「普通の人達」ニッポン国VS泉南石綿村 ミカさんの映画レビュー(感想・評価)
普通の人達
「アスベスト裁判」についてほぼ無知の状態で鑑賞しましたが、「泣く」「笑う」「怒る」「哀しむ」といった感情が、スクリーンを通して津波の様に私に襲ってきました。無機質なスクリーンが、まるで大きな有機体になったかのようです。
今の日本で権力に対して「怒る」ことは、タブーなこと。それを8年もの間「裁判」を通じてやり続けることは、並大抵のことではありません。しかし、スクリーンに映し出されたのは、命を脅かされ生活がままならない普通のおじちゃんらとおばちゃんらでした。そして、普通のおじちゃんらとおばちゃんらは、日本中に沢山いることに気がつきました。水俣、福島、沖縄などなど。
ひとつ言える事は彼らは「誰か」の利益の為に、生活を壊されて命を奪われたということです。「誰か」が沢山の命よりもお金を優先したからです。そして日本で「怒り」をタブー化することにより、その「誰か」は大きな恩恵を受けているのかもしれません。
私は決して「誰か」になれることはありませんし、「普通の人」のまま人生を終えるでしょう。だからこそ、命を脅かす「誰か」に対して「怒り」を持ち続けます。
日本で「誰か」への「怒り」が当たり前になれば、福島原発事故も森友問題も起こらなかったのではないのでしょうか。今だからこそ、そう思います。
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