ニッポン国VS泉南石綿村のレビュー・感想・評価
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「超人」と「システム」
森達也監督は『FAKE』の舞台挨拶で、筆者の質問に答えて「原一男監督はスーパーマンが好きなんだ」と語っていた。原監督は『ニッポン国―』の上映後トークで、「昭和が終わり、とがった人がいなくなった」と語っていた。「とがった人がいなくなり、今までのやり方では撮れないことに気づくのに何年もかかった。今の世の中はとがった人を認める余裕がない」と。
ドキュメンタリーの方法論は、大きく分けてふたつあると思う。強烈な「個人」に焦点を合わせるか、ある問題を生む「システム」に注目するか、だ。前者の典型が『ゆきゆきて、神軍』なら、後者はフーベルト・ザウパー監督『ダーウィンの悪夢』だろう。ニューギニアの地獄から生還した、不正をただすために時には暴力も辞さない「神軍平等兵」奥崎謙三にカメラを向けた『ゆきゆきて―』。一方、ヴィクトリア湖の巨大魚、ナイルパーチをめぐって生起する貧困や売春を「グローバリゼーションの問題」として描き出す『ダーウィン―』。
原監督は今作で、泉南アスベスト訴訟の原告である被害者や家族、弁護団といった、別段とがってはいない人たちにカメラを向けた。同時に、このアスベスト被害に、アスベスト加工業で経済的に恩恵を受けた社会が冷淡なさまも映し出している。街頭で泣きながら裁判にいたる葛藤を訴える被害者家族の周囲を、足早に通り過ぎる人々。
これからのドキュメンタリーは、おそらく「個人」と「システム」両方を注視しなければならないだろう。高度情報化社会におけるドキュメンタリーは、その「複雑さ」に見合った方法論が求められるのだと思う。
『ゆきゆきて、神軍』から31年も経っていたのか!
石綿肺、肺がん、中皮腫など20年の潜伏期間がある恐ろしい石綿。重苦しいオープニングのナレーションだけで、鳥肌が立ってくる。患者として最初に登場した在日の青木善四郎がすぐに亡くなったという事実がショッキング。自分で息ができないため、重い病状の人は皆携帯用の酸素ボンベを持っている。
大阪泉南の石綿村と呼ばれるアスベスト工場が多い地域。冒頭から原告団、弁護士、そして患者の生々しい映像によって辛さが訴えられる。そんなところで働かなければいいのでは?と思う人も多いかもしれないが、在日韓国人や職がなく全国を転々とした末にたどり着いた人たちなど、そこで働くしかしょうがない事情もわかってくる。韓国においても、日本が占領時代に石綿鉱山を開拓し、貧しい人たちが駆り出されて労働させられた経緯を説明する。
日本国は50年も前から危険であると知っていたのに放置。国の責任を問うてアスベスト被害を訴えたのだ。1陣の原告側2010年には勝訴するが、国が控訴をするため控訴阻止運動も過熱する。しかし、高裁では不当判決。「そこで働かなければいい。泉南に生まれなければいい」などという要旨の判決には憤りを禁じ得ない。2陣も地裁では勝訴。そして3陣も・・・
2014年1月、柚岡たち原告団は上告阻止のために官邸前に向かう。しかし、官邸側は直接の建白書を受け取らず、彼らの声もむなしく、2日後には上告を決定する。「正規のルートでアポが取れるわけがない!」と怒りを爆発させながら、次は厚労省前でアジテート。そして最高裁での勝訴は涙なしでは見られない。和解の場で塩崎厚労相も映し出されたが、大臣の中でもまともな方だと感じた。
やはり柚岡一禎を中心に見ていくと理解しやすい。厚労省前での怒り爆発は原一男監督が選ぶ主人公として、神軍にも似たカリスマ性も感じる。被害者の中で、元看護師さんもずっと登場するので8年の時の流れを感じる作品だ。
国との争いもさることながら、患者の多くは在日韓国人であることの事実。最近では徴用工の問題もクローズアップされているが、アスベストの問題も同じく、かつての日本が行った朝鮮植民地化により隠されてしまった闇を戦争を知らない我々に突き付けられる。
病気との因果関係がはっきりしていて国も認めているからまだ係争もわかりやすい。世の中にはまだ因果関係さえも否定されている原発放射能と甲状腺がんとか、闇に埋もれた問題はまだまだあるように思えるので、もっと広い視野を持ちたいものだと感じた。
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