ニッポン国VS泉南石綿村のレビュー・感想・評価
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昭和47年の線引き
裁判の争点は国家が介入して規制に踏み込まなかったことに過失が認められるか否かだと思われるが、この映画はそこに踏み込まない。科学的知見があっても行動が見送られている事象もある訳で、何から何まで公的権力が介入することに誰もが賛同するわけでは無いと思う。規制がなくとも抑制する人もいて、規制されないと行動を抑止しない人もいる。これはガス規制もコロナも同じ。どこで規制を求めるかは判断が難しい。 カメラはひたすら被害者を追う。このことが強烈なメッセージを帯びる。行政側の過失を論じていても救われない。目の前に過失なく被害を負った者がいる。対応する役人が問うべき相手ではない。塩崎大臣が頭を下げても、何をもって詫びているのか?と被害者と同じ不思議な気持ちになる。 責任はむしろ二の次で、優先すべきは救済である。救済されるべきか否かで判断すれば、早いはずである。
韓国や在日の話でもあったんだと知る。国は害を知ってて放置していた。...
韓国や在日の話でもあったんだと知る。国は害を知ってて放置していた。韓国の害を出した工場も、日本が作ったものだった。 どんどん人が死んで行く。残された人の悲しみが語られる。 見てて辛い。民主党の時だったのだ。国は控訴した。補償が来る前に、患者たちは死んで行く。 大阪弁。 弁護士の人たちも泣く。 最高裁では勝ったけど、市民の会会長が述べたように、限られた期間の労働者のみに限られていた。裁判って何かと思うところはある。 運動の中に生まれる分断をきちんとこぼさず撮っていてすごい。
石綿裁判を追った稀に見る労作
「ゆきゆきて、神軍」以来、実に久しぶりに原一男監督の作品を拝見した。 今作は石綿訴訟の当事者たちを撮ったドキュメンタリー。あくまで「普通の人々」が被写体であり、終着点がまったく見えない状態で、よくも粘り強く撮りきったと感心する。 そして国の役人たちのアホさ加減を浮き彫りにする、体制批判の志しに熱くなった。稀に見る労作だろう。
まじめに観た
伝える力としての映画。映画好きというのなら観ておかねばならないのだろうと観た。 「ゆきゆきて神軍」の原一男監督、相変わらず地道な取材を繰り返している。たしかに、この映画がなかったら、俺はこの被害のことを知ることがなかっただろう。 面白い映画かと言えば面白くはない。途中、監督の反骨精神が活動の主体となっている人と若干ぶつかるように、油断したら誘導にもなりかねない。そういうリスクはあっても、映画で伝えようという努力を俺は買うし、時間と金が許せば観続けていきたいとも思う。 優先順位は下の方になっちゃうけどね。 自分の中では、映画はまず娯楽であって、その次に知るべきことかな。 ユーロスペースへ。時間がないとなかなか観られない
まさに日本の縮図
正直、扱われている問題は、テレビやニュースのこととしか捉え切れていなくて、原一男作品とはいえ見ることへのためらいがあった。長いし、集中力を持続できる自信もなかったし… 果たして想像通りではあったけれど、それを遙かに超える濃密度であり、報道などとは次元が違う普遍的な作品だった。 とにかく内容や構成が非常にわかりやすくて、効果的なイラストやテロップが意外と良くて、思いのほか作品の展開に釘付けになった。しかも、これまでの原一男作品同様に濃密な人間ドラマが存分に含まれていて、なおかつ、これが今のニッポンの現状だといわんばかりの映像表現に、ただただひれ伏すばかり。途中休憩が挟まれたけれども、3時間近くぶっ続けでも耐えられる、というか画面を凝視続けられる作品だった。泣いて笑って怒りに震えた。久々にフィクションを超えるドキュメンタリーを見た思い。
ニッポン国の病巣を見た
今まで日本人が見過ごしてきた、見ようともしなかったアスベスト被害の実態に迫ったドキュメンタリーです。この映画の中で最も衝撃的だったのは、裁判所の判決分の中で「アスベスト被害に対して、経済成長の上においては仕方が無かった。」と述べている部分でした。こうやって犠牲を強いた上にできあがっている現代の「ニッポン国」の縮図を見せられて暗澹たる気分になりました。 公開初日に出演者たちのアフタートークにも参加しましたが、この映画で描かれていない他の地域の被害についても未だに解決は遠いそうです。だからこそ、ひとりでも多くの日本人が知るべき現実だと思います。
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