「愛する者を失う悲劇と、女性という生き方を暗喩」さよならの朝に約束の花をかざろう Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
愛する者を失う悲劇と、女性という生き方を暗喩
岡田麿里の初監督・書き下ろし脚本作とあって、早朝から満員(!!)なのはさすが。
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2011テレビアニメ/2013映画版)や「心が叫びたがってるんだ。」(2015)の前2作は、青春期の苦しみや痛みを繊細に描いた少年少女のストーリーだったのに対し、今回はファンタジックな悲劇である。切ない運命にもん絶する。
少女の姿のまま、数百年という悠久の時を生き続ける種族"イオルフ"の少女マキアが主人公。その"イオルフ"の長寿の血を狙って侵略者メザーテ軍が襲ってくる。イオルフの里は崩壊し、仲間とはぐれてしまい、森をさまようマキアは、親を亡くしたばかりの孤児の赤ん坊を見つける。
エリアルと名付けられた赤ん坊を育て、2人で生きていくことを決意したマキアだったが、普通の人間であるエリアルの成長は、やがてマキアを超えていく・・・。
生みの親でないマキアから巣立っていく青年エリアル。それを見守り続けるマキア。
永遠の若さや命をテーマにした作品の中には、そのメリットより、自分だけが何百年、何千年も生き続ける空しさを訴えるものがある。
"ヴァンパイアもの"がその代表であるが、愛する者たちが先に歳を取って、さらに去っていく悲しみを抱えながら、生きていかなければならない。
類似した作品では、「アデライン、100年目の恋」(2015)を思い出す。アデラインが若き美女である設定を、10代の少女にしているところが"日本製アニメ"っぽいとも感じるが、本作にはもうひとつの意味がある。
一般に女性は、"女児"から"少女"、"娘"となり、やがて"母"となる(人もいる)。若く未婚のあいだはチヤホヤされたりもする。
しかし心持ちはそれほど変わらないのに、相手(親や恋人、我が子)によって相対的な立ち位置を変えなければならない女性。本作はその絶対的な時間スケールを大きく引き伸ばすことで、"女性という生き方"を暗喩していたりもする。これは奥深い。
(2018/2/24 /TOHOシネマズ上野/ビスタ)