくなるばかりだ。まるで悪魔払いのような治療方法で、20世紀入ってもロボトミーやショック療法など患者が動物のように扱われていた悲惨な歴史がある。
そして、殺人行為に対する「赦し」について。Elizaのとった行動は日本人には理解しがたい行為かもしれない。
家族を殺した殺人者には応報感情を抱き、直接コミュニケーションを取ることは日本では今も考えにくい。たとえ家族が赦そうにも、おそらくメディアや社会が許さないだろう。
対して欧米ではキリスト教文化からの「赦し」という行為が受け入れられる文化的な土壌があるのかもしれない。
辞書は単に言葉の意味を伝えるだけではなく、生まれた背景や歴史を辿り、その言葉の持つ精神性を後世に伝えていく大きなミッションがあるよう。
とても深みのある、さまざまな社会的論点について考えさせられる作品。