「岡田磨里の新境地、あるいは」さよならの朝に約束の花をかざろう ōeさんの映画レビュー(感想・評価)
岡田磨里の新境地、あるいは
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本作は,複数の登場人物の,実に21年(エリアルの臨終を物語の終着点とするならばさらに長期間)に及ぶ時間経過を多層的に描いているのに,それぞれに明確な奥行きがある(主観的な「時間」概念を問い直す本作において具体的期間について議論する意味があるのか,という気もするけれど)。
岡田磨里は物語の進行を巨視的に統御することで,本作を安易なダイジェスト的群像劇に堕すことなく,まとめあげている。
また本作には,「イオルフの里を逃れるマキア」や「娘メドメルとの一瞬の邂逅の後,別離を選んだレイリア」が,苦境の最中に見る景色に心を奪われる様子など,物語の筋を超えた情景描写が随所に見られる。これを以て,観客は,人間的なできごとを超越した「美しさ」の実在を直観するのである。登場人物たちが思いがけず経験する瞬間的なカタルシスは,物語の整合性を超えた純粋(raw)な感動を観客にもたらしてくれる。
私は,ヒビオルにしがみついて大きく目を見開くマキアの姿から,本アニメが他のエンタメ作品とは一線を画するものであると確信した。
○蛇足
やや作家論めいた主張ではあるが,本作は[閉塞空間からの脱出による楽園(パライソ)=<外の世界>の希求]が[閉塞空間への回帰による空間の意味の再定義]に帰結するという構造をとり,それは岡田自身の故郷・秩父の捉え方と相似を成しているようにも思える。詳しくは,岡田磨里著『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』(文藝春秋,2017年)を参照されたい。
今後もこうしたテーマを軸として岡田が物語を作っていくのかどうか,注視していきたい。
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